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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第三章 最後の物忌師
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二十八話 お師匠様との出会い

世界とは、片方の皿に死を乗せた天秤のようなもの。

死によって失われるものが大きければ大きいほど、その生は多くを得ることになる。

愛しなさいな、呪いなさいな、そうして死になさいな、私の愛し仔。

――師の言葉


 この世で最も嫌いなものを一つ挙げろと言われたら、きっと自分は迷った末にカルティアの竜司祭と答えるのだろう。そう、フィルシィは思う。竜司祭とお師匠様、どちらを先に挙げるかは悩ましいところだが、しかしこの世で最も好きなものを挙げろと言われたら、自分は自分自身かお師匠様のどちらを挙げるか悩むだろうから、やはり二番目に嫌いなものだとしておくのが妥当だと思うのだ。

 愛憎半ばする、などという使い古された表現が頭に浮かび、苦笑する。それはあまりにもずれている。お師匠様との、彼女との関係は、そんなに単純なものでは断じてない。


 フィルシィは、ロムルスで生まれた。

 物忌師のオース・フィルシィとしてではない。

 さる大貴族に孕まされた使用人の子供として、この世に産み落とされたのだ。

 フィルシア・ロムニカ。

 その名は、大貴族である父から与えられた唯一のものだった。

 家名を名乗ることは許されず、私生児として扱われようとも、幼いフィルシアにとってそれは宝物だった。


 幼いフィルシアは、いくつかのことを教えられた。

 それは例えば、次のような言葉だった。

 本来なら下賤な使用人の血が混じった彼女が屋敷に残ることなど許されるはずがない。

 下手をすれば禍根を断つために命を奪われていてもおかしくなかった。

 正嫡の子供たちと一緒に育てられる幸せをよく噛み締めよ。

 ご主人様から直々に名を与えられたことを名誉に思え。


 繰り返し繰り返しそう教え込まれて育ったフィルシアは、それを信じた。幼子は下賤な血を引く母を蔑み、その血が自分にも流れていることを嫌悪した。それは無理もないことだったし、そうして貴族家への忠誠を示し続けなければ、たちどころに命を失っていたであろうことは想像に難くない。母は正妻たる女の怒りを買ったことにより、物心つく前にすでに放逐されていれば、彼女の間違いを正す者は誰一人いなかった。

 唯一の庇護者たりえた母は屋敷から放逐されたにもかかわらず、子供だけがそのまま大貴族の子として育てられたのには理由がある。大貴族は純血の竜騎士だったためだ。その血を引く子供は竜騎士の力を発現させる可能性を秘めている。子供のころから仕込んでおけば、力が発現した暁には優秀な手駒となるのだ。ロムルスでは、別に珍しいことではない。

 また、仮に力が発現しなくとも、女であれば政略結婚に使える。大貴族家との繋がりを持ちたいと願う人間は腐るほどいたし、確率はぐっと落ち込むものの、竜騎士の力が隔世遺伝する例もままあることだ。私生児の『半竜』でも構わないから嫁に欲しいと言う輩は掃いて捨てるほどいた。

 下賤の生まれ、それも半分しか竜の血を引いていないとは言え、四人も孕ませれば一人くらいは竜騎士として生まれてくるだろう。

 そんな浅ましい言説もまかり通ってしまうのがロムルスという国なのだ。というより、より多くの竜騎士を生み出すためにそうした誤解を積極的に流布している節さえある。

 あえて普通の女を孕ませて、私生児の竜騎士を数多く作ることにより自らの血の強さを誇ったり、発現こそしなかったが自らも竜騎士の血を引いているのだと誇示するために、子供に竜騎士の力が発現するまで手当たり次第に子供を作ったりなどという向きに至っては、もう救いようもない。


