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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第二章 私生児の竜騎士
18/39

十八話 友達

風凪ぎは死の訪れ。

――風の舞い手の教え



 戦況は膠着状態にあった。

 道路の両側を壁に挟まれ、前後を敵に挟まれている。

 敵は何度か押し寄せてこようとしたが、その度にプリスとヒルダが押し返して犠牲を強いていると、次第に腰が引け気味になり、今度は盾とクロスボウで防備を固め始めた。


 ヒルダは唇を噛む。

 たった一人で二人の竜騎士を相手取った、あの女剣士。

 あれの目的は足止め、増援が到着するまでの時間稼ぎだったのだと今ならわかる。

 それを見抜き、多少強引にでも突破を図れていればと思うが、もう後の祭りだ。

 状況はよくない。

 時間は明らかにエシリア軍に味方する。

 今はまだ守備部隊が集まっているに過ぎないが、出撃していた主力部隊が戻ってくればいよいよ打つ手はなくなるだろう。

 撤退の狼煙が上がってから半刻あまり、大軍がぶつかり合う気配はとうに消えていた。

 じきに敵側の増援が現れる。

 そうなる前に、ヒルダとプリスだけなら突破もできるだろう。

 しかし、その場合は〈竜狩り〉たちを見捨てていくことになる。

「指揮官殿、どうか我々に構わず脱出を!」

「一人でも多くの敵を道連れにここで果てます!」

「どうか、我々の死に様を本国で待つ家族に伝えて下さい!」

 兵士たちは口々に脱出を促す言葉を並べる。

 彼らとて死が怖くないはずはない。

 しかし一人一人が歴戦の兵である彼らは優秀であるがゆえに、自分たちが足手まといであるとの自覚を持ってしまっている。

 事実、敵側の援軍の有無にかかわらず、生き残った四十数名の内でこの場を強行突破して脱出できる可能性があるのは、竜騎士であるヒルダとプリスの二人だけだろう。

 だから、今ここに留まっているのは、自己満足でしかないのかも知れない。

 見捨てるべきを見捨てないのは、いつか自分が見捨てられることを恐れているから。

 昔、そんなことを言われたことがある。

 誰の言葉だったか。

 そう、あの人も、私生児だった。

 名前は、もう忘れてしまった。

 そんな人間の言葉に決断を左右される理由はない。

 この場の指揮官は、部隊員の命を預かるのは私なのだと自分に言い聞かせる。


「犬死には許さない! 脱出の手立てを考えなさい!」

 下した命令は、しかし我ながら空虚な響きを伴って聞こえた。

 ちらりと後ろを見る。

 兵の内、何人かは負傷して動けそうもない。

 傷の具合を見ていた兵の一人がヒルダの視線に気づき、首を横に振る。

 ヒルダがうなずいて返すと、兵士は剣を抜き、負傷兵の胸に押し当てて一息に突いた。

 かすかなうめき声。

 苦痛は、少なかっただろう。

 そう、彼らはこうしたこと、こうした場面にも慣れている。

 激戦地や敵地での任務を主とする彼らに、自力で動けない負傷者を連れての脱出は万に一つの可能性もなく、生きたままで捕まれば死ぬよりも辛い拷問に遭うことは分かりきっているからだ。

