十七話 ロムルスの気風
国境はより遠く、
人民はより多く、
武力はなお強くあるべし。
――カントゥルス・レムス「ロムルス人の警句」より抜粋
ロムルスの貴族には、彼らが模範とする一つの生き方がある。それはロムルスの伝統として、多くの元老院議員が通ってきた道であり、彼ら自身の息子にも通らせたいと願う、一種の選良となるための王道とも位置づけられるものだ。
その第一歩は、五歳ごろになり、家庭教師をつけられることで始まる。
貴族は自らの息子に高名な家庭教師をつけることを競い合う。
その際、息子と同年代の平民や奴隷の子を一緒に学ばせるという慣習もまた、ロムルスの良き伝統と言えよう。奴隷を物として扱うカルティアに比べ、ロムルスの貴族家では奴隷身分の者でも家人として遇される場合が多い。主人の子と奴隷の子が共に遊び、学び、同じ食卓に付く光景はロムルスならではのものだ。
貴族の息子たちは、教師について教養を深め見識を広めると共に、自分たち貴族と平民や奴隷の在りようをもそこで学ぶ。共に育った平民や奴隷の子は、彼が長じてからは生涯に渡る忠実な友となり片腕となることを期待される。
そして軍に入れる年齢になると、貴族は財務官補佐として、平民や奴隷は兵卒として志願するのが一般的だ。彼らは財務官となり、百人隊長となることを期待される。これは、元老院議員たるものローマ軍の実態を知っていて然るべきという考えからくるもので、実際に軍務経験がない属州出身の元老院議員は、他の者から軽視される傾向がある。
これに関しては、ロムルスの最高指導者であり全軍の指揮官でもある二人の執政官や各軍を統括する将軍が、元老院議員の中から選出されるのが通例となっていることが大きい。そこでは、軍の維持や兵站を一手に担う財務官の実務経験と、兵を掌握する能力を問われる百人隊長の戦闘経験が大きく生きてくるためだ。
加えて、戦争で得られた属州の総督となるためには、執政官の経験者である必要があるというのも重要だ。いわゆる「うまみのある」役職である属州総督の任は、元老院議員の経歴の最終到達点であると言える。彼らは任期中に職権を使って個人的な資産を蓄え、老後の生活に備えることになる。
平均的なロムルス貴族の理想とする生き方とは、大体このようなものだ。それゆえ、積極的に対外戦争を繰り広げる国風も相まって、軍務経験は大変重要視される。
ロムルス軍は剣で戦い、測量と算術によって勝つ、とはよく言ったものだとプレシアは思う。
将来の指揮官候補である財務官の職掌が、測量すなわち道路の造成に砦の構築といった土木工事や、算術すなわち装備の補充に兵站の確保などの細々とした計算と手配であることを皮肉交じりに言い表した言葉だが、指導者層における軍務への理解の深さがロムルス軍の強さに繋がっているのは厳然とした事実である。
こうした気風は、ある意味ロムルスの貧弱な土地によって培われたと言ってよい。
作物が育たないためか、周辺の諸民族よりも貧弱な体型だったロムルス人は、その不利を団結と合理化によって克服してきた。敵対民族の侵入と繰り返される防衛戦争が、彼らにそれを強いた。ロムルス南部のウェスウィウス火山には、神話の時代からロムルスの地を見守り続けてきた竜がいたが、彼らは竜の不確かな庇護下に留まる事をいさぎよしとしなかったのだ。
故実に則って竜を屠り、竜騎士団を結成する礎としたのは、気まぐれに振る舞う竜の力には頼らず、我ら自身が竜の力を得て自衛すべし、と当時の元老院が決定を下したためだ。熱狂や信仰の入り込む余地はなく、真の選良による厳正にして純粋な価値判断だけがそこにはあった。
竜との戦闘がどのようなものであったか、詳細は伝わっていない。
当時のロムルスに、レオンティナはまだいなかった。
三百年以上昔の話なのだ。
戦場に英雄は存在しない。
存在する必要もない。
それを体現するのがロムルス軍という存在だ。
この時代において今なお竜を奉じ、救国の英雄の到来を待ち望むエシリアはその対極にあり、竜を竜騎士を造り出すための装置としながら信仰の対象としても祀り上げるカルティアはその中間にあると言えよう。
これはどちらが優れているというものでもなければ、正邪で測れるものでもない。
歴史書にはただ結果だけが記される。
プレシアがその一部始終をシルニアの防衛塔の頂上から見届けた光景は、こう記されるだろう。
シルニア防衛戦において、エシリア軍の竜騎士クラウネルは、王都シルニアの包囲を打ち破り、ロムルス軍の司令官メテルス将軍を討ち取った、と。
亡き父の親友であった人の首が、槍先に高く掲げられるのをプレシアは目にする。
間を置かずして、戦死した将軍に代わり指揮を引き継いだ参謀長が、カルティアからの客将として一隊を任されていたアンヘリカによって討ち取られるに至り、指揮系統は完全に崩壊した。下位の参謀や百人隊長が、手近な兵をまとめてばらばらに後退していく。
同時に伝令によってシルニアへの敵部隊侵入が伝えられたのだろう。クラウネルはロムルス軍残党の追撃を部下に任せると、馬首を返して市内へ急行した。
ちょうどその時、プレシアの下にレオンティナが戻ってくる。市内へ侵入した部隊の妨害と足止めに向かわせていたのだ。
「首尾は?」
「存外大きな獲物がかかりました。ロムルスの竜騎士です」
「ご苦労さま。じゃあ私たちも行きましょうか」
涼しい顔で現れたレオンティナだが、ドレスはボロボロになっている。
今レオンティナが使っている女の身体は竜騎士のものではないが、それでも生半可な竜騎士ならば討ち取るだけの実力がレオンティナにはある。戦闘の経験値が、文字通り桁が違うのだ。
その彼女に攻撃をかすらせたのだとすれば、相当な実力者が出てきているのだろう。
「できれば身体ごと頂いてしまいたいところだけど……」
「お望みとあらば」
「いえ、まだ無理をするような場面でもないわ」
それに、ロムルスの竜騎士の体を首尾よく奪えたとしても、面が割れてしまっているのでエシリア領内での以後の行動が大きく制限される。
一番いいのは誰にも気づかれることなくクラウネルになり替わることで、その機会をみすみすふいにすることもないだろうと判断する。
レオンティナは包囲が完成すると同時に撤退するよう言い含めてあったので、プレシアが何も言わなければ橋が落ちて立ち往生している敵部隊を包囲した、ということになるはずだった。レオンティナの実力は、あくまで常人としては強いという程度の評価に留めておきたい。
「まあ、竜騎士に手こずるようじゃ竜の討伐なんて夢のまた夢。いい機会だから、ここで私たちの主君様の器量を見極めさせてもらいましょう」
「御意に、主殿」