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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
終章 竜騎士の繰り手
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三十七話 悲願

被造物たる人が神の化身たる竜を討ちしとき、

神話の時代は終わりを告げ、

黄昏の時代が終わりの始まりを告げる。

――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋



 プレシアにとって戦の意義とは、戦場において何を成すか、にはない。

 端的に言って、プレシアは戦う力を持たない。訓練を積んだ騎士一人を相手取るどころか、単なるごろつき程度でも不意を打たれれば殺されてしまいかねない。もちろん自身の剣たるレオンティナの実力は信頼しているが、それとて軍の竜騎士部隊に単独で抗しうる万能の力ではない。

 それゆえ戦闘に際してプレシアにできることは少ない。精々が、レオンティナの動きの妨げにならないよう身を隠しているか、戦況を見極めて指示を飛ばす程度だ。


 戦とは、そこに至るまでに何をするか、だとプレシアは考える。

 鍛錬を積んで戦に備えるのは前提に過ぎない。

 それのみに注力して戦のときを迎えるなど下策もいいところで、現実には鍛錬を積んだところでそう簡単に実力は向上しないし、相手だって鍛錬を積んでいることを考えれば、さらに実力差が開くことすら有り得る。ましてや、都合よく必殺技を思いついたり授けられたりなどということは、現実には起き得ない。

 ゆえに個としての戦闘能力のぶつかり合いは極力避け、戦以前に勝つことを至上とする。そしてやむなく戦闘に至るとしても、彼我の戦力を測り、情勢を見極め、地勢を知り、策を練り、周到に準備する。それこそが、プレシアの戦。


 悲願である赤竜の傀儡化、そしてフェイト家の再興を果たすため。

 限られた資源と手持ちの時間が許す限りの布石は打ってきた。

 ゆえに、眼前に広がる光景は驚くに値しない。

 赤竜が地に伏せ、弱々しく翼をばたつかせるこの光景は、当然の帰結。

 古代、百人以上の竜騎士によってようやく成し遂げられたと伝説に残る竜の討伐を、たった二人の竜騎士の操り手として再現するという偉業は、成されるべくして成されたのだ。


 赤竜の瞳は今も紅玉の煌めきを宿しているが、その巨躯にはもはや飛び立つだけの力は残されていないようだった。低く繰り返される呼吸音は、ひどく弱々しい。

 ヒルダは、プレシアへ危害は及ぼさせまいと、倒れ伏す竜の側で油断なく身構えている。

 そしてレオンティナはプレシアに気付くと、そっと膝をつき、恭しく剣を差し出した。

「主殿、剣をお取り下さい」

 プレシアはうなずき、剣を手に取る。

 レイヴン鋼の刀身を持つフェイト家の宝剣チャームブランドは、当主プレシアスの手に吸い付くようだった。ずっしりとした量感は、自身が今ここに生きていることを強く意識させる。感慨がこみ上げ、言葉は自然と口を突いて出た。

「お父様、お兄様、今は亡き我が父祖よ……ついにこの時が、フェイト家の悲願成就のときがやって参りました」柄をぎゅっと握りしめ、もはや抵抗する力を残さない赤竜の下へと近づく。「鋼竜レオンティナにふさわしき魂の器を手中にする最初にして最後の機会が、今ここに。……この偉業を成し遂げた暁には、フェイト家の名は、ロムルスに再び竜の加護をもたらした者の名として歴史に刻まれましょう。元々は私生児の生まれであった我らが、それを成すのです。これほど痛快なことがありましょうか?」

 赤竜の顔の横を通り過ぎる。間近で見る竜の瞳は、しかしプレシアではなくレオンティナを映していた。その瞳に宿るのは、憎悪、諦念、悔恨、そして哀れみ。彼は、レオンティナが人に身をやつしていることに気付いているのだろうか。しかし赤竜は、プレシアに見られていることに気付くと、嘲弄の気配を強くし、そして目蓋を閉じた。

