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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第一章 エシリアの竜騎士
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二話 黒竜との契約

七つ首を持つ竜、世界を創造せんとす。

其は初めに光と闇を成し、天地を分かち、火と水を喚び、生命の誕生を祝した。

――「創世神話」より抜粋



 世界最大の都市国家にして、数多の植民都市を抱える帝国、カルティア。

 気候は一年を通じて温暖、というよりはむしろ熱帯に属するだろう。穏やかな気候の故郷を離れ、豪壮な屋敷の中の一室に起居する青年は、汗が背中を伝って落ちるのを感じていた。もっとも、それは暑さのためだけではない。

 青年は手にしていた手紙を机に置き、窓から中庭に目をやる。豊富な水量を誇る噴水と咲き誇る花々は、中庭に面する部屋の温度をわずかなりとも下げると同時に、見た目にも涼しげな印象を与えてくれる。

 部屋と廊下は扉ではなく、布によって仕切られている。その外から、女性の控えめな声がかけられた。

「バスタムーブ卿。そろそろ、お時間です」

「アンヘリカかい? どうぞ、入ってくれ。それと、エシリアに渡るに当たって僕のことはクラウネルと呼ぶようにして欲しい。バスタムーブの名は向こうでは少々目立つからね」

 アンヘリカと呼ばれた女性は、足音もなく静かに部屋へ歩み入る。身にまとう黒の司祭服はこの暑熱の国でいかにも重苦しげな印象を与えるが、彼女の冷ややかな表情には暑さを感じている様子など微塵も感じられない。

「準備はもうよろしいですか?」

「ああ、行こう」

 白金でメッキされた板金鎧の胸当てにはバスタムーブ家の〈水面を駆ける者〉の紋章。同じく紋章が彫り込まれたブローチで純白のマントを留め、腰には両刃の長剣を吊るす。こちらへ来てからも剣術の訓練は欠かさなかったが、さすがに鎧まで身に付けたのはこれが初めてだ。それは課せられた義務の重さを象徴するかのように、クラウネルの両肩へずしりとした重量感を伝えてくる。


「暑いな……」

 アンヘリカに先導され、屋外へ足を踏み出すと、照りつける日差しがクラウネルの額に汗を浮かび上がらせた。屋敷の馬丁が引いてきた馬に騎乗する。白いマントは風を受けるとぶわりと広がり、鎧が焼けるのを防いでくれる。兜を被らないのは、クラウネルのものをこの暑熱の国で被れば半刻もかからずに頭が煮えてしまうからだ。代わりにマントのフードを深く被る。

 ゆっくりと街を抜けていくと、人々の胡乱な眼差しが向けられる。異国の騎士の風体が珍しいのはもちろんだが、それ以上に目を引いているのはアンヘリカだ。黒の司祭服は竜司祭しか身にまとうことを許されない。本来ならば彼女のような若い女性が身に付けるようなものではないのだ。

 しかしアンヘリカは向けられる視線など意にも介さず、堂々とした騎乗ぶりでクラウネルを先導していく。街門を抜け、目的地へ向け馬を疾駆させる姿も堂に入ったものだ。


 目指す竜の神殿は街の外れ、荒涼とした岩山の頂上に立っていた。

「あそこに?」

「そう、竜の神殿です。来るのは初めてですか?」

 くつわを並べるアンヘリカは、前方を見据えたまま問う。

「いや、一度来たことはあるが、神像があっただけだと記憶している。黒竜が隠れられるような場所はどこにも……そうか、地下か」

「行けば、分かります」

 アンヘリカはそっけなく言うと、馬の足を速めた。

 人気のない神殿の奥に足を踏み入れると、そこにはクラウネルを一飲みにできるほど巨大な青銅製の竜神像が祀られている。だが、ここまでは来ようと思えば誰でも来て、祈りを捧げることができる場所に過ぎない。二人が目指すのは、神像の脇を通り抜けたその先。おそらくはカルティアの竜騎士なのであろう衛兵が守る、地下へと続く階段の先だった。

 どこまでも続く暗い隧道は竜の口を思わせた。

 クラウネルはごくりとつばを飲み込む。

 神殿の主、カルティアの黒竜、ドラクォ・カルティアヌス。彼は太陽と火の灯りを嫌い、彼の加護を受けた竜騎士は夜と闇、そして影を味方にするのだという。

 自分は竜の胎内に足を踏み入れたのだという奇妙な感触をぬぐい切れないまま、壁に手をつき、一歩一歩階段を踏みしめながら進む。竜騎士とは異なる形なれど、同じく黒竜の加護を受けた身である竜司祭のアンヘリカは、そのような無様は晒さずかつかつと靴音を響かせながら危なげなく歩んでいく。


 どれくらいの距離を降りてきただろうか。壁が途切れ、少し広い部屋に出たことをクラウネルは感じ取った。部屋に漂う、どこか淫靡な、血と精液が混じり合ったようなかすかな匂いに気付く。同時に、部屋の隅に何かの気配を感じた。息をひそめてうずくまるそれを気にしていると、アンヘリカに手を取られ、情けないことにびくりと震えてしまう。

