二十三話 遺品
百万の軍に成し得ぬことが、ときに一人の狂人の手により成されることもある。
しかし忘れるなかれ。
暗殺がもたらすは、変革にあらず。
其が招き寄せるは、果てなき停滞なり。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
クラウネルの命令によって、アンヘリカが部屋を後にする。
この場に残されたのは、フィルシィにクラウネル、プレシアとレオンティナ、それにヒルダの五人だ。少しだけ考える。先ほどの話を聞いていて、一つ思いついたことがあったからだ。
ただ、ヒルダの存在が少しだけ気にかかる。
話す内容からすると、彼女が邪魔だ。
「クラウネル様、話もまとまったようですので、レオンティナにヒルダ殿へ城内の案内をさせようと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「ん? 案内程度なら兵にさせるが……」
舌打ちしたくなるのをこらえる。君主たるもの、言葉の裏の意味くらい読み取って欲しいものだ。レオンティナに目配せをすると、彼女はヒルダと視線を交し合い、小さくうなずいたヒルダが一歩前に進み出た。空気を読む力は、常に足をすくわれる危険と隣り合わせといってもいい、私生児の竜騎士の面目躍如といったところか。
「クラウネル様。レオンティナ殿も素晴らしい使い手とお見受けしました。プレシア殿のお申し出は、赤竜の討伐に当たって共に剣を並べることとなる者同士、意を通じ合わせておくようにというお計らいかと愚考いたします。せっかくの機会ですので、ありがたくお受けいたしたく存じます」
「ふむ……それも道理であるな。よかろう。二人とも、励めよ」
「はっ。では、失礼いたします」
ヒルダとレオンティナはその場で直立すると、部屋を後にする。
これで、部屋にはプレシアとクラウネル、フィルシィだけが残されたことになる。
「クラウネル様、私からもフィルシィ殿に一つお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わないが」
「私、プレシア・フォーフィットと申します。フィルシィ殿とお呼びしても?」
「……好きに呼びなさいな」
あからさまに興味のなさそうな声音が返ってくるが、気にせず続ける。
「ありがとうございます。……実は、クラウネル様より貴女の使う物忌の力について少しだけお聞きしました。なんでも、人と武器を結び付け、その働きを強めるのだとか。この認識で、合っているでしょうか?」
「……それが?」
「見てもらいたいものがあります」
衛兵に命じて持ってこさせたのは、ヒルダの同僚だった女竜騎士が振るっていたモーニングスターだ。柄には〈フォスフォラス〉と銘打たれている。
ヒルダとの約束通りに生き残りの兵を解放した際、竜騎士の遺体は返還したが、武器は取っておいたのだ。余りに重すぎて竜騎士でないと扱えないと分かってからは倉庫に置かれていた。このことは、ヒルダには知らせていない。彼女はおそらく、死体と一緒にロムルスへ返還されたと思っているはずだからだ。このまま知らせない方が、誰にとっても好ましいだろうと思う。
運ばれてくるのを待つ間、退屈そうにしていたフィルシィの眼が、三人がかりでようやく塔の最上階まで上げられてきたそれが扉から姿を現した途端、釘付けになった。
「モーニングスターね。それも竜騎士用の。……感じからして、ロムルスのもの? 銘は〈フォスフォラス〉か。光をもたらすもの、明けの明星。うん、これ、いい感じ……持ち主の残した想いが伝わってくるよう……ああ」
重過ぎるので床に置かれたモーニングスターに、四つん這いになって食い入るように見つめる瞳には歓喜の光が宿り、うっすらと上気した頬はうっとりとしているようにも見えた。さきほどから繰り返している妙に性的な発言といい、十歳前後としか見えない容貌でそれをやられると、こちらとしては異様な感じを受けてしまう。
「この武器の使い手は……貴方たちが殺したのかしらね。この子からは、赤竜とクラウネルの坊や、それにさっきまでここにいた女の竜騎士への強い殺意が感じ取れるんだけど」
「その通りです。それで、相談なのですが……この武器を、何かしらの形で竜の討伐に使えないでしょうか?」
「んー。……無理かも。前の使い手との結びつきが強すぎるから、このままでは他の人間と結び付けられない。けど……うん、この子、可愛い。気に入っちゃった。わたしが造り替えてあげたら、いい武器になりそう。造るとしたら、何がいいかしらね?」
「では、メイスはどうだろうか?」
クラウネルが口を挟む。
「先の戦ではアンヘリカには両手剣を使ってもらったが、あれでも軽すぎるそうなのだ」
思わず、罵倒する言葉を口にしそうになる。この男、どこまで鈍感なのだ。
フィルシィが機嫌を損ねる前に、フォローを入れる。
「……差し出がましい口を利くようですが、申し上げます。このモーニングスターからでしたら、十本以上の長剣が鍛造できましょう。近い将来、王国は多数の竜騎士を抱えることになります。出来上がった剣を、エシリア竜騎士団員の揃いの佩刀としてはいかがでしょうか?」
「うむ、なるほど。よい助言をしてくれた。では、そうしよう」
クラウネルは、プレシアの提言が気に入った様子で一人うなずいている。
素直さだけが、救いか。
幸い、フィルシィの方もモーニングスターの方に気を奪われていて、クラウネルの発言で機嫌を損ねる様子もなかった。
「長剣でいいの?」フィルシィがことりと首を傾げる。「じゃあ、そうね。この子はこのままでいいから、この手枷を外していただけるかしら?」
そう言って、じゃらじゃらと鎖を鳴らして見せる。
「……何を企んでいる?」
訝しむようなクラウネルの言葉に、フィルシィはむっとした表情を見せる。
「心配しなくても、逃げたりしないわよ。鍛冶場を貸してくれたら、このわたしが一晩で造り直してあげるって言ってるの。赤竜の討伐に協力するって約束したのだから、少しは信じていただけないのかしらね?」
「余計なことをすれば……」
「はいはい何もいたしません。それで、代価としてわたしはなにをいただけるのかしら?」
その言葉に、クラウネルが顔をしかめる。
「魔女め、厚かましいことを……」
「余った材料で作った懐刀を一本。それがダメなら、やらない」
フィルシィはにやりと笑って見せる。
「……クラウネル様」
「……分かっている。いいだろう、お前の好きにしろ、魔女」
「わたしのようなものに過大なご配慮、痛み入りますぅ、殿下ぁ」
「……話は終わりか? なら、僕はもう行く」
最後だけ、あの身体にまとわりつくような声でフィルシィが言うと、クラウネルは嫌そうに顔をそむけ、プレシアに鍵を渡して出て行ってしまった。手枷の鍵を外しながら、プレシアは先行きを思い、そっと息をついた。
魔女はプレシアのそんな様子は気にもかけず、新しいおもちゃを与えられた幼児のような表情で、ただただ武器に見入っているのだった。