「……私を愚弄するか?」問いかけに応えはない。「ふむ、人ごときと話す言葉は持たぬか。それもまたよし。だが、覚えておけ。そなたが軽蔑する卑小な人間こそが、偉大なるそなたの身体と魂を貰い受ける者であったことをな」

 竜の身体に片手を当てる。

 体表を覆う竜鱗の内に、心臓の鼓動がはっきりと感じ取れた。

 深呼吸を一つ。息を止めて、振りかぶった剣を真っ直ぐに振り抜いた。

 レイヴン鋼は、竜騎士による強化を受けることなく竜の鱗を断ち切れる唯一の金属だ。

 剣は確かに鱗を切り裂き、傷口からは熱い血潮が勢いよく迸る。

 唇についた血を舐め取ると、焼けるような甘苦さが口中に広がった。

 プレシアの腕でつけられる程度の傷は一分と経たずに塞がってしまうだろうが、それで十分。

 チャームブランドを両手で捧げ持つ。

 軽く目蓋を閉じれば、言葉は意識することなく口から流れ出た。

「我が名はプレシアス・ヘルツ・フォン・フェイト・グローリア。偉大なる始祖アルトリウス公が末孫、宝剣チャームブランドの主なり。契約により、汝の魂は宝玉に封じられる。器は我が僕、ブリティアが鋼竜レオンティナが貰い受ける!」

 剣先を傷口に当てて、体重をかけながら一気に刺し貫いた。

 確かに心臓を刺し貫いたと思った瞬間、赤竜の身体がびくりと震える。

 今更のように、剣から逃れようと身もだえする。

 だが、もう手遅れだ。

 身体を動かした拍子に傷口が広がり、血が噴き出した。

 まともに頭から被り、その血の熱さを全身で感じ取る。

 構わず、そのまま力を込めた。

 すると、柄頭に埋め込まれた宝玉が、歓喜するかのように光り輝く。


 赤竜の咆哮がエティナ火山を震わせ、しばしの後それは止んだ。

 完全に動きが止まったことを確認し、ゆっくりと剣を抜く。

 振り返れば、クラウネルの身体が倒れ伏しているのが見える。

 レオンティナは、誇り高き鋼竜の魂は、もうそこにはいない。

 まだ死んでからそう時間が経っていないためか、身体は腐り落ちないまま原型をとどめているが、器を満たす魂はもうどこにも存在しない。クラウネルの魂は赤竜の魂と入れ替わる形で宝玉から解放され、いずこかへと旅立ったはずだ。

 そして、レオンティナは。

「レオンティナ?」

「……我を呼んだか?」

 魂を震わせるような重低音は、赤竜の口から発せられたものだった。

「……レオンティナなのね?」

「剣に人にその身をやつし三百余年。我はここに我が魂にふさわしき器を取り戻した。……そなたのおかげだ、プレシアよ。感謝しよう」

 レオンティナはそう言うと、翼を打ち広げた。

 熱く滾る溶岩を思わせる鮮やかな紅が、怜悧な鋼を思わせる銀灰色へと染まっていく。気付けば、周囲で噴き出す溶岩が冷え固まり、一帯の雰囲気を一面の赤から黒灰色へと塗り替えていた。この場が、業火を司る赤竜から黒金を司る鋼竜へと支配者を変えた証、ということなのだろう。

 同時に、レオンティナの身体の至る所に刻まれた深い剣傷が恐ろしい速度で癒着し、塞がっていった。


 レオンティナ。

 ロムルス領ブリティアを根城とする鋼竜。

 三百年前、ブリティアを攻め取らんとするロムルス軍の前から忽然と姿を消した伝説の竜が、今ここに竜の身体を取り戻したのだ。それと共に、器はエシリア島の龍脈から切り離され、レオンティナが本来在るべきブリティア島の龍脈との繋がりを得ることになる。傷口が塞がったのはそのためだ。

