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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第三章 最後の物忌師
20/39

二十話 物忌師

貴女には才能があるなんて、嘘に決まっているでしょう。

少し目をかけてやれば、簡単にそんな言葉を信じる。

本当に愚かな、私の愛し仔。

――師の言葉



「――お師匠様ッ!」

 幼い声。

 そう、これは。

 わたしの、夢の中。

 今のわたしには、それが分かる。

 もう、何度繰り返したかも定かではない。

 遠い、ただ遠い、懐かしい気持ちすら抱かせる記憶。

 その日、わたしは、輝かしくも綺麗なこの世界を、犯し穢し呪い滅ぼそうと決めた。

 大人になって思い出し、ふと口元を緩ませるような。

 そんな、誰にでも覚えのある微笑ましさ。

 師匠を止めようとするわたしは。

 可愛くて、健気で。

 とても、儚く。

 そして。

 可愛そうだった。


 袖にすがり付くわたしを、お師匠様が蹴り飛ばす。

 お師匠様は、無様に転がる私を見下し、楽しげに笑う。

「フィルシィ。私の愛し仔。聞き分けのない子は殺してしまいますよ」

「お師匠様、行っちゃダメです! そんなのってないです! だって、お師匠様は……竜と刺し違えて、死ぬ気なんでしょう? なら、だったら、わたしも連れて行って下さい!」

「いいですかフィルシィ」お師匠さまは優しく微笑む。「心配しなくとも、私は死んだりしません。ただの人間である貴方より先に死んだりしては、それこそ物忌師の名折れというもの。そんなことになったら、死んでも死に切れませんからね。そもそも、弟子ごときが私の心配などおこがましいにも程があるのです」

 蹴られてうずくまるわたしを、お師匠様はさらに蹴り飛ばした。

「お、お師匠様は、いつもそうやって……」

 散々にわたしを痛めつけ。

 そうして本心を隠すのだ。

「こうされるのが好きなのでしょう、私の愛し仔」

 鋭く尖ったブーツの踵が、容赦なくわたしの腹を踏みつけ、えぐる。

「なぜこの私が貴女ごときの言葉に従わなければいけないのか、言ってみなさいな」

「わ、わたしたちは……わたしたち物忌師は、世界に干渉してはいけない。竜にだけは絶対手を出してはいけないって、お師匠様が。竜はわたしたちの力の源で、ううん、物忌師だけじゃない。穀物や果実、狩りの獲物、それに綺麗な水や空気。それら全ての自然の恵みは、竜の力によってもたらされているんだって、そう教えてくれたのは、お師匠様じゃありま…………かはっ!」

 最後まで言い切る前に、みぞおちにブーツのつま先が入り、息が詰まる。

「ねえ、私の愛し仔。私がいつ貴女を私と同じ物忌師と認めたのか、無知蒙昧なお師匠様に教えて下さるかしら。私が貴女に言ったことを私が忘れているなんてことがどうしてあり得ると思ってしまったのか、愚かなお師匠様にも分かるよう懇切丁寧に説明して下さるかしら」

「お、師匠様……」

 淡々と責め句を紡ぐ、薄い笑みの口元。その瞳には、慈愛の光。

 紡がれる言葉は、歌うように、呪うように耳へ届く。

 視線がぶつかりあい、瞳を覗き込まれる。

 瞳を通し、魂を丸裸にされるような寒気を覚えた。

「そう、いい眼だわ。……愛しなさいな、呪いなさいな、私の愛し仔。理不尽な暴力、どうしようもない不条理。貴女を苛むそれら全てのものを忌み嫌いなさいな。……ねえ、知ってるかしら。私、貴方なんて何とも思っていないのよ。いいえ、最後だから言っておこうかしら。……私、貴女のことが大嫌いだったのですよ、私の愛し仔」

「う、うう……!」

「私、言葉も喋れない獣を育てた覚えはないのだけど」

 冷徹な言葉。

 再びの蹴りがみぞおちに入り、わたしの息を詰まらせる。

 しかし、何か喋らなければ蹴られ続けると予感したわたしは、必死に声を絞り出す。

「…………そ、そんなに死にたいなら」

 吐き出すように。

「…………お師匠様なんて、死んじゃえばいい」

 そんなわたしの憎まれ口に、お師匠様は満足げな笑みを浮かべた。

「そう、それが物忌師の本質。呪いなさいな、殺しなさいな、私の愛し仔。たとえその命が尽きたとしても、その想いで現世の理を捻じ曲げて見せなさいな。そうして、いつか私を呪い殺してごらんなさい。私だって、鬼ではありません。仮にそれができたのなら、貴女も物忌師として一人前なのだと認めるもやぶさかではありません。いいですか、決して呪い続けることを止めてはいけませんよ。私を呪い続ける限り、貴女は死にません。貴女の想いが現世にあり続ける限り、貴女という存在がこの世から消え去ることは決してないのです。それを忘れなさんな、私の愛し仔」