 止めを刺すことが残酷なのではない。

 生きたまま、この場に残すことこそが残酷なのだ。


 視線を戻し、盾の陰から敵を観察する。

 敵の部隊から、闘気は感じられない。

 むしろ意識は後方に向いている。

 敵は、何かを待っているようだった。

 何を待っているのか。

 盾をぶち抜けるほど強力なバリスタ、あるいはメテルス将軍がほのめかしていた、竜討伐のためのカルティアの協力者だろうか。

 あるいは、カルティアもヒルダたちと同じような竜騎士を送り込んできている可能性もある。

 動きのないまま、じりじりと耐え忍ぶ時間が過ぎていく。

 思い出したように飛んでくるクロスボウの矢で、最前列の兵が構える大盾はハリネズミのようになっていた。

 鉄の短矢が盾に突き刺さる音と衝撃は、盾で守られていると分かっていても神経を削る。

 だから、ようやく敵軍に動きが見えた時には、かえってほっとしたほどだった。

 敵軍の盾の列が割れ、三人が姿を現す。

 一人は、まんまとヒルダたちを足止めして見せた腕利きの女剣士。

 エシリア風のふわりとした服の布地は女性的なふくらみに持ち上げられているが、男性的な口調や仕草のせいか、なぜか男装の麗人というイメージを受けてしまう。

 もう一人は、白銀の板金鎧を着こんだ騎士姿の男。

 騎士からは、カルティアの竜騎士に特有の、どす黒く、嫌な感じを受けた。

 やはりカルティアの竜騎士が派遣されてきていたのだ。

 しかし、顔立ちや装備に違和感を覚える。

 どうもエシリア系であるように見えるのだ。

 総じて、どこかちぐはぐな印象を受ける。

 その二人に挟まれて、冷たい感じを受ける女が進んでくる。

 剣は吊るしているが、そこまでの使い手とは思えない。

 おそらくは、それなりの立場にある交渉役。

「指揮官はそちらの竜騎士とお見受けしました」

 女は落ち着いた様子で切り出す。

「私の名はプレシア・フォーフィット。貴殿の御名は?」

 発音にエシリア訛りはなかった。

「…………」

「答えては頂けませんか。まあいいでしょう。率直に言います。私と交渉する気はありませんか?」

「交渉だと? ……条件を言ってみろ」

「そちらの竜騎士二人の投降あるいは自死。残りの兵員の命は保証し、武装解除した上で解放しましょう」

「無視するべきです、お姉さま」

 プリスが押し殺した声で耳打ちする。

 わずかに顎を引いて、了解の意を伝える。

「……竜騎士二人の命と、たかが四十ばかりの兵の命。到底釣り合わんな」

 ヒルダの言葉に、プレシアと名乗った女は薄く微笑む。

「本気でそう思うのならさっさと二人で撤退しているはず。部下の命を助けたいからこそ、長引けば不利になることを承知で留まっているのでしょう?」

 見透かすような言葉。

 唇を噛みそうになるのをこらえ、女をにらみつけた。

 ヒルダの発言に部隊の全員の命がかかっている。

 うかつなことは言えない。

 飛び出そうとするプリスを押さえ、何を言うべきか必死に考える。

 上手く〈竜狩り〉部隊を逃がし、自分たちも脱出する策を探す。

 だからこそ、

「貴方たち……竜を討伐するのでしょう?」

 思考の隙間を突くようにして重ねられたプレシアの言葉に、頭が真っ白になった。

 竜の討伐。

 ヒルダたちの目的が、なぜ敵に知られているのか。

 いや、ある程度の被害を覚悟の上で無理にも竜騎士を送り込んできたのだから、目的が竜の討伐であることを推測できたとしても決しておかしくはない。

「……竜は討伐する。お前たちの後にな」

「できますか? エシリア兵に囲まれた状態でこの二人を相手にして、本当に勝てると?」

 プレシアは後ろに控える女剣士と竜騎士を示して言った。

 無理だ、と理性がささやく。

 仮に二人とも殺せたとしても、その時には〈竜狩り〉部隊も全滅しているだろう。

「そんなの、やってみなければッ!」

「プリス! 抑えなさい!」

 プレシアが笑みを深める。

 その笑みで、気付く。

 この女、分かって挑発している。

 このままでは、早晩プリスは押さえ切れなくなるだろう。

 そこへ、嘲るように言葉が投げかけられる。

「抵抗するのならば、それでも構いません。安心して下さい、捕まえても殺しはしません。手か足か……ちょん斬って、不具にして、本国に送り返して差し上げます。鎧に紋章がないところを見ると、私生児なのでしょう? 二人とも顔が綺麗。何なら私が『駆って』あげたいくらい」

