三十三話 血の理
賢き者を血縁とせよ。
愚か者は血縁であろうと斬り捨てよ。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
不気味なほどに穏やかな道中だった。
シルニア出発から一日半。赤竜の住まうエティナ火山の火口まではおおよそ三日の距離と聞いているので、行程の半分を消化した計算になる。
最大の懸念事項は、やはりアンヘリカの存在だ。ここまで動きを見せていないのが不気味だが、彼女の目的がエシリアの竜騎士戦力保有の阻止にあるのだとすれば、往路で仕掛けてくるのは間違いない。最悪の場合、赤竜との戦闘中に介入されて共倒れになることもあり得るので、こちらとしても早めに片を付けたいところだ。
決して、楽観視できる相手ではない。
しかし、過剰に恐れるべきではないともプレシアは考えていた。
アンヘリカは、裏切りの直後にクラウネルを殺害することに失敗した。その時点で、彼女がこれまで隠してきた屍兵術の存在はすでに明らかとなっている。
屍兵術は確かに厄介だが、対処法がないわけではない。プレシアたちが竜騎士候補のエシリア騎士たちを後に残し、少数精鋭による赤竜討伐を狙ったのもその一環だ。
屍兵術を行使するためには死体が必要。ならば、死体を出さなければよい。敵味方の死体が大量に転がる戦場では厄介だが、要はこちらが死ななければ相手の数が増えることはないのだ。
また先日の襲撃結果から見て、屍兵の能力は生前よりも高まるものの、それはヒルダやレオンティナに単体で抗しうるほどのものではないことも明らかになっている。クラウネルは不意を衝かれて追い込まれていたそうだが、開けた場所で真っ向からぶつかりあう分には、屍兵はさほど怖くない。
懸念されるのは質を補うだけの圧倒的な量を用意してくるような場合だが、それにしたところで準備期間を与えなければいいだけのこと。
多くても百か二百。
プレシアはそう読んでいた。
「妙だな」
先を行くクラウネルが立ち止まり、首を傾げる。
ヒルダとレオンティナは前後の警戒についているので、今は二人きりだった。
「どうかなさいましたか?」
少しだけ息を切らせながら、プレシアが応える。エティナ火山は常に噴火を繰り返しているため、比較的なだらかな形状をしているが、ヒルダやクラウネルのような竜騎士について歩くのは普通の人間には少々厳しい。
「この辺りまでくれば地熱で気温が高くなってくるはずなのだが、一向にその気配がない」
「龍脈を切ったことにより、火山活動も弱まっているのでしょう」
そう言えば、今朝出発した村でも気になる話を聞いた。
村人は言っていた。この辺りはブドウやオレンジで有名だが、今年は実りが悪かった、途中までは良かったのだが、数週間前の冷害で一気にやられてしまったのだ、と。一行は誰も口にはしなかったが、思い浮かべたものは同じだっただろう。
そのことを思い出したのか、クラウネルが忌々しげに吐き捨てる。
「竜を討伐し、ロムルスとカルティアを退けた暁には、物忌師を狩り出さねばならんな。奴は僕との約束を破り、途中で逃げだしたのだ。龍脈の件も併せ、相応の報いを受けてもらわねばならん」
「あるいは、物忌師とあの裏切り者は共謀していたのかも知れません。カルティアは、最初から殿下を騙すつもりでいたのでしょう」
「うむ。アンヘリカの裏切りを見抜けなかったのは僕の不明だ。エンリノにはすまないことをした……」
「最後まで、忠義の士であられました」
もっとも、彼の死は半ば以上が自ら招き寄せたものだとプレシアは考えている。エンリノはおそらく、プレシアの手駒であるレオンティナとロムルスの竜騎士であるヒルダを信用していなかった。だからこそ、アンヘリカを問い詰める場に二人を同席させず、エシリアの兵で処理しようとしたのだ。
彼が何を意図したのかは今となっては分からないが、結果としてアンヘリカの敵対が明確になり、クラウネルは自分への依存の度を増した。プレシアとしては、何の文句もない。
「プレシア」クラウネルは立ち止まり、振り返った。「君に、ありがとうと言っておく。君とレオンティナ、そしてヒルダ。エシリア人ではない君たち三人だけが、ここまで僕についてきてくれた。ここまでゆっくり話をする時間もなかったが、僕は本当に感謝している」
そこで一度言葉を切ると、今度は自嘲するように笑ってみせる。
「……いや、君たちだけではない。もしかしたら、この場に本当のエシリア人など一人もいないのかも知れないな。こうして命を懸けてエシリアを救う努力をしている者の中にエシリア人はおらず、当の本人たちは救い主の到来を待ち望むことしかしない。……考えてみれば、皮肉なものだよ」
「…………殿下は、ご自分がエシリア人ではないとおっしゃるのですか?」
プレシアは困惑していた。先ほどの言葉は、そうとしか取れないものだった。
「君はクラウディオの葬儀に出たな。陛下のお姿は見たか?」
「はい」
よく覚えている。老王の側には、若い女と幼い子供がいた。妾とその子供。葬儀に連れてくる是非はおくとして、王族ならばよくあること。
「僕の母は、カルティア貴族の出なんだ。門閥貴族バルカス家は知っているか? 先々代の陛下が、カルティアとのコネクションを求め、三男であった陛下との結婚を決めたのだそうだ」
そこで一呼吸置き、覚悟を決めたように言う。
「……そして、僕と陛下とは、血が繋がっていない。母はエシリアに嫁ぐとき、すでに子を孕んでいたんだ」
「それは……確かなのですか?」
「確証はない。確証はないのだが、僕はそう疑っている」
クラウネルがエシリア王家の血を引いていない。それが真実だとすれば、重要な事実だ。エシリアの王位継承者として公になっているのは現在、クラウネルとクラウディオの二人だけ。一人は生殖機能を失い、一人はすでに亡い。そして、クラウネルの不能はまだ公にされてはいないが、ロムルスもカルティアもそのことを知ってしまっている。自国に都合のいい傀儡を立てるには絶好の機会と言えよう。
「弟は、クラウディオは陛下と、僕の母との間の子供だった。しかし、僕は違う。陛下に疎まれたのも、そのせいだ。僕がカルティアに人質として出されたのも、竜騎士の力を得たことも、全ては、僕が陛下の子供ではなかったからなんだ」
「では、陛下のお側にいた女性と子供は……」
「ああ、そうだ。子供の名前はエア・バスタムーブ。陛下と血の繋がった、真にエシリア王家の血を引く最後の一人だ。僕は……僕は、彼女のことが憎くてたまらない」
クラウネルは苦しげに胸を押さえる。
「このことは、誰にも明かしたことはない。だが……プレシア、どうしても君に知っておいて欲しかった。……教えてくれ、プレシア、僕は……僕はどうすればいい?」
「クラウネル様……」
何か言おうと思ったその時、後方の警戒を任せていたヒルダが追い付いてきた。
「後方に異常はありません。引き続き警戒に当たります」
「……うむ」
「……クラウネル様? どうかいたしましたか?」
「いや、何でもない。頼りにしているぞ、ヒルダ」
「はっ」
よく見れば、その眼に浮かんだ涙の跡が見て取れただろう。しかし、クラウネルはすでに気持ちを切り替えた様子でヒルダに指示を出していた。
プレシアは、自分が平静であることを確認する。
目的も、成すべきことも、何も変わりはしない。
変わりはしないのだと、自分に言い聞かせた。




