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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第一章 エシリアの竜騎士
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三話 魅了の魔剣

その身に過ぎたるを統べんとするなかれ。

流離の民たる己が出自を忘れることなかれ。

――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋



 プレシア・フォーフィットは実に満足そうな笑みを湛え、新しい従者を眺めまわす。

 先ほどまで連れていた男の剣士の姿はそこになく、傭兵部隊マメルティニのリーダーであった女、アナトーリアの姿がそこにあった。

「……主殿?」

「うふふふふ」

 少し困ったような声を出す従者の周りをくるくると回りながら、ためつすがめつ眺めてみたかと思えば、べったりとくっついてみたりと、中々に忙しい。

「良い。とても良いわ。お前はどう思う、レオンティナ?」

 プレシアが呼ばわったレオンティナという名は、先には男の剣士が名乗っていたものだ。

 しかしプレシアは、アナトーリアに向かってその名で呼び、従者もまたその呼びかけに応える。


 否、それは人の名ではない。

 ロムルス貴族フェイト家伝来の剣にして、その当主プレシアス・ヘルツ・フォン・フェイト・グローリアの愛剣、レオンティナ・チャームブランド。今はアナトーリアがその背に負う漆黒の大剣こそが、レオンティナと呼ばれる存在の正体である。

 この剣には一つの魔力が込められている。チャームブランド、魅了の剣。剣は持ち主であるプレシアスによって振るわれることにより、その真の能力を解放する。すなわち、フェイト家の当主が誓詞を唱えながら心臓を刺し貫いた者を傀儡とする能力だ。

 フェイト家の筆頭剣士レオンティナ。

 その名は、代々のフェイト家が抱えるもっと優れた剣士に与えられる称号とされている。

 しかし、それは表向きの話。アナトーリアの体が傀儡であるのと同様に、昨日まで使っていた男の体もまた傀儡。人格としてのレオンティナは、始祖アルトリウスがフェイト家を興した数百年前からずっと一つ。

 ただ一人のレオンティナが、何百年もの間フェイト家に仕え続けているのだ。

 より強力で、より迅速で、より精妙な剣技を。

 剣士が強力な剣を求めるように、レオンティナはより強力な傀儡を求めていくつもの身体を乗り換えて今に至っている。

 レオンティナは、新しく使い始めた武器の馴染み具合を試すように手を握ったり開いたりした後、一つうなずいてプレシアの問いに答えた。

「主殿のおっしゃる通り、この素体は非常に優秀です。軟らかくばねがあり、そして力強い。やはり素体は女性に限りますな」

「違う、ティナ。そういうことじゃない」

 彼であり彼女でもあるレオンティナは、男の姿を取る際にはレオン、女の姿を取る際にはティナと呼ばれることを好んだ。

「このアナトーリアという素体、一目見たときから気になっていたの……うん、私好みの顔、そして身体。私の審美眼に狂いはなかった。お前も気に入ったのなら言うことないわ」

「……じきに宿へ着きますれば、このティナがお相手を務めさせていただきまする」

「うん、興が乗ってきたわ。お前も十分に悦ばせてやるからそのつもりでいなさいな」

 プレシアはそう言って眼下に広がる港町へと足を踏み出す。

 ちょうど足元にあった頭蓋骨が、プレシアに蹴飛ばされる形で坂を転がっていく。

 転がっていくそれを、次いで靴のつま先を見て、プレシアは顔をしかめる。

「ああ、もう、腐肉が靴についちゃった。早く洗い流さなきゃ。急ごう、ティナ」

「はい、主殿」

 転がっていったのは、つい先ほどまでレオンティナの傀儡であった男の頭蓋骨。

 その身体はぐずぐずに腐れ落ち、地にべったりと広がっている。傍らに横たわるマメルティニ残党の男たちの死体はまだ温もりすら残しているにもかかわらず、だ。

 これもチャームブランドの副作用の一つ。傀儡とされた者の時の流れは淀み、死した後も決して腐らず動き続けるが、レオンティナが宿主を乗り換えたその瞬間に傀儡の体は本来の時間の流れに立ち返り、その体はたちまち腐れ落ちるのだ。

 多くの死体の中に一つだけ混じる、死亡時間の違う死体。その光景は、その場で傀儡の乗り換えが行われたことを示す明白な証拠となりえるが、プレシアとレオンティナ以外にこの光景の意味を理解する者は少ない。いずれにしろ数日も経てば他の死体も腐り落ち、見分けなどつかなくなるのであり、ことさら隠す必要もなかった。