 フィルシアがフィルシィとなって後、竜騎士能力の発現について自分でも調べたことがある。その結果、力の発現の法則は実際にはそう単純なものではないと分かった。例えば両親ともに純血の竜騎士ならば九割九分が力を発現させるが、その身に流れる竜騎士の血が半分であれば三割、四分の一であれば一割ほどまで、力の発現確率は落ち込む。

 そこまで正確な数値が出ているかはいざ知らず、血が薄まれば発現の確立が薄れるという経験則は竜騎士を擁するロムルス貴族家の間ではよく知られている。当然、血統の維持は何よりも優先される。ロムルス共和国が四百年をかけて築き上げた現在の版図は、竜騎士の力なくしては維持することすらままならない広大なものとなっていたからだ。

 領土拡大の過程では戦力の確保と血統の維持のために、おじと姪、おばと甥、あるいはいとこ同士の結婚が推奨されることとなり、その伝統は今も続いている。今は敵対している貴族家同士が、何代かさかのぼってみれば祖を同じくしていたなんてこともざらにあるのだ。

 特に、負傷などで戦闘には耐えられない身体となった女竜騎士を待つ運命は悲惨だ。家名があるならばまだしも、ロムニカあるいはレムニカの苗字を持つ私生児に選択の余地はない。元老院より住まいと年金が支給される代わりに、元老院が遣わす男との間に子供を設け、竜騎士の力を持つ子供を産み育てることが法律により義務付けられている。「苗床」「竜駆り」といった単語で言い表されるそれを忌避しない女の竜騎士はいないだろう。


 私生児フィルシア・ロムニカは、聡い子供だった。

 彼女の生きる世界が、聡くあることを彼女に強いたのだとも言える。

 幼い彼女は、一つ下の正嫡の子供の振る舞いを見ながら、大人に気に入られる術を学んだ。常ににこにこと笑い、明るさと大人しさを使い分けた。わがまま放題に振る舞うお坊ちゃまの側にあり、年長者としての在り方と、将来の主人となる人物への服従とを示し続けた。そうしていれば、周囲の人間は彼女を褒めてくれたのだ。

 周囲の視線の変質に気付いたのは、五歳ごろのこと。

 後になってみれば分かる。周囲の人間は、フィルシアの態度を褒めながらも恐れていたのだ。ほんの幼子の何を恐れていたのか。決まっている。幼子らしからぬ大人びた振る舞いと、その身に流れる竜騎士の血を、だ。彼らは、竜騎士の力を発現させたフィルシアが未来の主人の片腕となって自分に復讐をする、その可能性を恐れたのだ。

 フィルシアには、五歳の子供としてのあるべき振る舞い方が分からなかった。周囲に自分と同じ幼い子供は正嫡の息子ただ一人。彼は将来の主人となるべき人であり、他の者とは違うのだと教えられたので、参考にはできなかった。彼女が手本としたのは、父でありながら一度もそう呼ぶことを許されなかった当主の側に付き従う、一人の剣士だった。

 彼もまた、私生児だった。当主の父、つまり先代の当主が使用人に産ませた私生児だったのだ。彼は竜騎士として、当主の生きた剣、貴族家の生きた盾として、生まれた時からずっと当主の側にあり続けた人物だった。周囲の人間はフィルシアに彼を手本にするように促し、彼自身は時折、言葉少なにフィルシアを教え諭した。だが、彼女はむしろ彼の生き様を目に焼き付けることで、自らの行動の指針とした。

 徹底的な服従。そして弛まぬ鍛錬。

 幼いなりに、彼女はそれを真似た。

 だが、どうしても真似のできないものがあった。

 それは、天分。

 フィルシアに、竜騎士の力の発現のときが訪れることはついになかった。

 いつしか、視線に含まれる畏れには蔑みの色が混じり始める。

 蔑まれて然るべき対象に自らが抱いていた恐れ。

 それが怒りに転じるのに時間はかからなかった。

 そろそろ命の危険を感じるようになったころ、フィルシアは嫁入りを命じられた。

 カルティアを牛耳る門閥貴族、バルカス家の次男とだ。


 フィルシア五歳、相手は三十後半のときだった。

 典型的な政略結婚。

 年齢で言えば、五男か六男あたりがちょうどよかったのだが、ロムルス大貴族家の目的がカルティア門閥貴族の富そしてカルティア政界への影響力の行使である以上、正嫡とは言わないまでも次男か三男に嫁がせる必要があったためだ。その代償として、門閥貴族の側は秘密裏に竜騎士の血筋を手にすることができるという寸法だ。