「前へお進み下さい。ここに、寝台があるのが分かりますか?」

「ああ……分かる」

 手を引かれて、それに触れる。腰の高さほどの、石の寝台。促され、その上で横になる。部屋の隅にあった気配が、立ち上がり、近づいてくる。

「手足を押さえる奴隷です。ご心配なく」

「……必要ない。一思いにやってくれ」

「いいでしょう」

 アンヘリカが合図をすると、気配は部屋の隅へと後退した。

 これから起こることを予感し、神経が研ぎ澄まされる。

 下穿きのひもが解かれ、下ろされる。

 石のひやりとした感触を、素肌で感じる。

 冷たさに、『それ』が縮こまるのが分かった。

 何も見えるはずのない暗闇の中、アンヘリカが抜き払った暗闇よりなお黒きレイヴン鋼の短剣、冷たい熱を発するその刃がクラウネルにも見えたように思った。

 一筋の冷えた感触は、ぶつりと嫌な音を立て、灼熱へと変わった。

 一瞬の空白。

 狭い玄室にわんわんと響き渡る絶叫は誰のものかと考え、クラウネルはしばらくしてようやくそれが自分の声だと気付いた。いつの間にか舌を噛まないように布を噛まされ、アンヘリカによって石の寝台に押さえつけられていた。くぐもった唸り声は、確かに自分のものだった。

 股間に走る、耐えがたいほどの灼熱と激痛。

 『それ』が失われたのだという、心胆を寒からしめる圧倒的な喪失感に打ちのめされる。

 元に戻してくれ、もうここから帰してくれと叫べるのなら、どんなに楽だっただろうか。

 唇を噛む。

 後戻りはできない。

 彼の『それ』はすでに失われ、二度と戻りはしないのだ。

 苦労して身を起こし、寝台を降りようと手を動かしたところで、何かが手に触れ、寝台のふちから落ちた。びちりと水っぽい音を立てたそれは、部屋の隅からにじり寄ってきた気配によって回収されていった。

 それが何だったのか、その後どのように扱われるのか、考えたくはなかった。

 震える手で、下穿きを引きあげ、ひもを結ぶ。

 竜との契約。

 竜騎士の力。

 どのような犠牲を払ったとしてもそれを手に入れなければならないのだと自分に言い聞かせる。

 その思いだけがクラウネルを前へと進める。

 アンヘリカは彼を気にかける様子をかけらも見せず、さらに奥へと進んでいった。

 階段は途切れ、わずかに傾斜した道をどこまでも進んでいく。


 途中、いくつもの鉄格子を通り過ぎた。アンヘリカが鍵を使っている様子はなかったが、ふと思いつき、振り返って格子に手をかけて揺らしてみても、それは微動だにしなかった。これも竜司祭の力なのだろうかと、痛みで鈍る頭で無理にも考える。何か考えていないと、痛みで気を失いそうだった。

 そんな痛みの中で、ふと違和感を覚える。鉄格子。竜を祀る神殿にはあまり似つかわしくない代物。それは、神殿というよりはむしろ牢獄を、何かを逃がさないという意図を感じさせた。しかし、何を逃がさないようにしているというのか。

「止まれ、黒竜を訪ね来たりし者よ」

 暗闇に響き渡った声で、鈍い思考は中断された。

 男の声。アンヘリカと同じ竜司祭だろうか。

「汝、黒竜との契約を望むか」

「ああ……そうだ。僕は契約を結ぶため、ここに来た」

 何も見えない。

 声の反響で、男がどこにいるのかも分からない。

 ただ、クラウネルを観察する視線が身体に突き刺さるのが感じられた。

「汝は契約に値せぬ。命惜しくばこの場を去るがよい」

 男は重々しい声で告げる。

 あえて無視し、一歩進む。

「今は退き、再び契約に挑む機会をもあるのだぞ?」

 男はそう言うが、クラウネルは口の端に笑みを浮かべ、さらに一歩を踏み出す。

「自ら機会を捨て去るか。ならば望み通り、死ぬがよい」

 退けるわけがなかった。

 黒竜が、目の前にいるのだ。

 退いたら、殺される。

 退いたら、契約の機会は二度とない。

 訳もなく、そう確信していた。

 その時、玄室の奥に光るものがあった。

 血の赤と炎の煌めき。

 竜の、双眸だ。

 紅玉石の瞳がクラウネルを射通し、わずかに開かれた口からこの世にあらざる黒き炎が漏れ出し、さほど広くはない玄室を一瞬だけ暗く照らした。黒竜の瞳は、なぜかひどく疲れあきらめきったような印象をクラウネルに与えた。

「人の仔よ。エシリアの血を引く者よ。我が呪いを欲するならば、汝の根源を示せ」

 地の底から響くような声は、頭の中に直接響いた。

 ごくりと唾を飲み、自然と心に思い浮かんだ言葉を発する。

「我が名はクラウネル・バスタムーブ! エシリア王ディオニアの子、人民の守護者なり! 我は侵略者を打ち払い、人民に安寧をもたらすために其の力を欲す! 黒竜よ、我が血をそなたの血で呪い、我が魂を代償とせよ! 我が身を喰らい、其の力を十全に振るえ!」

 黒竜の口から黒い炎が漏れる。それは、クラウネルを嘲ったようにも見えた。

「よかろう。契約は成った。汝の魂は人の形を失い、輪廻すること適わぬ汝の魂は永劫に囚われるだろう」

 その言葉の意味を理解することはできなかった。

 黒竜はそのおとがいを開き、クラウネルに竜の息吹を浴びせかける。

 黒い炎が槍のようにクラウネルの身体を打ち、渦となって彼を包む。

 人の魂、人という存在そのものを焼くとされる竜の業火。

 意識を根こそぎ焼き尽くさんとする灼熱の中、彼は黒竜が鋭い鉤爪のついた前肢を振り上げるのを見た。

 暴風のような一撃が鎧によって妨げられることはなく、鉤爪はクラウネルの胸にぞぶりと沈んだ。

 その一瞬に、全てを理解する。

 黒竜の騎士、その力。

 その、契約の意味を。

 そして全ては闇に沈んでいった。

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