 訛りのない発音、言葉の選び方。

 この女はロムルス人だと確信する。

 以前、マリウス将軍の執務室の前で見た竜騎士の、片足を引きずった姿を思い出した。

 男に『駆られる』のは嫌だと叫ぶ彼女の声が、脳裏に響き渡る。

 思い浮かんだのは、母と同じように寝台に横たわってぼうっと外を眺める、未来の自分の姿だった。

 知らず、体が震える。

 剣の柄を握る手に力が入り、剣尖が揺れる。

 その揺れは、止めようと思えば思うほど大きくなっていくばかり。

 動揺の現れに、プレシアの獲物を狙う猫のような視線が向けられていた。

「……お前っ!」

「プリス!」

 プリスの肩をつかみ、必死に引き止める。

 激昂した状態で不用意に突っ込めば、待つのは確実な死だ。

 プレシアをかばうように前へ出た二人は、勢い任せの攻撃を見逃してくれるような甘い敵ではない。

「プレシア、もうよい!」

 叫んだのは竜騎士の男だった。

 プレシアは男の顔をちらりと見ると、軽く肩をすくめて引き下がる。

 男はさらに一歩踏み込み、大音声で名を呼ばわる。

「僕の名はクラウネル・バスタムーブ。エシリアの竜騎士だ」

 思わず目を見開いてしまう。

 クラウネル・バスタムーブ。

 その名は、エシリア王国の継承順第一位の名と出発前に聞いていた。

 軽々しくも自らの身分を明かしたクラウネルの発言は、普通ならブラフかと疑うところだが、プレシアが目頭を手で覆う様子を見ると、騙りだとは思えない。

 そして何より、エシリアの竜騎士という発言。

 最初に受けた『黒い』感じは間違いなくカルティアの竜騎士のもので、その印象は今も変わらない。

 しかしクラウネルはカルティアの人間には到底見えず、自らを『エシリアの』竜騎士と呼んだ。ヒルダは、存在するはずのないものを見ている気分に襲われていた。

 いったいどういう理由で、エシリアの、それも王族に連なる人間がカルティアの竜騎士の力を得たのか。

 思考が追い付かず、何も返せずにいるヒルダに向かって、クラウネルは続ける。

「プレシアから、ロムルスの『私生児』についてはある程度聞いている。その上で問おう。君たちは、君たちの働きを正当に評価しようとしないロムルスを捨て、エシリアの竜騎士となる気はないか? 僕はロムルスやカルティアと対等な立場で外交を行うため、エシリア竜騎士団を創設する。君たちが武器を捨て、改めて忠誠を誓うと言うのなら、我が竜騎士団において君たちの名誉を保証し手厚く扱うことを約束しよう」

 何か諦めたように天を見上げていたプレシアが、仕方がないと気を取り直すように一度首を振ってクラウネルの言葉に続く。

「仮に貴方たちの目的が竜の討伐だとすれば、彼に力を貸すことでも目的は達成できます。彼の目的は、竜を討伐してエシリアの竜騎士団を創設することです。見て分かると思うけれど、私も元々はロムルスの人間。こうして彼に取り立てられてここにいる。私を信じられるかどうかは別として、私の存在自体が彼の言葉に嘘はないという証拠になる。貴方たちの目的を達成するために何を選び取り、何を捨て去るか……よく考えることね」

 プレシアの表情からは一転して笑いが消えている。

 それは何かを意味するのか。

 考えが形になる前に、クラウネルが言葉を重ねる。

「互いに遺恨はあるだろう。だがここはお互いのためにあえてそれを捨てようではないか。君たち二人がエシリアの竜騎士団に加われば、それ以外の兵の命は僕からも保証する。君たちが殺した我が弟……クラウディオの名誉にかけてね」


 考えが上手く巡らない。

 目的は竜の討伐。

 それを成さないままに本国へは帰れない。

 竜には仲間を殺された。

 その復讐もしなければならない。

 ロムルスの竜騎士として。

 ロムルスの、竜騎士として?

 自分にそれが成せるのか?

 仲間を失い、任務を果たせず、今また仲間を窮地から救い出せずにいる、自分が。

 自問する。

 答えはすぐに出る。

 できはしない。

 きっと、そうなのだろう。

 なら、どうするのか。

 一矢報いるために、敵に斬りかかる?

 いや、ここで死ねば犬死にでしかない。

 手強い竜騎士と女剣士の二人と戦うことを避け、離脱を図る?