 レオンティナが丘の影に隠していた二頭の馬を引いてくると、プレシアは鐙に足をかけ鞍上の人となる。ここエシリア島は起伏に富んだ地形と島中央部を住処とする赤竜の危険から、陸路よりむしろ島を周回する海路の方が発達している。常ならば次の街へ向かうには海路を使った方が早いのだが、現在海路は二つの理由により使用不能となっている。

 ともかく、傭兵部隊マメルティニからメッシニアの港街の奪還が成ったのだ。ロムルスの兵たちは戦勝に湧いているものかと思ったが、街に足を踏み入れてもすれ違う兵士たちの顔は一様にどこか晴れない。略奪は日没までと刻限を切られているはずだが、じきに日が沈むというのに兵士たちが抱えている戦利品をよく見れば、穀物袋やワイン樽などの食糧が目立つ。

 プレシアはその光景に疑問を覚える。

 ロムルス軍では、食料に関しては徴発隊が組織され、占領地に餓死者が出過ぎないよう専門の人間が調整しながら徴発を行う。ゆえに、通常ならば兵士たちは食料よりも金銀財貨を優先して略奪するし、食糧を勝手に略奪したものは処罰すら受けるはずなのだ。

 飢餓の恨みは深い。やるなら全滅させる覚悟で徹底的にやる必要があるのだ。

 しかし兵士たちは堂々と食料の略奪を行い、上官たちもそれを黙認している。

 規律の緩みは明白だ。

「ねえ、ティナ。やつら、私たちがフェイト家の当主とその筆頭騎士だって言ったら信じるかしら?」

 鎧兜をまとった人形の意匠を持つ、フェイト家の〈人形の騎士〉の紋章が象嵌されたマントの留め金を弾いてプレシアが笑う。

「残念ながら、マメルティニの残党が帝国貴族から衣服を奪い取ったとしか見えませんな」

 レオンティナはそう言ってフードを深く被る。

 マメルティニの指揮官であったアナトーリアの顔は、拠点としていたここメッシニアではそこそこ売れている。目立つのは避けるべきだった。

 プレシアもマントの襟を引きあげ、裏通りへと馬を進めていく。

「私はまだいいとして、ティナのその服は早く変えた方がいいかな」

「はい、エシリアの衣装、あれはいいものです」

「うん、あれはこう、南国の色香があるよね」

 トーガのように仰々しくはなく、日除けのためにふわりと被る薄絹が女性の肢体を魅惑的に引き立てる。服装は女性の気質にも影響を与えるようで、エシリアの女性はロムルスの女性に比べ、総じて健康的な魅力を放っているのだ。

「カンピニャの衣装も、異国情緒があって嫌いじゃないけど」

「幸い、この女はカンピニャとエシリアの混血のようです。エシリアの衣装をまとっても違和感はありますまい」

 アナトーリアが率いていた傭兵部隊マメルティニは、西方のカンピニャ人を中核としていた。その服装はエシリアはもちろん、ロムルスともカルティアとも異なるため、目立つのだ。またプレシア達の目的を考えると、ロムルス人やカルティア人とばれるような服装は望ましくない。