 そして、夢の中のわたしは、意識を失う。

 それを見届けたお師匠様が、わたしを見下ろしながらささやく。

 それは、幼い私には決して見せなかった、どこか気弱さを感じさせる声だった。

「……ロムルスの竜は殺されました。ブリティアの竜の行方も知れません。放っておけば、カルティアの竜も遠からず殺されることになるでしょう。私は、それを防ぐために竜と契約を結びに行くのですよ、私の愛し仔。……実を言えば、カルティアなんて滅んでしまってもいいのだけど……そう、貴女の命を保証することと引き換えにと言われてしまえば、仕方がありません。だって、貴女、弱いんですもの。いちいち守ってたら、私の命が持ちません」

 お師匠様は一度言葉を切ると、唇を噛む。

「……全く、私も堕落したもの。でも、これも流れ。時代の流れなのでしょう。竜は表舞台から姿を消し、物忌師は歴史の狭間に消える。ああ、そんなつまらない未来が目蓋に浮かぶよう。……本当に、本当に不愉快極まりない。誰も彼も、私の研究の邪魔ばかりするんですもの。これはもう、みんなして私に呪って欲しいのだと解釈しても構いませんよね、私の愛し仔?」

 夢の中で、お師匠様は言う。

 意識を失っていたわたしが、それを聞いたはずはない。

 だから、これが本当にお師匠様の言ったことかどうかはわからない。

 けど、そんなのはささいなこと。

 これはお師匠様の言葉だ。

 そう、きっとそう。


 しばらくして意識を取り戻したわたしは、気持ち悪さに吐き、そしてお師匠様の姿がないことに気付いた。その日以来、悪夢を見ない日はない。繰り返し繰り返し、別れの場面をなぞり続けた結果、今ではもう何が本当で、何が夢なのかも分からなくなってしまっている。しかし、それが物忌師であるわたしの原点。わたしが今もこうしてここに存在し続ける、たった一つの理由なのだ。

 気絶したわたしにお師匠様が投げかけた、最後の言葉。

 それは、痛々しいほどに別れの言葉だった。

 その言葉を、わたしは噛み締めた。

 最初は、らしくない、と思った。

 お師匠様は、わたしを詰ることはあっても、わたしに問いかけたりは決してしなかった。問いとは、お師匠様にとって、自分と同格の者にしか投げかけるものだったから。最後まで弟子でしかなかったわたしは、拾われてから一度たりとも本当の意味で問いかけられたことはなかった。

 けど、わたしが覚えているお師匠様の最後の言葉は、わたしに問いかけるものだった。私はその時、確かにお師匠様に問いかけられたのだ。

 だから、わたしは。


 目覚め、そして呪いの言葉を吐く。

「……本当、何百年経ってもムカつくんですから、もう、あのお師匠様、死ねばいいのに」

 フィルシィは、幽閉されている。

 エシリア王国はシルニアの王城の一角。薄暗い裏庭に、他の城壁や施設とは切り離されてぽつんと孤立して建つ塔は、見る者に嫌でも不吉な印象を与える。と言っても、フィルシィが塔を外から見たのは今から百年も前のことだ。以来百年間、フィルシィの世界はこの部屋の四方の壁によって区切られてしまっている。

 通称、魔女の塔。

 その最上階の一室が、今のフィルシィにとっての世界の全てだ。

「失礼いたします」

 扉が叩かれ、錠の外される音。


 意識を、切り替える。

 返事はしない。

 どのみち、拒否権などないのだ。

 薄く開けられた扉の隙間から、二人の侍女が滑り込んでくる。

 扉はすぐに閉まり、再び錠のかかる音。

 いつもの通り、厳重なことだ。

 寝台に腰掛けて視線を下せば、どんなに屈強な男でも引きちぎれはしないと思えるほど頑丈な鋼鉄の手枷が嫌でも目に付く。そこから伸びた鎖は部屋の隅に固定され、フィルシィには扉に近づくことはおろか、窓から身を投げることもできない。

