十九話 広がる波紋
妾は下賤な者にせよ。
自身より高貴な女と火遊びをする戯け者は家を滅ぼす。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
粛々と進む葬儀を、プレシアは冷めた視線で眺めていた。
王家の紋章が〈赤竜〉とされていることからも分かる通り、エシリア島では古代の竜信仰が未だ根強く残っている。火を神聖なものとして尊ぶ彼らは、死体を火葬にする習わしなのだという。
プレシアは、エシリアで死ぬのは嫌だな、と考える。
ロムルスで火葬されるのは、伝染病で死んだ場合に限られる。それは名誉ある貴族の死に方ではない。
王家の紋章が刺繍された国旗に包まれ、騎士たちによって聖堂へ運び入れられる棺は、王位継承順第二位、クラウディオ・バスタムーブのもの。クラウネルの弟であり、彼がカルティアに人質に取られている間、実質的な次期国王として王国の政務と軍務を一手に差配してきた男の死なのだ。ロムルスへの劇的な勝利から一日。この度の戦での戦死者と合わせ、国葬という形で盛大に送られることになったのは自然な流れだった。
クラウディオの死は、大きな波紋を広げるだろう。
まず、王位継承権の問題。半ば死んだと思われていたクラウネルのシルニア帰還は、実際大きな驚きをもって迎えられ、その際にはひと悶着あったのだ。継承順第一位でありながら長く国を離れ、国内に地盤と人脈を持たないクラウネルの帰還は、それだけで内紛の危険性を孕む行為だった。
幸いというべきか、長い歴史を持つ王家の一族としては珍しく、クラウネルがカルティアにいる間も頻繁に文を交し合うなど兄弟仲は良かったようだ。戦を始める前に、クラウディオが全軍の指揮権をクラウネルに委譲し、自分は海軍を統括する立場に収まったのは、次期国王が誰かをはっきりさせる意味もあった。
仮に兄弟が共に生き残っていれば、国王にして竜騎士団の初代団長であるクラウネルを、政務と軍務の両面で優れた力を発揮してきた王弟が補佐するという道もあり得た。生殖能力を失っている兄の跡を、弟かその子供が継ぐという形を取れば万事丸く収まっていただろう。
また現国王ディオニアはと言えば、こちらは政治の一線から身を退いて久しい。聞くところによると、そもそも政務能力には少々疑問符が付く人物だったらしく、クラウディオと臣下たちによって隠居させられて以後はお飾りのようなもので、発言権はほとんどなかったのだとも言われている。
彼は聖堂の右手に設けられたバルコニーに座していた。出陣前にも見かけた国王の印象は、老木から枯れ木へと変わっている。生気の失せた力ない瞳は、葬儀をつつがなく進行させるべく心を配るクラウネルの姿を、虚ろに捉えていた。
そのすぐ側に、幼い子供と若い女。幼子はよちよちと老王の膝にじゃれ付く。その幼子を目にした一瞬、なぜか老王の目には暗い灯が点ったようにも見えた。それは、聖壇の炎に会衆の注意を引き付けるため、あえて光を遮断する聖堂の造りのせいだっただろうか。
思考が脱線仕掛けていることに気付き、ゆっくりと頭を振って意識を引き戻す。
葬儀が終わった後、主だった者が呼ばれて軍議を開くことになっているので、それまでに現況を整理しておかなければならないのだ。
正直なところ、プレシアにとっては頭が痛くなるような展開だった。あれだけお膳立てをしたにもかかわらず、色々と想定外のことは起きていた。三国の思惑が複雑に絡み合う中、レオンティナしか自由に使える手駒がいないこの状況下、決して自分の思い通りに事を運べるとはプレシアも思っていなかったとはいえ、使える手駒の確保は急務だった。
この時点でのクラウディオの死が予想外なら、ロムルス軍のメテルス将軍の死もまた予想できなかったことの一つ。これがあるから戦争は怖い、とプレシアは思う。
