二十七話 転換点
奪い、喰らい、死を迎えよ。
死、それは汝の友の名だ。
彼は常に汝の傍らにある。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
七都市の内の四つ。それがクラウネルと話し合って決めた龍脈切断の目標数だった。敗走により厳戒態勢が敷かれているであろうロムルス勢力下の都市は避け、カルティア勢力下にある四都市の内の三つで秘密裏に龍脈の切断を行う。
それが赤竜に対してどの程度の効力を発揮するものかははっきりしないが、プレシアたち潜入部隊が三都市で龍脈を切った後は、すぐにシルニアに取って返して赤竜の討伐に向かうと決めた。一か月という制約がある中、龍脈の切断に手間取ってヒルダとレオンティナが赤竜の討伐に参加できなくなる事態だけは避けたいからだ。
実行部隊自体は少人数で構わない。何も都市を取り返そうというわけではないからだ。幸い、門閥貴族に圧力をかけられたカルティア軍が戦半ばにして交易の許可を出し、支配下にある四都市とカルティアの間での交易を再開させていたので、偽装商船を送りこむのは容易だった。
別働隊のクラウネルたちが陸上で派手に動き、カルティア軍の眼を引き付けてくれたこともあり、ガラニア、グリジェニアの龍脈は問題なく断ち切ることに成功した。シルニアも併せ、三つの龍脈を切った計算になる。
四都市の内、どこの龍脈を切るかはプレシアたちの判断に任されていた。残るセルニアとモディニアについては、距離的にも近いセルニアで問題ないと思われた。モディニアはカルティアから位置的にも政治的にも最も近い都市なので、ロムルス人であるプレシアはできれば潜入を遠慮したいところだ。
思えば、ここまで順調に龍脈を切ってきたことが、気の緩みに繋がっていたのかも知れない。セルニアに上陸し、街の中心部にある広場で見つけ出した龍脈を断ち切ったその瞬間、レオンティナがプレシアだけに聞こえる声で警戒を促した。
「囲まれています、主殿」
彼女の方へ顔を向けず、さりげなく口元を隠して囁き返す。
「手強いの?」
「カルティアの竜騎士が複数。兵はいない様子ですが、民に紛れているかも知れません」
「すぐに仕掛けてきそう?」
「さて。ですが、何があろうと主殿はお守りいたします」
主従の会話には、包囲を受けたことへの謝罪もなければ、それを責める言葉もない。時間の無駄だからだ。重要なのはこの場をいかにして切り抜けるかであり、失敗の原因を詮索することではない。
手持ちの戦力と相手の戦力を秤にかける。この場にいるのはプレシアとレオンティナに、フィルシィとヒルダを加えた四人だ。敵が竜騎士ならば、プレシアとフィルシィはお荷物にしかならないが、プレシアはもちろん、フィルシィがこの場で捕まるのもまずい。戦力になる二人の内、一人は護衛についてもらわなければならない。
ぎゅっと目を閉じて、素早く思考を回す。決断し、段取りを組み立てながらヒルダの方へゆっくりと歩み寄った。
「ヒルダ」平静を装って声をかける。「周囲を見回したりしないで聞いて。……今、私たちはカルティアの竜騎士に包囲されています。急ぎ船に向かうので、貴女は先陣を切って。私がフィルシィを連れ、レオンティナが敵を引き付けてくれます」
「分かりました」
ヒルダは微笑みながらうなずくと、来た道をすたすたと引き返し始める。
「フィルシィ? 行きますよ」
手を繋ぎ、ヒルダの後を追う。
さすがの度胸と言うべきか、ヒルダの歩調に乱れはない。
振り返ると、レオンティナはその場を一歩も動かず、悠然と周囲を見回している。
これで、相手が二手に分かれてくれればいいのだが。
「いきなりどうしたのぉ? もしかして、敵ぃ?」
にやにやと笑いながら、フィルシィが顔を覗き込んでくる。無視してもつけあがるだけなので、視線は前方に向けたままでそっけなく返す。
「……黙っていて下さい。死にたいのであれば別ですが」
「冗談。死ぬのは貴方たちでしょう? あははっ」状況を理解しているのか、彼女は心の底から楽しそうに笑い、そして叫んだ。「……ねぇ、隠れていないで出てきたらどうなのっ? わたしたちを監視してるのはわかってるんだからっ!」