 生きて切り抜けたとしても、五体無事である保証はない。

 仮にそうなれば、帰還したところで、後ろ盾のない私生児は『駆られる』身になるのが落ちだ。

 それぐらいなら、いっそのこと。

 ロムルスを捨て。

 エシリアの竜騎士団に加われば。

 かけられた言葉は、ゆっくりと頭に染み入ってきた。

「……私は」

「お姉さま? 何を考えていらっしゃるのです?」

 ヒルダを呼ぶプリスの声音に、わずかな疑念が宿っているのが分かった。

 彼女の顔を、正視できなかった。

 ようやく口から出た言葉は、自分のものとも思えないほど掠れたものだった。

「私は、投降します。皆、武器を捨てなさい」

「お、お姉さまッ! 何を言い出すんですかッ!」

「ここで戦っても勝てない! 大局を見なさい、プリス!」

 プリスを説得しなければ、どういう形であれ血を見ずには済まない。しかし、無理にも見据えた彼女の瞳から、驚愕の色が抜け、別の何かで満たされていくのが見えた。

 ああ、この瞳の色は。

 それが何か、ヒルダは知っていた。

「……聞けない。そんなの、聞けるわけないよ……」

 その声音は、いつも明るかったプリスのものとは思えないほど冷え切っている。

「私を……私たちを裏切るのなら、お姉さまは、もう私の敵だってこと」

 モーニングスター〈フォスフォラス〉が二人の間に構えられた。

「私は、何も聞いていない」プリスは言葉を区切るようにして言う。「最後に、一度だけ聞くよ。私と一緒に戦って、お姉さま。あいつらを殺して、それから竜を殺そう。私と、そしてお姉ちゃんの魂と一緒に」

「私は……」

 言葉を続けることはできなかった。

 命ある限り一緒に戦うと、そう言えればどんなに楽だったか。

 しかし、言葉は出てこなかった。

 感じていたのは、恐怖。

 戦闘にではない。

 戦いを恐れたことなど、一度もない。

 ただ、母のように『駆られる』のは嫌だと叫ぶ自分を、ヒルダは自らの胸の内に見つけていた。

「なぜなの?」

 プリスは武器を構え直して、言った。

 説明のしようもないことだった。

 そして発された問いは、もはや答えを求めてのものではない。

 道を違えたかつての仲間を責める、その言葉が、ヒルダに突き刺さる。

「お姉さまなら、エシリアに竜騎士の力を持たせたらどうなるか分かるはず。それなのに投降するなんてありえない! それなら、私は、私はロムルスの竜騎士として……お姉さまを、排除しなくちゃいけないッ!」

 信じていたものに裏切られた者が浮かべる絶望の光を瞳に宿したプリスの叫びが、ヒルダの耳を打つ。

 自分に言い聞かせるようでもあるその言葉と共に、戦端は切られた。

 振りかぶらず、そのまま突き出された〈フォスフォラス〉を、横にステップして避ける。

 竜騎士の力は最小限にし、威力は上昇するが攻撃の予兆ともなってしまう白熱光を鉄塊の内に押さえ込んだ攻撃だ。

 勢い余って民家の石塀を破砕したその攻撃を、ヒルダは知っていた。

 対人戦で有効な初手として、ヒルダが教えた技なのだ。

 そうでなければかわせなかっただろう。

 同時にその一撃から、プリスが冷静な部分を残したまま戦っていることも分かった。

 通常、彼女は敵と対峙した際に、武器が白光を放つほど力を注ぎこむことは少ない。

 〈フォスフォラス〉の質量は、竜騎士の力を借りずとも、板金鎧に身を包んだ騎士を吹き飛ばすだけの威力を発揮するからだ。白熱光をうまく使ったフェイントは、超重量ゆえの振りの遅さをカバーして余りある。

 竜騎士の力で身体を強化しているヒルダだが、装備は動きやすさを重視したものであるため、一撃もらえば骨は砕け、身動きが取れなくなるだろう。

 プリスは、ヒルダが懐に飛び込ませないように大振りの攻撃を避けている。

 敵の攻撃から自分の攻撃へ繋げる臨機応変のカウンターがヒルダの得意技であることを、彼女もまた知っているからだ。

 モーションの小さい突きを繰り出してきたのも、そのため。

 互いに手の内は知り尽くした相手。

 ある意味、あの女剣士以上に戦いにくい相手だった。

「裏切り者がどうなるか、お姉さまが知らないはずはない」プリスの目に涙が浮かぶ。「私たちがロムルスを裏切ったら、アレジアの、お姉ちゃんの名誉はどうなるの? お姉さまは、娘が帰ってくるのを待っている、お母様の期待を裏切るの? なんで……そんなことができるの?」