 二人の侍女は、フィルシィの手が届かないだけの距離を開けて、そろってお辞儀する。

 侍女の一人は頭を上げると、少し震えた声で告げる。

「殿下がお会いになられます。お召替えをお手伝いいたします」

「殿下ぁ? 陛下じゃなくてぇ? クラウディオの坊やが何の用があるっていうのぉ?」

「い、いえ……あの……」

 狼狽する侍女の袖を、もう一人が引く。

 二人はうなずきかわすと、口を引き結んだままフィルシィの服を剥がしにかかる。

 もとより、返事は期待していない。

 彼女たちは、フィルシィと口を利くことを許されていないからだ。

 二人の成すがまま、フィルシィの身体に衣装が着せ掛けられていく。手枷はつけたままなので、普通の服は着れない。彼女たちが持ってきたのは、ロムルス風のトーガだ。これなら、手枷を外さずとも体に巻き付けるだけで格好がつく。

 極言すれば一枚の布でしかないトーガは、この国では少し暑苦しいのだが、文句を言っても聞き入れられた試しがないのだから、仕方がない。

 着替えが終わると、二人はそそくさと部屋を後にする。

 錠が開けられ、そして閉じられる。

「可愛らしい幼女相手に、臆病なこと」

 両腕を持ち上げ、もみじのような手のひらを胸に当てる。服の上から揉んでみた。手枷同士は拳一つ分の長さしかない鎖で繋がれているので、両手は常に一緒に動かす必要があるのだ。

 ふわふわとした感触。

 しかし骨の形が分かってしまうくらい薄い。

 とても殿方の一物を挟み込むことなどできそうもない。

 ぺらっぺらだ。

 寝台の脇に置かれた水盤を覗き込む。水面に映る相貌は、どこからどう見ても幼子のもの。女どもを籠絡して脱走の手引きをさせられないものかと色々試してはいるのだが、この姿で他人を籠絡するのは中々に難しい。せめてあと五つか六つ歳を取った身体であればと嘆息するが、それも詮無いことだ。

 思えば、かれこれ百年はこの塔に閉じ込められているのか。

 初めのころ、準備不足のまま何度も脱走を試みたのがまずかったのだと今は思う。

 塔の魔女の存在はバスタムーブ家の秘中の秘とされ、家訓で定められた監禁の手法は時代を経るごとに厳重になっていく一方だ。

 フィルシィにできることと言えば、悪態をつき、呪いの言葉を吐くくらいのもの。


 ここでは、特に何もすることはない。

 無為に時を過ごすのも何なのだが、思索を巡らすぐらいしかすることがない。

 人が訪ねてくるのでは、趣味の書き物をする気にもなれないので、上を見上げる。

 高い位置に設けられた窓からは、青空しか見えない。しばらくの間ぼうっと眺めていると、階段を上るいくつかの足音が聞こえてきた。

 鍵音に続き、扉が大きく押し開かれる。

 先頭に立つのは、白金で鍍金された板金鎧をまとった、見慣れない騎士。それに、ロムルス貴族めいた顔と衣装の女が一人、そしてそれを守るように控える、エシリア風の衣装をまとった女剣士が一人、続いて入ってくる。

