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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第四章 カルティアの竜司祭
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三十一話 去りし者と残りし者

ロムルス貴族たるもの、軍学、算術、弁論に熟達すべし。

――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋



 プレシアが異変を感じたのは、クラウネルのいる塔を見上げた時だった。

 窓から見えたエンリノが、首筋から突然血を噴き上げ、倒れたのだ。

 即座にそこまで来る途中で会ったヒルダとレオンティナを向かわせ、プレシアは少し間を開けてその後を追った。下手人のアンヘリカは窓から飛び降りるという荒業を披露したそうで、自分が塔の外で成り行きを見守ることを選択していたらと思うとぞっとした。

 それから半時ほど。

 アンヘリカが発見されたと言う報告はなく、戸口にはレオンティナも貼りつかせてあれば、ひとまずは安全と言える。プレシアは、死体の処理を終えてクラウネルの執務室に戻ってきたところだった。報告のため、クラウネルの前に立つ。

「クラウネル様」プレシアは軽く頭を下げる。「あえて申し上げておきます。アンヘリカの反逆に二人が間に合ったのは偶然に過ぎません。クラウネル様はあそこで命を落とされていてもおかしくなかった。以後、御身の側からヒルダをお離しになりませんよう、強くお願い申し上げます」

 傷口の手当てを受けながら、憔悴した様子で椅子に座り込んでいたクラウネルは、プレシアの言葉にぼんやりとうなずく。

「僕以外の者は……エンリノは、護衛の者どもはどうなった?」

「残念ながら」

 執務室にいた者は全員が死に、そしてアンヘリカの手駒とされていた。レオンティナによれば、それは屍兵と呼ぶのだそうだ。屍兵は痛みを感じず、操者の命令に忠実に動く。腕の一本や二本を斬り落としても動きを止めないので、首をはねるか、身動きが取れないほどに肉体を破壊するしかないのだと言う。

 ヒルダとレオンティナに惨殺された彼らの死体はすでに片づけられているが、流れ出した血は床や壁に染み込み、むせ返るような血の匂いを辺りに漂わせている。クラウネル自身が、すぐ側にいたエンリノの血をまともに浴びて、今なお髪に血をこびりつかせているのだ。

 そして、宰相エンリノは五階に相当する高さを誇る塔の最上階から飛び降りたアンヘリカが着地の衝撃を和らげるためのクッションとして用いたため、塔の根元で血袋と化していた。

 有能な男だったが、死んでしまえば誰もが同じだ。違いと言えば、どれくらい丁寧に葬られるかというぐらい。それだって、後に残された人間にとっての違いであり、死んだ当人にはそれすら関係がないのだ。

 プレシアは、自分はこんなところで死ぬわけにはいかないとの思いを強くする。例え身体を失ってもプレシアさえいれば新たな体を得られるレオンティナや、他人の体を乗っ取って生き延びるフィルシィのような真似はできないのだ。

 同様に、クラウネルにもまだ死んでもらっては困る。彼には、何とかして赤竜を瀕死に追い込み、それから死んでもらうという立派な役目がある。ヒルダの協力を得たり、エシリア王国の支援を受けたりするためにも、クラウネルには生きていてもらわなければならないのだ。


「プレシア殿」ヒルダが階段を駆け上って姿を現す。「アンヘリカは城外へ逃亡。逃げた方向から見て、エティナ火山へ向かったものと思われます」

「逃げたと見せて、再度侵入を図る可能性もあります。警戒を厳に。引き続き兵は三人一組で見回りを行い、侵入者発見の際は報告を最優先にするように」

「はっ」アンヘリカは直立し、くるりと踵を返す。

 現在、城内の兵たちはヒルダが統率している。衛兵長は屍兵化して殺されており、指示を出せる人間が他にいなかったのだ。ヒルダがロムルス人であることへの反発は、クラウネルの命を身体を張って守った事実と、死体を片付ける兵たちにエンリノと衛兵長との陰謀を匂わせることで抑え込んだ。

 もちろん、そんな事実はどこにもないが、非常時なのだ。二人には悪いが泥を被ってもらうことにした。それに、あくまで噂の範囲に留めたので、兵たちの話のタネとなることはあっても正式な記録としては残らないはずだ。故人の名誉は守られ、噂は数か月もすれば忘れ去られる。彼らにとっては、クラウネルへの最後の奉公ということになる。


「クラウネル様」再び呼びかける。「お疲れのところ申し訳ありませんが、即時の赤竜討伐隊編成を提言いたします」

「……人員の選定はエンリノが終えているはずだが……なぜ、そう急がねばならん? そうだ、エンリノを……死んだ兵たちを、弔ってやらねば……」

「……いいえ、急がねばなりません。アンヘリカの行動を鑑みますに、彼女の任務は殿下の暗殺、あるいは赤竜討伐の阻止にあったと考えられます。殿下の暗殺に失敗した彼女は、エティナ火山方面のどこかで我々を待ち伏せるか、先んじて赤竜を討伐しようと試みるはずです。奴の使う屍兵の術は厄介です。急がねば、それだけ奴に時間を与えることにもなりましょう」

 アンヘリカは、もはや屍兵の使用をためらわないだろう。どの程度の規模と範囲で屍兵を操れるのかは分からないが、シルニア周辺の村や町が丸ごと屍兵化されるようなことになれば、赤竜の討伐どころではない。

「クラウディオ、エンリノ……なぜ僕より先に死ぬのだ。アンヘリカ……なぜ僕を裏切るのだ。……なぜだ。なぜ、みんな僕を置いていくのだ……?」

 クラウネルが、誰に向かって言うでもなくつぶやく。

 その態度に、かちんときた。


 ばちん、という音が部屋に響き渡った。

 クラウネルが顔を上げ、目を見開く。

 プレシアが、思い切り机を叩いた音だ。

 固い感触に、両手がじんとしびれる。

「殿下!」一つ息を吸って、激情を飲み込んだ。「……しっかり、なさって下さい。今、殿下はエシリア存亡の岐路に立たれています。この一瞬の判断、そして行動が。王国の、殿下を慕う民草の生死を左右するのです」

 いったん、言葉を切る。

 その間に、言うべきことを頭の中で整理する。

 クラウネルの瞳の色から、内容が理解されていることを確認し、先を続ける。

「死者に惑わされてはなりません。我々は先に進まねばならないのです。心配なさいますな。殿下の行く先はヒルダとレオンティナが切り開きましょう。殿下の背後はこのプレシアがお守りいたします。殿下は、ただ我々の行く手を指し示し、光で照らして下さればそれでよいのです」

「…………」

「もはや時間の猶予がありません。王都がロムルスに蹂躙されるは時間の問題です。我々は、一刻も早く赤竜の討伐に出発せねばならないのです。……ご決断を」

「…………あい、わかった」

 クラウネルが、力強くうなずく。その瞳には、力が戻っていた。

「すまない、取り乱したようだ。……そなたの言う通りだな。事は一刻を争う。おそらくこちらの動きはカルティアに筒抜けになっていたことだろう。すぐにでも出発し、カルティアの横槍が入る前に赤竜の討伐を完遂する」

 そう言って、クラウネルは勢いよく立ちあがった。

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