「何と言ったか、あの商人に言えば用立ててくれるでしょう」

「はい、委細このレオンティナにお任せあれ」

 そんな会話を交わしつつ裏通りの家々の前を進んでいると、通りに面した民家の開け放たれた窓から、ロムルスの兵士が同僚と交わす会話が漏れ聞こえてきた。

 二人はうなずきかわし、プレシアは馬をレオンティナに預けて窓際へ体を寄せていく。

「また竜が現れたそうだ。カルティアの補給船団が沈められたらしい」

「昨日はロムルス、今日はカルティアか。見境なしだな」

「やっぱりエシリアの連中がけしかけてんのか?」

「いや、エシリアの船も襲われるってんで、奴ら自身動けないでいるらしい」

「くそっ、ロムルス貴族の竜騎士様どもは何してやがんだ!」

「竜騎士ったって溺れりゃ死ぬ。貴族さまは命が惜しいから平民が死んでこいとよ」

「……ふざけた話だぜ!」

 窓からちらりと中を覗き見る。

 荒らされた室内、食卓の上で犯され咽喉を掻き切られた女の死体。

 二人の兵はプレシアには気づかず、食糧庫らしい地下へと姿を消していく。

「…………」

「片づけましょうか?」

 いつの間にかレオンティナはプレシアのすぐ後ろに控えていた。

「いえ、いいわ。きりがなさそうだしね。先を急ぎましょう」

「我が主の仰せのままに」


 目指す商人の店はそれほど遠くはなかった。

 路地裏にあるその店は、一見しただけでは普通の民家としか見えない。

 入り口で座り込んでいる若者に手綱を預けると、黙ってどこかへ連れて行ってしまう。

 出発するときには、また街の外で別の人間が馬を連れて待っているのだ。

 扉を開けると、正面には椅子が一つ置かれ、そこに男がかけていた。

 二人が屋内に入ると、音もなく扉が閉められる。

 振り返るまでもなく、そこにも一人控えている。

「モーシャ殿はいらっしゃるだろうか?」

 レオンティナがプレシアの前に立ち、洗練された挙措と言葉遣いで問いかける。

「先客、いる。少し待て」

 椅子にかけている、白い服を身にまとった肌の黒い男がぼそりとつぶやく。

 彼の名前はアッゴ、そして扉の脇に控えるもう一人がオッゴ。

 二人はカルティアの去勢奴隷で、兄弟だ。

 彼らはロムルス兵十人ばかりが雪崩れこんできても、音もなく仕留めて見せるだろう。

 どちらも手練だが、竿なしは好みではないし、顔もいまいちなので食指は動かない。

 何より彼らの飼い主はそこそこ有能なので、機嫌を損ねるのも面倒なのだ。

 幼児の内に奴隷として売られ、戦闘訓練を施され、成年に達すると去勢される彼らは、カルティアの有力な輸出品の一つだ。彼らはエシリアやロムルスの富裕層の間で、決して裏切らない忠実な召使いと屈強な護衛役を兼ねて珍重されている。

 彼らは余計な口を利かない。行きと帰りでプレシアの従者が変わっているのを彼らは見ているが、それについて何か言ったりはしない。

 話しかけられないことを好ましく思って微笑んだとしても、目を向けもしなければ、賢しげな口を開いてすり寄ってくることもない。仮にレオンティナの他に従者を持つなら、自分は去勢奴隷を望むだろうとプレシアは考える。


 分厚い壁と扉で仕切られた隣室からは、モーシャとやり取りする誰かの声がわずかに漏れてくるが、内容までは聞き取れない。レオンティナならばどうかと視線で問うてみるが、彼女は黙って小さく首を振る。

 アッゴはぶっきらぼうに椅子とワインを勧めてくるが、プレシアは首を振って断った。

 同時に何らかの方法で来客が伝えられていたらしく、奥の部屋の扉からモーシャが顔の半ばまで髭に覆われた無愛想な顔を突き出す。

「あんたらか。丁度いい。いきなりだが、護送の仕事を受ける気はあるかい?」

「行き先と人数、それに報酬はどれくらいもらえるのかしら?」

「シルニアまで二人、報酬は前金で金貨十枚、無事辿り着いたらさらに十枚だ」

 レオンティナがいぶかしむように目を細める。

「……余程の厄介事を抱え込んでいらっしゃるようですな」

 シルニアへは、ここメッシニアからカタルニアを経由してずっと南下していけば着く。平時ならば船で半日もかからない距離だ。相場で言えば銀貨一枚というところ。それに対して金貨二十枚であれば、銀貨に換算すれば二百枚にはなる。エシリア王家とロムルス共和国、それに都市国家カルティアを交えた三つ巴の戦乱の最中で、陸路を行かなければならないとは言え、破格の報酬だ。

 ここメッシニアは、形としてはエシリア王家に雇われていたマメルティニの勢力下にあり、そしてつい先ほどロムルスの手に落ちた。行き先であるシルニアは、エシリア王家の城がある王都で、現在ロムルスによって陸からの攻囲と海上の封鎖を受けている。加えて、そんな大金を報酬として提示すれば逆に怪しまれることに、まともな金銭感覚を持つ人間なら気付くだろう。

「詰まるところ、逃げ遅れたエシリア貴族ですか」

 レオンティナが看破する。

 モーシャは答えない。依頼を受けるか否か、受けないのなら客の情報については去勢奴隷のように口をつぐむのが、情報屋にして仲介屋のモーシャという男の美点の一つだった。

「私は受けてもよいかと存じますが、いかがいたしましょうか」

「ティナがそう思うのならそれでいいわ」

 モーシャに向かってうなずき、承諾を示す。

 プレシアはレオンティナの判断に絶対の信頼を置いている。彼女が判断を違えることは滅多にないからだ。


 そして彼女たちは出会うことになる。

 後に第一次フォエニク戦争、またの名を火竜戦争と呼ばれることになるこの戦争の、エシリア王国最大の功労者にして王国の滅亡の引き金を引くこととなった人物、エシリア竜騎士団の最初にして最後の総帥、クラウネル・バスタムーブ、その人と。

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