一対一での立ち会いならば絶対に負けない豪傑や、あらゆる戦場で命を拾ってきた老練の将でも、やられるときはやられる。あっけないものだ。プレシアの父と兄も、そうやって死んだ。
百歩譲って、メテルスがクラウネルによって討ち取られたのはともかくとしても、指揮を引き継いだ者が軍を掌握する間も与えられずに討ち取られたのが痛かった。まさかアンヘリカ、あのカルティア女がそれを狙ってやったとはさすがに考えにくいが、なんとなく、そうなのだという気もしていた。それくらいに、絶妙な一瞬だったのだ。
その後、ロムルス軍は散々に追撃され、陸軍はもちろん、無傷の海軍も共にカタルニアまで兵を退いている。エシリア方面軍の司令官だったメテルスの死がロムルス議会に伝えられ、後任の将軍が派遣されてくるまでと考えると、向こう一か月は再侵攻の態勢が整わないと見ていい。
また、投降したロムルスの竜騎士、ヒルダと名乗ったあの女をどう判断するべきか。
聞けば、クラウディオを殺したのは彼女なのだという。そのことが兵や民衆の知るところとなれば、いかにクラウネルと言えども彼女を吊るさずに済ませることは難しいはずだ。
プレシアはヒルダが投降した後、すぐにクラウディオの座乗していた船の乗員を集め、聞き取りを行った。幸い、その場面を見た人間は船上にいた人間に限られ、彼女の顔まで克明に記憶している人間は間近で目撃した漕手長だけだった。彼には固く口止めをし、やったのは死んだもう一人の竜騎士だったのだということにした。
穴はないわけではないが、そうするより他に仕方がないのだ。
現在は、ひとまず城の一室に閉じ込めてある。プレシアは手枷を付けることを主張したが、クラウネルの反対に遭った。竜騎士ならば例え素手でも兵から武器を奪うことなど造作もない。城内で野放しにするのはあまりに危険だと説得したのだが、結局はバスタードソードを預かった上で騎士五名が監視につくということで決着した。本来なら、地下牢にでも閉じ込めておきたいところだった。クラウネルが暗殺でもされようものなら目も当てられない。
彼女と交わした会話を思い返す。
プレシアとしては、ヒルダには死んで欲しかった。
最初に投降を持ちかけたのはブラフ、前置きに過ぎない。
そこで竜の討伐という彼女の目的をこちらが口にすれば、相手は当然ロムルス側の工作員が裏切るか捕まるかしたと思い込む。実際にはプレシアがその工作員なのだが、そんなことは相手に分かるはずもない。
動揺したところで適当に挑発してやれば戦闘に持ち込めるだろうという読みだった。
甘い読みではある。
だが、初めからどう転んでも構わないと考えていたので、それでもよかった。
戦闘になり、その過程でクラウネルかアンヘリカの力が測れれば御の字。彼女が生きようが死のうがどうでもよく、余計なことを知っていたり喋られたりすることを考えれば、死んでくれた方がより好ましい、という程度のこと。
ヒルダも、死んだもう一人も、装備には紋章が刻まれていなかったので、おそらく私生児の竜騎士だろうということはすぐに分かった。それを踏まえた挑発への反応を見て、推測は確信になった。ヒルダは怯み、もう一人は激昂しかけていたのだ。あと一押しだった。
そう。
本当に、もう少しだったのだ。
それが、クラウネルによってひっくり返された。
馬鹿正直にこちらの手の内を明かし、真正面から勧誘を行い、結果としてそれを成功させた。
正直に言えば、驚いた。
彼に、そんな器量があるとは思っていなかったのだ。
あるいは、事ここに及んで急激に成長しているのか。
戦争のような非常において発揮される能力というのは確かに存在するのだ。
もし、クラウネルがそれなのだとしたら。
プレシアは、いや、ロムルスは思っている以上に厄介な敵を持ったのかも知れなかった。
