二十五話 目的
たとえ名誉を失うとも、胸に抱きし誇りを忘るるなかれ。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
シルニアからガレニアまでの船旅はおおむね順調だった。べた凪ではあったが海流に乗れたので、日の出とともに出港し、日が沈むころには入港できていた。恐れていたようなカルティア軍による臨検もなく、少々拍子抜けするほどだ。
「じ、地面が揺れてるぅ……気持ち悪いぃ」
ふらつきながらも桟橋を渡り、ようやく上陸したところでへたりこんでしまうフィルシィを、ヒルダが助け起こしている。二人ともエシリア風の衣装を身に着けているので、裕福な商家の姉妹と見えないこともない。プレシアとレオンティナは彼女たちの付き人を装っている。
道中で変わったことと言えば、そう、フィルシィがひどい船酔いになって大人しかったことくらいだろうか。彼女とは出会ってまだ日が浅いが、それでもいくつか気付いたことがある。特にクラウネルやアンヘリカと別れてから顕著になったのが、口調と態度の変化だ。
最初に会った時に見せた妙に扇情的な仕草と口調は、今は鳴りを潜めている。長い間塔に幽閉されていたため情報に飢えているのか、暇さえあればレオンティナの側で何事か話している。後から聞いてみると、この百年間に起きた戦争の詳細を知りたがったり、それ以前に起きた歴史についてのレオンティナの意見を求めたりしているらしい。
プレシアも一度だけ二人の会話を側で聞いてみたが、それは呪い師と女剣士というより、歴史家同士のそれを思わせた。実害はなさそうだと判断できたため、レオンティナには適当に相手をするように命じてある。
結局、最初に会ったときに協力の条件としてフィルシィが出した、レオンティナとの二人きりでの会話の詳細について、プレシアは聞いていない。フィルシィが、レオンティナの正体を黙っていることと引き換えに会話の内容を黙秘するように求めたからだ。
プレシアはそれを聞いて、二人が交わした会話の内容を知るのをあきらめた。レオンティナからそれを聞き出すことによって得られるメリットと、あの勘の良さそうな物忌師にレオンティナの正体を暴露されるリスクでは引き合わないからだ。
また、二人が何を話したのかについては後でクラウネルからも説明を求められた。それについては、レオンティナの剣を見せるよう求められたのだと誤魔化した。事前にクラウネルのいる前でロムルス竜騎士のモーニングスターを見せていたことも幸いしたのか、彼はそれで納得した。
危険だが利用価値はある。それが、フィルシィに関してのレオンティナの見立てだった。彼女によれば、カルティアの黒竜と契約を結んだのは物忌師であり、そのことは竜司祭の中でもほんの一握りの人物しか知らない事実なのだそうだ。まさか生き残りがいて、エシリア王家に囚われているとは思わなかった、とも彼女は言っていた。
だとすれば、これを知っているのはフィルシィとレオンティナ、それにプレシアだけだ。これまでのやり取りから見て、物忌師に関してはクラウネルもアンヘリカも断片的な知識しか持っていないと推察できる。この差がどこかで出てくる場面もいずれあるだろう。
プレシアは、徐々に鍵が集まりつつあるのを感じていた。
始まりは、クラウネルとの出会いだった。
世間知らずの貴族としか見えなかった彼は、今や一国の実質的な指導者として、曲がりなりにもロムルスを退け、その後の展望を臣下に描いて見せているのだ。運と偶然が重なった部分が多いとはいえ、彼以外の誰にも成し得なかったであろうことを、彼は実現させつつある。
この分なら、プレシアとレオンティナがこの島に来た最終的な目的を果たす日も、そう遠くはないのかも知れない。
プレシアの目的。
それは赤竜の傀儡化だ。
フェイト家の悲願であり、今となっては再興のために残された唯一の手段でもある。
プレシアス・ヘルツ・フォン・フェイト・グローリア。
それが、十五代フェイト家当主の真の名だ。
一度は名を捨て、ただのプレシア・フォーフィットとなった今も、彼女はプレシアの胸の内に確かに存在している。それだけは間違いのないことだ。
父と兄の魂に報いよ。
裏切り者に死を与えよ。
名を捨てて以来、彼女がプレシアの寝床でささやかない夜は一度もないのだから。