「違う、私は……」

「何も違わない!」

 横薙ぎの一撃が飛んでくる。

 その遠心力を利用して、そのまま後ろに飛んで距離が離れた。

 それを見ていたプレシアから声がかけられる。

「バスタードソードの使い手! 我々に加わる気があるなら、そっちのモーニングスターの竜騎士を倒してエシリアへの忠誠を示せ! ……それでよろしいですね? クラウネル様」

「……ああ。他の者も聞け! 手出しは無用、この戦いをしかと見届けよ!」

 兵たちに目をやる。

 その顔には動揺が浮かんでいるのが見て取れた。

「何してるのッ! 私を援護して!」

「で、ですが、プリス様……」

「これは裏切り者だッ!」

「違う! ここで全滅することこそが国家への裏切り! お前たちは恥を忍んででも生き延びなさい! プリスも、ここで意地を張って何になるの! ここで死んだら、アレジアの仇だって討てなくなるのが分からないの?」

「そんな、詭弁を……!」

 再びプリスが突っ込んでくる。

 単発だった攻撃は、重さを生かし緩急を付けられた連撃へと切り替わっている。

 振り下ろしからの打突。

 石畳が砕け、跳ね返って宙に浮いた鉄球がそのまま突き出された。

 反撃の一振りは、初めから盾として使うことを考えて造形された手甲によって受け止められる。

 モーニングスターの柄を手放した片手は剣を弾くと、そのままこちらの顎を打ち抜くべく振り抜かれた。それをかわすために後ろに引いたところへ追撃の〈フォスフォラス〉が落ちてくる。

 背中に石塀が当たる。

 気付けば壁際まで追い詰められていた。

 横に逃げればやられると直感する。

 プリスは全力で振り抜いてはいない。

 竜騎士の膂力ならば、攻撃の途中で軌道を変えることも不可能ではない。

 ヒルダはとっさに地を蹴って前へ出る。

 棘付きの鉄塊の下を潜り抜け、体を捻って柄をかわす。

 振りかぶった〈ルイン〉を袈裟懸けに斬り下ろし、これはプリスに肩で止められる。

 だが、これは注意を引き付けるための囮に過ぎない。

 右手一本で振るわれた剣の軽さに、プリスも気付いたはず。

 そして、もう防御は間に合わないことも。

 マントに隠して左手で抜き放っていた短剣を、脇口の鎧の隙間にねじ込んだ。

 刺突専用の短剣は、鎧の下に着込んだ鎖帷子と布地を食い破り、肉に達する。

「――――ッ!?」

 声にならない叫び。

 竜騎士とて、痛みを感じないわけではない。

 一瞬の体のこわばり。

 見逃すわけにはいかなかった。

 短剣は突き刺したままで手放し、〈フォスフォラス〉の柄を掴むと同時に渾身の蹴りを叩き込む。

「ぐうっ!」

 脇を刺され、握力を失った手から〈フォスフォラス〉が抜け、プリスは後ろの壁に叩き付けられる。

 肩の腱を傷つけたのか、右手はぶらりと垂れ下がって上がらない。

 ヒルダは〈フォスフォラス〉を後ろに投げ、間を遮るような位置で剣を構え直す。

 だが、どの道プリスはもう両手武器を振るえないはず。

 しかし、そこで手が止まる。

 手が、腕が、心が、彼女の命を奪うことを拒否する。

 殺せは、しなかった。

 殺せる、はずがない。

 この世界でたった一人の、友達なのだ。

「殺さずともよい! 捕虜にしろ!」

 竜騎士クラウネルの声。

「……ふざけるな! 私は、捕虜になどならない!」

 残された左腕で、プリスが打ちかかってくる。

 その拳を剣で弾くが、抱きつかれるような格好になった。

 耳元に口が寄せられ、素早く何事か囁かれる。

 ヒルダ以外の、誰にも聞こえなかっただろう。

「殺して」

「え?」

 耳を疑った。

 殺して、と。

 プリスは、そう言ったのだ。

 その時、ヒルダは全てを理解した。

 先ほどまでの躊躇は不思議と消え失せていた。

 彼女を地面に突き倒し、馬乗りになって身体を押さえる。

 首鎧の下を滑らせるように、剣を突き入れる。

 戦場で数え切れないほど繰り返した動作。

 誰にも止められはしない。

 クラウネルの制止の声。

 止めさせはしない。

 私が、殺す。

 彼女は。

 きっと、彼女として、死ねただろう。

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