葬儀も終わると、後は戦勝祝いの祝宴となる。長く攻囲を受け鬱屈していた民衆は、英雄の帰還と鮮やかな勝利に酔いしれ、開放感に包まれている。
クラウネルは盛んに手を振る民衆に馬上から声をかけながら、王城へと帰還した。プレシアと、主だった重臣たちも城に戻り、一同は会議室に集まる。
レオンティナは会議室の外に控えている。彼女はまだプレシアの個人的な護衛でしかないからだ。とは言え、中途半端に責任ある役職を得てしまうとプレシアとレオンティナが分断されかねない。それならば、プレシアの意のままに動かしやすい分、この方がいいとも言える。
「まずは各自の奮戦に感謝しよう。皆、よく戦ってくれた」
クラウネルが切り出す。
「集まってもらったのは他でもない。今後の方針について皆の意見を聞いておきたい。……プレシア、ロムルスが再び仕掛けてくるまでの猶予は何日と見る?」
いきなり声をかけられたことに、少しだけ驚く。クラウネル付きの参謀として末席を与えられていたプレシアに、こいつは何者だと言いたげな重臣たちの視線が突き刺さる。
「はっ。メテルスの敗死が議会に届くまでに三日、後任者の決定に一週間、後任者の現在の認知にもよりますがカタルニア着任までにさらに一週間。軍の掌握と再編も含めれば、最短で一か月ほどかと考えます」
「一か月だと……?」
「馬鹿な、そんなに早いわけがあるまい」
重臣たちは一様に顔を見交わし、ざわめいている。
プレシア自身は、一か月というのは割合楽観的に見積もった場合であり、下手をすれば半月で再侵攻をかけてくる可能性があると考えていた。
「カルティアの動きはどうか。……アンヘリカ」
アンヘリカは、先の戦で客将として戦い手柄を上げたことで、正式にエシリア陸軍での立場を与えられていた。当面は自分の部隊を持たず、必要に応じて兵を任される形で指揮を執ることになるだろう。
「ロムルスが攻囲を解いたことは数日で伝わるかと」
「それを知って、カルティア軍が攻めてくる可能性は?」
「来るとしても、海軍による海上封鎖が主となるはずです」
アンヘリカの褐色の肌には、プレシアよりも激しい敵意の視線が突き刺さっていることだろう。しかし彼女は涼しい顔で意にも解さない様子だった。
しかし、とプレシアはあきれるような気持ちで思う。
クラウネルは、何を考えているのだろうか。いくら意を通じているからとはいえ、重臣を差し置いて新参であるプレシアやアンヘリカに下問すれば、重臣たちの誇りを傷つけ、二人はもちろん彼自身の立場も危うくすると気付いてもよさそうなものだった。
「なるほど、ではロムルスが戻ってくるまでの一か月が勝負だな……」
そうつぶやいたきり、何事か考え込んでしまう。
それを見て、重臣の一人がたまりかねたように言う。
「それよりも、殿下。我らの働きに対する論功行賞が先でございましょう!」
その意見は、居並ぶ重臣たちの心情を代弁したものだったらしく、それぞれが自分たちの上げた手柄、受けた被害、望む褒賞などを口々に言い立てる。主張は次第に怒鳴り合いの様相を呈してきて、いよいよ収拾がつかなくなる。
「やめよ! 身内で言い争っている場合ではない! 一刻も早く赤竜を討伐せねばならないのだ。この会議は貴公らの援助を得るための……」
机を叩いて叫んだクラウネルの言葉は、しかし誰が発したかもわからない怒号によって圧殺される。いかにも海の男という風情を漂わた胴間声は、クラウネルのよく通るが高めの声をかき消して余りある。
「主力を率いてシルニアを離れると言われるか。その間のシルニアの防備はどうなる!」
「ここは我らから打って出て、ロムルス軍が根拠地とするカタルニアを奪回するべきではないか」
「主要七港の内、六港までを敵国に占拠されていてはいかんともしがたい!」
好き勝手な主張は、次第にクラウネルに対する嘲りの色すら帯び始める。