 貴族女の方は、一目見ただけで、腹に一物を抱えた輩だと直感した。

 フィルシィの嫌いな類の人種だ。

 だが、それはどうでもいい。


 真に見るべきは、女剣士の方だ。

 一目見た瞬間、目が引き付けられた。

 その立ち居振る舞い、腰に帯びた黒鞘の長剣。

 物忌師であるフィルシィだからこそ分かる。

 この女は、自分と同類だ。

 二十そこそこの外見はかりそめのもの。

 目を閉じれば、ありありと感じられる。

 そこにいるだけで気圧されそうになる、濃厚な生の気配。

 何百年もの歳月を経たものから感じ取れる魂の輝き。

 どんな人間なのか、いや、そもそも人間なのか。

 知りたい。

 目蓋を上げれば、視線は彼女の剣、そして顔に自然と引き付けられていた。

 どこまでも深く澄んだ瞳は、静かにフィルシィを見返す。

 彼女もまた、フィルシィがどのような存在か勘付いているのだ。

 何という幸運。

 こんな場所で、彼女のような存在に会えるなんて。

 思わず、笑い出しそうになる。

 ああ、でも。

 今は駄目。

 意識して。

 切り替えなければと考える。

 女剣士のことは、ひとまず思考の外に置かねばならない。

 彼女を知りたい、話したい。

 だが、他の人間が邪魔だ。

 彼女は、無闇に正体をばらされることは望まないだろう。

 彼女と二人きりで話す機会を持つために、何ができるか。

 わざわざ何人も連れ立って訪問してきたからには、何か目的があるはず。

 彼女の方に意識を持っていかれている場合ではない。

 きちんと頭を働かせ、相手の目的を見極め、譲歩を引き出さなければ。

 頭を交渉へと切り替える。

 すっと冷えるような感触。

 そう、これでいい。


 物忌師の業は、交渉に似ているとフィルシィは思う。

 丁寧に伏線を張り、一点に集約させ、望む結果を導き出す。

 必要なのは、ひたすらに考えること、そして入念に準備すること。

 手抜きや気の緩みは、致命的な失敗をもたらす。

 数え切れないほどの失敗を繰り返し、フィルシィは思考と切り替え、感情を切り離す術を身につけた。そこに魔術的な力の介在はなく、単純な思考訓練の賜物だ。我ながら地味だとは思うが、実際に必要であり、役にも立つのだから仕方がない。


 それは、例えば、女剣士に続いて最後に入ってきた女を見て、顔をしかめずに平静を装う場合などに、とても有用なのである。

 仰々しい黒の司祭服は、見紛うはずもない。

 カルティアの竜司祭。

 エシリアの王城になぜ竜司祭がいるのだろうか。

 そして、クラウディオは結局姿を現すことなく、そのまま扉は閉じられてしまう。

 招かざる客を前にし、フィルシィの口は半ば無意識に言葉を紡ぐ。

「クラウディオの坊やが来るって聞いたけど、いないのねぇ? ……ああ、そうか、今日は弔い鐘がずいぶんうるさかったけど、もしかして殿下、死んじゃったのぉ? あははっ、まだ若かったのに、いい気味ぃ」

 紡がれる言葉は、自分自身を見下ろすような感覚で冷静に場を観察する、もう一人の自分が選んだものだ。声の調子、表情、ちょっとした仕草。相手の感情に触れるためにはどうすればいいのかは知悉している。たかだか二十年や三十年しか生きていない人間の感情を逆撫ですることくらい、フィルシィにとっては赤子の手をひねるも同然のことだ。

「黙れ、魔女め……!」

 騎士が声に怒りをにじませる。

 その声には、聞き覚えがあった。

 記憶が刺激され、幼い相貌と、目の前に立つ男の相貌が一致する。

「思い出した。クラウネルの坊やじゃありませんかぁ。えぇえ、わたしは覚えておりますよぉ、殿下がおもらしして泣き叫ぶおっきな声、可愛らしかったですものねぇ。最近は見ないからいつの間にか死んだのかと、おねぇさん心配していたのですよぉ?」

「……物忌師オース・フィルシィ。それがこの者の名だ」

 クラウネルは、フィルシィを無視することに決めたらしい。

 感情を押し殺したような声音で、後ろに控える女たちにフィルシィの名前が伝えられる。

「よろしくぅ」

 無邪気に見えるだろう笑顔を浮かべ、手を差し出して握手を請う。

 もっとも、手枷を付けられているので、両手を差し出すような形にしかならない。

 当然のように、全員がそれを無視する。

「……およそ百年前のことだ。僕のご先祖がこの魔女を捕らえ、ここに幽閉した。こいつには極力触れたり触れられたりしないように気を付けるんだ。どうやってかは分からないが、この魔女は他人の体を乗っ取って生き長らえる。化け物だ。一体いつから生きているかも分からない」

「過分なお褒めの言葉、痛み入りますぅ」

 丁寧に頭を下げて見せる。クラウネルの舌打ちをこらえるような表情が拝めた。

「この体は、僕の曾祖父の妹に当たる方のものなのだと伝え聞いている。こいつに乗っ取られて以後、その体は成長を止め、ずっとこの姿を留めているのだそうだ」

「乗っ取った、というのは心外ですねぇ。三代前の陛下とわたしは愛し合い、陛下はご自身の意志で、ご自身の娘の体をわたしに下されたのですよぉ? いくら身内の恥だからってぇ、不名誉を隠すために真実の歴史を歪めるのはどうかと思いますねぇ、おねぇさんは?」

「黙れ、下郎! 誰のおかげで生かしてもらってると思っている!」

「またまたぁ、わたしが死んだら寂しいくせにぃ。舐めた口は利かない方がいいとおねぇさんは思うなぁ。じゃないともう、舐めたりとか、挿れたりとか、昔してあげたみたいにえっちぃことしてあげないよぉ? 久しぶりだから、したいよねぇ? なんなら今してあげるから、ズボン下ろしてもいいんだよぉ? どれくらい成長したか、おねぇさんが見てあげよっぁ?」