止める間もなかった。その言葉に呼応するかのように、路地裏や屋根上から明らかに異質な雰囲気をまとった数人の人間が姿を現す。プレシアは迷わず剣を抜き放つと、そのままフィルシィを袈裟懸けに斬りつけた。
「きゃあっ! 助けて、誰かっ!」
プレシアの不意打ちを、まるで予期していたかのように後ろに跳んでかわしたフィルシィは、顔に邪悪な笑みを張り付けたままで助けを求める声を上げる。それに反応し、プレシアの剣に目を止めた通行人がさっと身を引く。
ただでさえ不利な状況下、非協力的な人間を連れての逃亡は不可能。彼女がカルティアに捕獲されて余計なことを喋られる前にと考えて斬りつけたのだが、それを読まれていた。唇を噛む。
「プレシア殿!」
ちらりと後ろに目をやる。ヒルダはカルティアの竜騎士と切り結んでいた。一対三だが、お互いに鎧を身につけらていなかったのが幸いしていた。どちらも大きく踏み出せず、相手の間合いを測っている。
「くっ……援護します! その隙に突破を!」
あまり披露したい技ではなかったが、そんなことも言ってはいられない。
剣を捨てる。懐に両手を突っ込み、そのまま抜き放った。
左手、そして右手。飛刀についた紅い布が舞う。
左手で投げた紅布の飛刀は一人のカルティア竜騎士の顔めがけて上手く飛んでくれたが、顔をわずかにそらしただけで回避されてしまう。ある意味、当然だ。利き手ではないので、正確でもなければ威力もない。それでも、一瞬の注意は引けた。それで十分。
布付きの飛刀は目くらまし。
それに隠し、同時に右手で投げ放っていた飛刀が竜騎士の太腿に突き立っていた。
声こそ出さないものの、痛みに一瞬だけ身体が強張る。
ヒルダはそれを見逃さず、追撃の刃を突き入れる。
喉首を貫かれた竜騎士は、あふれ出る血を手で押さえながら膝をついた。
お互いに鎧を身につけない立ち会いでは剣速は上がり、一撃が致命傷となる。
思わず吸い付けられる視線を、プレシアは無理にも切る。
突き殺した張本人であるヒルダはもちろん、血を噴き上げる竜騎士の姿に仲間であるカルティア竜騎士すらめをやらない。戦場に立つ彼らは、目の前に立つ、まだ生きている敵しか眼に入れないように訓練されている。仲間の負傷に目をやった一瞬で、それ以上の傷を自分が負わないという保証はどこにもないのだから。
刺された竜騎士が膝をつくより前に、彼らは動いていた。
先に攻めたのはヒルダだ。
彼女が操るバスタードソード〈レイン〉は白く光り輝き、黒い炎をまとうカルティアの竜騎士の剣を押し込む。相手の剣は、ローブの中に隠せる短い刀身のものであり、ヒルダの剣を受け止めるには重さが足りない。
後ろへ跳んで逃げようとした相手に態勢を整える暇を与えず、真っ直ぐに踏み込んで一撃を入れる。切り飛ばされた腕が宙を飛び、横合いからぶつかってきたもう一人の剣が〈レイン〉によって火花を散らしながら受け止められる。
これで二人が無力化され、残りは一人。
しかし、増援が来る前に逃げなければならないという点ではこちらの方が不利だ。
振り返ると、フィルシィはいつの間にか姿を消していた。
血の味がする唇を噛む。
この期に及んでは、せめてカルティアに捕まらずに逃げ切ってくれることを期待するしかない。予定にあった三つの龍脈を全て切り終えていたのは不幸中の幸いと言ったところか。
「……プレシア殿! お早く!」
相手を壁際まで追い込んだヒルダが叫ぶ。
追い込んではいるが、最後の一人が最も手練れだったようで、互いに血を流していた。
二人が鍔迫り合いしている横を走り抜けた。
遠巻きに見ていた群衆をかき分けて前へ進む。竜騎士が珍しいのか、住民たちは逃げるそぶりも見せない。ロムルスやカルティアなら、蜘蛛の子を散らすように逃げていてもおかしくない場面だというのに、その能天気ぶりは会ったばかりのクラウネルを連想させた。あるいは、戦火に焼かれたことのない国というのはこういうものなのだろうか。だとしたら、そんな国に生まれなくてよかったとプレシアが思った、その瞬間。
黒の外套が視界一杯に広がる。
煌くは白刃。
深き黒の炎。
何という、迂闊。
雑踏に紛れ、カルティアの竜騎士が近づいていることに気付かなかったのだ。
眼前に迫ったそれを認識し、プレシアは死を覚悟した。
死ぬときは、あっけないものだ。
せめて、痛くなければいい。
最後にできたのは、痛みに備えて目を閉じることだけだった。