「おとぎ話の英雄譚を夢見られるは、王族としての義務を果たしてからにしていただきませんとな!」
さすがのクラウネルも、その発言には血色を変える。
そうした光景を見て、プレシアはこみ上げる笑いを押さえるのに苦労していた。
話にならない。
今まで頭を押さえていたクラウディオがいなくなったのもあるだろうが、一か月後にロムルス軍が戻ってくるとプレシアが言ったその意味を、彼らは全く理解していない。
ロムルスは同じ轍は踏まない。
一か月後には、先のメテルス軍を上回る規模の軍と、竜騎士部隊が送り込まれてくるはずだ。そうなれば、いかにクラウネルと言えども勝てはしない。つまり、一か月以内に竜騎士団を編成できなければエシリア王国そのものが滅亡するのだ。
負ければ全てを失うということを頭で分かっていても、身をもって知らなければ理解しているとは言えない。クラウネルが与しやすいとみて奪えるだけのものを奪うつもりだろうが、そうして奪ったものがそっくりそのままロムルスの懐に入る光景が目蓋に浮かぶようだ。
戦争の本質の理解にかけて、建国以来、絶え間なく続く戦争によって領土を拡大してきたロムルスとカルティアの右に出る者はいない。単純な戦力差だけでなく、こうしたところでの違いが戦の趨勢を左右するのだということを、彼らは自らの命を対価にして学ぶことになるだろう。
とは言え、分別のある者もいなかったわけではない。宰相のエンリノという男が、好き勝手な文句を並べ立てる重臣を一喝して黙らせると、調査を経た上で三日後に玉座の間にて論功行賞を行うことを具申し、クラウネルはほっとした様子でそれを受け入れた。
会議は、そう長く続かなかった。
戦死した者の後任人事や、破壊された城門の修復案といった細々とした内容が記された書類にクラウネルが署名をして、それで終わりだった。
クラウネルは、プレシアとアンヘリカ、それに宰相のエンリノを残して重臣たちを退出させると、部屋の隅に控えていた従士にロムルスの竜騎士を呼びに行かせ、彼女の剣も持ってくるように命じた。四人だけが残された会議室で、クラウネルは大きなため息をつき、目頭を揉む。
「これが我が王国の偽らざる内情だ。笑ってくれていいぞ」
プレシアとアンヘリカに向かい、クラウネルは自嘲するような笑みを浮かべる。
「この場に残したお前たち以外に頼れるものはない。殿下が聞いてあきれるな」
「そう、悲観したものでもありません」エンリノが言う。「今日の会議で、クラウディオ様亡き後の勢力図が明確になりました。後は殿下の胆力次第でありましょうな」
「どういうことだ、エンリノ?」
「僭越ながら、申し上げます。先の会議での殿下の言動、あれはいかにもまずいものでした。あれがどうして王者にふさわしき振る舞いと言えましょうや?」
クラウネルの眉が不快を示すようにしかめられるが、エンリノはひるまずに続ける。
「敵国の脅威、そして敵国の船舶のみならず、自国の船舶まで見境なく沈め始めた赤竜を討伐し、一刻も早くエシリアの竜騎士団を創設せねばならない。そうしたご懸念は分かります。そして殿下が誰よりも国を愛されていることも。それゆえ、殿下から見れば諸侯の振る舞いは我欲に取り付かれた俗物のものとしか見えますまい」
「我々はロムルスを一度打ち払ったに過ぎない。戦いはまだこれからだ。彼らはなぜ今から勝った後の話ができると思えるのか?」
「彼らは商人なのですよ、殿下」
自問するように言うクラウネルに、エンリノがぴしゃりと言う。
「貴族と商人では、執着の対象が異なります。貴族は土地に、商人は利益につく。あくまで自国へ編入すべく対外戦争を繰り広げるロムルスと、自国に有利な同盟もしくは条約を結べばそれでよしとするカルティアの違いも、そこにありましょう。では、我らエシリアは? 古来より、ロムルスを初めとする北方の土地と、カルティアを筆頭とする南方の土地とを隔てる海を橋渡しする位置にあり、人や産物の行き交うエシリアでは商人が力を持ってきました。赤竜の加護もあったれば、王家は海賊から自分たちを護ってさえくれればよい、というのが彼らの意識です」
