四話 門閥貴族
七つ首の竜は世界を統べる。
白の首は、光を。
黒の首は、闇を。
金の首は、天を。
鋼の首は、地を。
赤の首は、火を。
青の首は、水を。
そして黒よりなお黒き首が生命を統べた。
世界には何一つとして欠けるものはなかった。
――「創世神話」より抜粋
贅の極みを尽くした豪壮な調度は、一つ間違えば下品に堕しかねない。統一感がないことが統一感だと言わんばかりに世界各国の銘品が並べられた様は、大海を股にかける大商人にして門閥貴族である男の面目躍如といったところだろう。
カルティア貴族バルタザール・バルカス。
それがこのいけ好かない門閥貴族の名前だ。
エシリア王家の末裔クラウネル・バスタムーブは、家格でいえば決してひけは取らない彼の執務机の前に立ち、しかし礼を示すべく首を垂れた。
それに対してバルカスは無礼でもって応える。目の前に立つ若造などまるで目に入らないと言わんばかりに、書類に目を落とし続ける。たっぷり一分ほどもかけて書類の末尾まで目を通すと、裁可の判子をどんと押し、ようやく気がついたというようにクラウネルを見つめ、わざとらしく目を丸くしてみせる。
「卿か。何の用だ?」
「帰国のご挨拶に参りました、バルカス卿」
煮えくり返った内心を押し殺し、あくまでも優雅に一礼。
「ふむ、竜騎士の力を得たか。念を押すまでもないが、この度の事は特例に当たる。私が卿と卿の祖国にかける期待の大きさをよく噛み締めてもらいたい」
「はい。心よりのご助力に感謝すると共に、ご期待に添えるよう全力を尽くします」
如才ない笑顔を顔に貼り付けて答える。
バルカスの視線は、かすかな軽蔑を込めてクラウネルの股間へ向けられたままだ。
屈辱に耐え、あえて胸をそらす。
クラウネルの男は失われ、二度と戻る事はない。
あの忌まわしい儀式から一週間。
儀式を終えた直後から全身を苛む痛みでのたうちまわり、立って動けるようになったのはようやく昨日のことだった。
黒竜との契約の代償として、クラウネルは竜騎士の力を手に入れた。
ただ一騎で千の騎士を薙ぎ払うという、人外の力を。
バルガスは歌うように言う。
「愛国心。美しい言葉だ。悲しいことに強欲なロムルスと我々カルティアは、卿の王国、エシリア王国を巡って戦争状態にある。しかし理解して欲しい。カルティアも一枚岩ではないのだということを。私は卿と友誼を結び、我がバルカス家がこれまでそうしてきたように、両国が交易によって互いに発展し合えることを願っている。そのために、我が血族の授呪権を卿に与えたのだからな」
授呪権。
それはカルティアの竜司祭から功績のあった貴族家へ付与される、竜騎士になる権利のことだ。
カルティアの竜騎士は、黒竜との契約によって毎年十名だけ選び出される。
千の騎士、いやそれ以上に価値のある竜騎士を何人擁しているのかは、カルティアの貴族家間のパワーバランスを左右する大きな要素の一つだ。
各貴族家は一人でも多くの竜騎士を得ようと躍起になり、成り上がりの貴族は大枚の賄賂をはたいてでも授呪権を得ようとし、由緒ある門閥貴族はそうした新興貴族の動きを牽制する。
暗殺謀殺は当たり前、魑魅魍魎の跋扈する世界だが、それでもいくつかの禁忌が存在する。
外国人へ授呪権を売り渡すことや、男性機能を維持したまま竜騎士となることがそれに該当する。そして、当然ながらクラウネルはエシリア王家に連なる者、つまり外国人だ。
「バルカス卿、これで私と貴方とは運命共同体だ。もし、裏切りがあれば……」
「言うまでもない。そして卿はエシリア王家の誇りにかけて裏切らないと私は信ずる」
仮にクラウネルが、バルカスの敵対する門閥貴族へこの取引をばらせば、バルカス家は取り潰しの憂き目に会うだろう。同時にクラウネルはカルティア議会により国家の敵に認定され、カルティア竜騎士団は国家の威信をかけ、総力を上げて彼を狩り出されることになる。
それはできない。彼はこの力を使って、祖国を救うためにここにいるのだから。
「最後に契約の内容を確認しておこう」
貴族家の領袖にしてカルティアで一二を争う大商人、バルタザール・バルカスは言う。
「一、汝、エシリア王族クラウネル・バスタムーブ卿は、我、バルタザール・バルカスの助力により獲得した竜騎士の力を用い、ドラクォ・エシリアスの討伐を行う」
ドラクォ・エシリアス。
このエシリアの竜を討伐するという一点において、クラウネルとバルカスの利害は一致する。
「二、討伐したドラクォの血の所有権はバスタムーブ卿に帰す。血は我が遣わす竜司祭アンヘリカ・バリリエントスを介して、エシリア竜騎士団創設のために用いられるものとする」
竜騎士になるにはいくつかの方法が知られている。
カルティアの『契約』もその一つだ。
しかし現代では契約の秘術は失われているとされている。契約の儀式を司るカルティアの竜司祭たちにも、すでにある契約を用いて竜騎士の力を付与することはできても、新たに竜と契約を結ぶことはできないのだという。ゆえにドラクォ・エシリアスとの契約は結べない。
そして、竜騎士になるためのもう一つの方法が、竜の血を浴びることだ。
神話に残る最初の竜騎士が、この方法により竜騎士の力を得たと伝えられている。
クラウネルの目的は、この方法を用いて達成することになる。
「三、カルティア・エシリア間の輸出入品目にかける税金については別表に定めた通りとする。なおこの項目に関しては五年ごとに両国の代表者間で話し合いの場を設けた上で改訂するものと定める」
ぴらりと紙を示しながら、バルカスは続ける。
「四、カルティア国の人間がエシリア王国内で犯罪を犯した場合、エシリア王都シルニアに設置したカルティア領事館在留の裁判官によりカルティアの法に則って厳正なる裁判を行うものとする。以上、四項目に異存なければ、契約は成立だ」
「……承知しています。我が誇りとエシリア王家の名にかけて、契約を履行します」
一や二の条項はともかく、三や四についてはエシリア王国にとって不利な内容であることはクラウネルにも分かっている。
しかし、その屈辱に耐えることで、エシリアはクラウネルという竜騎士を得る。
クラウネルはエシリア竜騎士団の初代団長として、歴史に記されることになるだろう。
不利な条約などは、カルティアを凌ぐほどの力を蓄えてから覆せばいいのだ。
「よろしい。お互いにいい取引が出来たものと思う。私はここから卿の武運を祈ろう。竜殺しの英雄の名は卿のものに。そしてカルティア・エシリア両国の国民は私と卿の友情を長く称え、その事績を歴史書に記すこととなるだろう。我々は愚かな戦争好きどもに屈してはならない。我々が、我々の手で両国に平和をもたらすのだ」
バルカスは我々という部分を強調し、にいっと笑って見せた。
貴族というより商売人と見えるその笑みは、クラウネルに怖気を振るわせるに十分なものだった。