 その言葉に、クラウネルは目をかっと見開く。

 剣の柄が掴まれ、ぐっと力がこもるのが見て取れる。

 そのまま抜いて斬られるかと思ったが、そうはならなかった。

 竜司祭の女が、いつの間にかクラウネルのすぐそばに立っている。

 クラウネルの剣の柄頭に手を当て、抜かせないように押さえていた。

「ん……あっ……太いので、貫いて欲しかったのにぃ。……そっか、殿下を寝取ったのはカルティアの竜司祭、貴女なのね? ふふっ、もしかして、せっかく手懐けた可愛い子犬ちゃんを取られそうになって、おねぇさんに嫉妬しちゃった?」

 挑発してみるが、女は涼しい顔で眉ひとつ動かさない。

 これだから、竜司祭は嫌いなのだ。

 それに比べると、クラウネルは分かりやすくていい。

 先ほど、剣を抜こうとした一瞬。

 どす黒い気が漏れていたのだ。

 それは、カルティアの竜騎士の証。

 エシリア王家の第一継承者である彼がなぜそんな気配をまとっているのかと驚くが、見間違いであるはずもない。彼は、カルティアの黒龍と契約を結び、竜騎士としてこの場に立っているのだ。

 となれば、彼は男根を失っているはず。

 軽い挑発にあそこまで激昂したのは、そのためか。

 だとすれば、竜司祭がここにいる理由も何となく推察できる。

 カルティアは、何らかの取引により彼に竜騎士の力を与えた。竜司祭の女が付けられたのは、クラウネルの監視、そして場合によっては暗殺するためだろう。彼女はそのためにここに送り込まれたのだ。それを理解しているのかいないのか、クラウネルに問うてやりたいところだが、どうせ何を言っても信用はされまいと思い直し、口をつぐむ。そもそも、彼に教えてやる義理もないのだ。

「物忌師フィルシィ。貴様にやってもらいたいことがある」

「そこの女と、今ここで、犬みたいに後ろからまぐわうのを見せてくれたらおねぇさんなんでもしちゃうよぉ?」

 そう言って竜司祭の女を指さしてやる。

 女は無表情。

 クラウネルは顔を引きつらせながらも先を続けた。

「……取引だ。この剣に誓い、貴様が僕との約束を履行した暁には貴様を解放する」

「おねぇさん、耳が悪くなったのかしら。今、タマなしが誓うって口にしたのかしら?」

 止める間もない早業だった。

 首筋にぴたりと据えられた剣は、正確に薄皮一枚を裂いていた。

 顔を動かさずに視線を斜め下にやると、垂れた血が服を赤く濡らしていた。

「それ以上愚弄すれば、斬る。二度は言わんぞ」

 その声に、ぞくりとする。

 ねっとりとした、まといつくような憎悪の込められた言の葉が、心を震わせる。

 子供のころから変わらない、真っ直ぐな印象を保った青年が、フィルシィだけに向ける感情。その迸りは、膣に注がれる熱い精液のように、フィルシィを高揚させる。

「おねぇさんに、何を望むのですか、坊や?」

「僕は竜を討伐する。ロムルスやカルティアの顔色を伺う古き時代に終わりを告げ、これからはエシリアの人民の手で未来を切り開くんだ。貴様には、それを手伝ってもらう。……断るのなら、貴様を生かしておく価値はない。この場で斬る」

 真っ直ぐに発せられた言葉。

 フィルシィはその中に、かつてのお師匠様の言葉を聞いた。

『本当に、本当に不愉快極まりない。誰も彼も、私の研究の邪魔ばかりするんですもの。これはもう、みんなして私に呪って欲しいのだと解釈しても構いませんよね、私の愛し仔?』

 そう。

 本当に。

 こればかりは、お師匠様に同意できる。

 人間というのは、心の底から不愉快極まりない。

 フィルシィに呪い殺して欲しくてそんな風に振る舞っているのだと思うと、可愛くて愛おしくて、呪い殺してあげたくてたまらなくなってしまう。けなげなお願いなど嘲笑い、全てをめちゃくちゃにしてやりたくなってしまう。

 けど。

 それが時代の流れだと言うのなら。

 フィルシィは、心にもないことだって言ってみせる。

 そう、決めているのだ。

「いいよぉ、面白そうだしぃ。ただし、一つだけ条件があるのよねぃ」

 指さすのは、女剣士。

「彼女と、二人だけで話をさせて」

 彼女は、まるで品定めでもするかのように、ただ静かにフィルシィを見返していた。

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