プレシアは、エンリノの長広舌を少し感心しながら聞いていた。実際、海に隔てられた南北を繋ぐには、エシリア島を経由するか、でなければ東方へ大きく迂回しながら沿岸を港伝いに航海していくかしかない。貴族と商人の違いも、ロムルスの貴族として言われてみればというところはあった。興味深い説と言える。
「付け加えるならば、口にこそしないものの、彼らは殿下が結ばれたカルティアのバルカス家と結んだ契約の内容にも不満を抱いています。返す返すも、クラウディオ様を失う時期が悪うございました」
「しかし、今はもうそんな悠長なことを言っていられる状況ではないだろう。ロムルスは竜騎士を送りこんできた。禁忌は破られたのだ。こうなった以上、奴らは何としてもエシリア島を獲りに来るだろう」
クラウネルが言う。その推測は正しい。おそらく、赤竜に沈められて島まで辿り着けなかった竜騎士もいるはずなのだ。私生児の竜騎士とて、余っているわけではない。それでも、払われる犠牲以上に得られるものがあると判断されたからこそ、彼らは死地に送り込まれた。議会は相応の覚悟でその決断をしたはずだし、実際に送り込めることが証明された以上、次に送りこむときは前回以上の数を一気に送り込んでくるだろう。それは、最終的な赤竜による損耗率を抑えることにも繋がる。
「殿下のおっしゃる通りです。プレシア殿の一か月という見立てには私も賛成でございますれば、早急に赤竜討伐隊を編成せねばなりますまいな」
「だが、どうやってだ。王家の兵だけでは戦力不足。悔しいが奴らの支持を取り付けねば騎士たちの賛同も得られない。満足いく編成はできまい」
「これを」
エンリノが示したのは、一枚の羊皮紙だった。
「アルレオ家、バトーラ家、ベルッティ家の不正を示す証拠です。そうですな、いずれかの家を取り潰し、残りの二家に圧力をかければ事足りましょう」
「な……どういうことだ?」
「これは、クラウディオ様に命じられて調査していたもの。内部分裂を引き起こしかねないため、ずっと使い時を計っておりましたが、攻囲から脱した今が頃合いにございます」
上手いやり方だとプレシアは感心する。取り潰された家の財産は王家の歳入となり、圧力をかけられた二家はもちろん、他の商家もその不穏な気配を察して大人しくなること請け合いの策だ。
その不正は、事実でもでっちあげでも構わない。
要は、王家が取り潰しをためらわない姿勢を見せることが大事なのだ。
恐怖による支配は、長期的にはともかく、短期的には有効極まりない。
平時と戦時、それぞれにおける宰相としてのあるべき姿をよく弁えているからこその策。
なるほど。
エシリアにも先の読める、ひとかどの人物がいたということ。
エシリアの議会について、少し評価を改める必要がありそうだった。
「殿下、ご決断を」
うつむいて考え込むクラウネルを、エンリノが促す。
「エンリノ」
「はっ」
「一度きりだ。二度とこのような手を取ることは許さぬ。……行け」
腹の底から絞り出すような声で、クラウネルは言った。
潔癖なところのある彼には、容認し難い策だったはず。
「……はっ。すぐにでも捕り方を手配いたします」
エンリノは立ち上がると、一礼して部屋を後にした。
エンリノが姿を消すと、わずかな沈黙が部屋に落ちる。
それを待っていたかのような、控えめなノックがそれを破った。
重厚な樫材の扉が押し開けられる。
質素なチュニックに身を包んだヒルダが姿を現す。
両脇には、完全武装の衛兵が二名。
「下がってよい」
クラウネルが衛兵に向かって手を振る。