 それからの十年間は、思い出すだけで胸が悪くなる。

 相手との歳の差は三十以上。

 だが、彼にとってそれは障害ではなかった。

 何としてもフィルシアに竜騎士の子を産ませなければならないという義務、そして彼自身の生来の嗜好がおぞましくも噛み合った結果、あの地獄の十年間を耐え忍ぶはめになったのだ。思い出すだけで、身震いする。恐怖ではない。それに甘んじ、唯々諾々と身体を任せた自分自身の情けなさに、だ。

 フィルシア、十五歳の夏。

 彼女は最初の子供を産んだ。

 そして、彼女は出会う。

 彼女の人生を決定的に狂わせた魔女。

 物忌師の、お師匠様と。


 出会った理由がなんだったかは、忘れてしまった。

 おそらく、産後の肥立ちが悪かった何かしたのだろう。

 当時のカルティアには、数は少ないながらもそれなりの数の物忌師がいた。

 もちろん各々の力量には差があっただろうが、貴重な『苗床』を死なせるわけにはいかない門閥貴族家は、カルティアで最も名声の高い物忌師としてお師匠様を招請した。当時、すでに百歳とも二百歳とも言われていたお師匠様は、弱々しく寝台に横たわるフィルシアの前に、神々しいまでに若く美しいその姿を現した。それは、まるで夢の中の神様のようだった。少なくとも、その時のフィルシアにはそう思えたものだ。

 その可愛らしい愚かさは、もはや懐かしくすらある。

 十五歳になっていたとは言え、彼女はまだ幼かったのだ。

 夢の中に現れる美しいものなど、幻か悪魔に決まっているというのに。

 なお悪いことに、それは無害な幻ですらなく、悪意と魔力に満ち溢れた悪魔だった。

 そのときフィルシアは、悪魔に魂を売り、新しい名前を得た。

 オース・フィルシィ。

 穢れた呪い。

 それは当時のフィルシアの心境にぴったりの名前だった。


 そして五年が経ち、転機が訪れる。

 フィルシィが二十歳のときだ。

 お師匠様はフィルシィを捨て、黒竜と契約した。

 今では熱砂の国として知られるカルティアだが、そうなったのはほんの三百年ほど前、お師匠様が黒竜との契約を結んでからだということはあまり知られていない事実だ。契約により、竜から大地にもたらされる恵みと実りの力はその使途を限定された。すなわち、お師匠様の生命の維持と、新たな竜騎士との契約にのみ行使されるようになったのだ。

 お師匠様がどんな策略を使って黒竜との契約を結んだのかは分からない。

 ただ、カルティアの地で物忌師の力が行使できなくなったことにより、フィルシィはお師匠様が無事に契約を終えたことを知った。それに続いて黒竜教会が創始され、竜司祭が竜騎士を生み出し始めた。彼らが真っ先にやったのは、物忌師狩りだった。万が一にも他国が竜との契約を結んだり、黒竜との契約を何らかの方法で破棄させたりしないがための措置だった。

 それから三百年。

 黒竜はまだ生きている。

 つまり、黒竜と契約を結んだお師匠様もまたどこかで生きているということだ。

 だから、フィルシィは彼女を探し出し、呪い殺さねばならない。

 理屈ではない。

 それが、お師匠様の願いを叶えてあげられる、最初で最後の機会なのだから。

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