「飛行に支障はあるかしら?」

「うむ、問題なかろう」

 プレシアはうなずき、了解を示す。

「プレシア様!」

 ヒルダの声は火口付近から聞こえてきた。彼女は周囲の危険が去ったと判断し、赤竜が飛び立った火口の辺りまで登ってそちらを調べていたようだ。こちらへ手を振っている。

「行きましょう」

「乗るがよい。その方が早い」

 レオンティナはそう言ってプレシアの側に身を寄せると、その身体を伏せた。

 巨大さに、圧倒されそうになる。プレシアは、レオンティナが身じろぎしただけで押し潰されてしまいかねないのだ。しかし、レオンティナに限ってはそれはありえないこと。恐怖は理性で押さえつけ、平静を装いながら一抱えでは収まらないほど太い首によじ登る。

「乗ったな? よく掴まるのだ」

 首の付け根にまたがり、そのままぎゅっと首を抱くようにする。乗り心地は決して良くないが、まさか誇り高き竜に手綱を付けるわけにもいかない。

 恐るべき脚力で崖から踏み切ったレオンティナは、その翼を広げしばし滑空すると、力強く羽ばたき上昇へと移った。エティナ火山や麓の村が見る見る間に小さくなるのを見て、あれだけ苦労して登ってきたのが馬鹿らしいような気分に襲われてしまう。

 大空の支配者、竜。

 なるほど、人間というのは矮小だ。

 その視点に立った世界で最初の人間として、プレシアはそんな感想を抱いた。


「シルニアへ飛んでくれるかしら、レオンティナ?」

「うむ」

 応えと共に、レオンティナは凄まじい勢いで飛翔を始めた。

 眼も開けていられないほどの風圧にどれくらいの間耐えていただろうか。

 気付けば、眼下にはシルニアの街が広がっていた。

 馬で三日をかけて歩いた距離を、ものの半時もかからずに飛んできた計算になる。

 電撃侵攻どころの話ではない。

 これならば、敵対する国の国境を抜き、首都だけを焼き払うことも容易い。

 その戦略的重要性は計り知れない。


「レオンティナ。城を、焼き払って」

「よいのか? 加減は利かぬぞ」

「クラウネルへの手向けよ。フェイトは恩讐を決して忘れない。……それに、カルティアについた王族なんて残しておくだけ邪魔でしょう?」

「よかろう」

 立ち向かう勇気を残したわずかな城兵たちがぱらぱらと矢を射かけてくるが、いずれも見当違いか、威力不足。竜鱗に弾かれ、レオンティナを傷つけるには至らない。

「愚かな……」

 苛立たしげに息を吐いたレオンティナは、翼をひるがえしてその場に滞空し、大きく息を吸い込むと城に向けてブレスを放った。

 竜の業火の前に、人間風情の城塞などは張り子に等しい。

 鋼竜の息吹は、鉄をも溶かす灼熱にして全ての生物を死に至らしめる猛毒だ。

 業火は主城を一瞬にして消滅させ、死神の吐息は城内で業火の直撃を免れた全ての人間を毒により死に至らしめていく。

 眼下に広がるのは溶け落ちた城壁、その余波で燃え盛る市街、そして逃げ惑い倒れ伏す矮小な人間どもの姿。プレシアの命令により、エシリア王都シルニアは一瞬にして地獄の釜の様相を呈することとなった。

「なんて……」

 プレシアと一緒にレオンティナの首に掴まるヒルダは、凄惨な光景に身を固くしている。

 人の形をした竜たる竜騎士が絶句するほどの力が、今この手の中にある。

 笑みは自然にこぼれ、いつしかそれは哄笑へと変わっていた。


「……この辺でよかろう」

 プレシアの笑い声を止めたのは、そんなレオンティナの一言だった。

「え?」

 レオンティナは急激に高度を落とし、街の中心部にある広場に降り立つ。

「別れの時間だ、プレシアよ」

 己が背にまたがる二人の人間をいとわしげに振り落した鋼竜は、冷然と告げた。

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