「はっ。しかし……」
「下がれと言っている」
衛兵たちは雷に打たれたように直立すると、踵を返した。
扉が閉まり、ヒルダだけがその場に残される。
「貴公の処遇を申し渡すために、ここへ呼んだ。貴公を、エシリア竜騎士団団長……つまりこの僕の、副官に任命しよう」
「なっ……」
思わず、椅子を蹴って立ち上がっていた。
「危険です! 彼女は国王陛下の暗殺を企て、弟君を殺害せしめたのですよ!?」
「控えろ、プレシア。彼女は投降し、同胞であった竜騎士を討つことで二心なきことを示したのだ。彼女を疑うのは、僕の名誉を疑うことに等しい。……竜騎士ヒルダ、僕に臣従の誓いを捧げる気持ちはあるか?」
「……はい」
「では、ここに」
武人ならではの滑らかな動きでヒルダが進み出て、クラウネルの前で膝をつく。
クラウネルの佩刀〈フラーマ〉は、先の戦の折にも一度目にしていた。
暗赤色に輝いていた刀身は、竜騎士の力をまとわない今、血で染められたようにただただ紅い。
王者の剣と呼ぶにはあまりに不吉な印象を与えるその剣が、メテルス将軍を一刀の下に斬り下げたその剣が、ヒルダの肩に当てられる。
「クラウネル・バスタムーブの名と宝剣〈フラーマ〉にかけて問う。汝、竜騎士ヒルダよ。我が炉端にありては寝食を共にし、我が戦場においては共に剣を並べ、いついかなる時も我が目に、そして汝自身に対して誠実であることを誓うか?」
「竜騎士ヒルダ・レムニカの名にかけて。我が主の剣であり盾であることを、必要とあらば主のために命を賭してもその命に従うことをここに誓います」
「では、立て。我は汝の忠誠を疑わず、決して汝の名誉を汚す命を下さないことをここに約そう。……剣をここに」
従士が重そうに両手で運んできたのは、ヒルダのバスタードソードだった。
「この剣の銘は?」
「……〈ルイン〉と申します」
「何か由緒のあるものなのか?」
「いえ、特にそういうわけではありませんが……」
「破壊、あるいは崩壊、か。そうだな……では〈レイン〉だ。『再生』を意味する銘をこの剣に与えようと思うが、どうか?」
「――――っ!」
ヒルダの肩がぴくりと震えるのが見えた。
「嫌ならば、構わないが」
「……いえ、ありがたく頂戴いたします」
ヒルダは下賜された長剣を両手で押し戴く。
「では、着座せよ」
ヒルダは上座のクラウネルと、下座のプレシアやアンヘリカを一瞥し、それぞれから距離を置いた位置に腰掛ける。微妙な距離感。歯抜けになった卓は寒々しい印象を与えた。
「ここに集まってもらったのは、竜討伐の中核となる者たちだ。それぞれが協力して任務に邁進してもらいたい」
それはつまり、殿下には国内に信用できる人間がほとんどいないということですか?
プレシアは、胸の内でそう問いかけ、その皮肉を思う。
竜の討伐隊と言ってみても、竜とまともに戦うにはそれなりの力がなくては話にならない。実際には、竜騎士であるクラウネルとヒルダ、カルティアの竜司祭であるアンヘリカ、それにレオンティナぐらいしか戦力には数えられないだろう。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ、プレシア?」
「竜の力は強大です。正直に申し上げて、その力を未だ読み切れてはおりません。……我々に勝算はあるのでしょうか? 参謀の立場からは、我らが総力を傾けても討伐は成らなかった場合のことを考えざるを得ないのです。万が一の場合には、和戦両面の構えを取ることも必要かと」
「うむ、よく言ってくれた。それについては、僕に秘策がある。ついてきてくれ」
そう言ってクラウネルは席を立つ。
プレシアは、後々まで後悔したものだった。
あの最悪の魔女、穢れた呪い師と会いさえしなければ、いや、彼女を殺してさえいれば。
運命はどれだけ変わっていただろうか、と。