表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第二章 私生児の竜騎士
16/39

十六話 魔剣乱舞

駆け抜ける疾風のごとく。

――風の舞い手の教え



 東城門の方で鬨の声が上がったことで、機が熟したことをヒルダは知った。

 ヒルダとプリスに〈竜狩り〉を加えた五十二名の部隊は、シルニアの北門への突撃を敢行する。

 兵たちにはあえて喚声を上げさせる。

 思いもよらない方向からの攻撃は、守備兵たちの意表を突いた。焦った射撃は狙いが甘く、射程も十分ではなかった。発射音と射線から推測すると大部分はクロスボウ、そして肝心の弓手は発射の合図も待てない未熟な兵だ。

 二射目を放つだけの時間は与えず、そのまま城門へ肉薄する。

 小細工は弄さない。

 プリスが馬上で構えるモーニングスター〈フォスフォラス〉は、柄付きの鉄球に凶悪な棘を生やした彼女の愛用品で、大の男でも三人がかりで持ち運ぶのがやっとという代物だ。明けの明星の名を体現するかのように常に戦場を先駆ける彼女は、眼前に立ち塞がる全てを粉砕する。

 竜騎士の力が発現し、鉄球が白い光を放つ。

 重装騎馬の疾駆、竜騎士の膂力、そして〈フォスフォラス〉の質量。

 全てが一点に集約され、王都シルニアの北城門の中心に叩き付けられた。

 鉄と木の壮絶な破砕音。

 だが、まだ城門は開かない。

 ヒルダが手を振ると〈竜狩り〉部隊の十騎が先行する。

 五騎が二列に並び、巨大な破城槌を保持している。

 それを、疾駆の勢いのままに城壁に叩き付ける。

 プリスの打撃に勝るとも劣らない衝撃に、城壁を閉じていた閂が折れる音が聞こえた。

「もう、一撃ッ!」

 馬から飛び降りたプリスが〈フォスフォラス〉を振るう。

 地を踏みしめ、その場でぐるりと一回転して遠心力を乗せた一撃は、今度こそ城門を破砕した。

 ちょうど人馬が通り抜けられるほど広がった隙間へ、馬を乗り入れる。

 プリスも再び馬にまたがり、〈竜狩り〉部隊に城門を押し開かせている。

 壁内は混乱と怒号に包まれていた。

 遠目には斥候隊としか見えなかったであろう、たかだか五十名の部隊が急に反転し、堅固な城門をぶち抜いたのだから、それも仕方のないことではある。

 だが、その油断は致命的な緩みをもたらす。

 内城門は、大きく開けられていた。

 内城門の側には、物資を積んだ荷車とそれを運ぶ民兵の姿。

 彼らは突如城壁内に現れた敵の姿を目にして一瞬硬直し、直後には市内へ向かって逃走を始めていた。

 おそらく、外城門がそう易々と破られるとは思っていなかったのだろう。

 確かに、竜騎士の存在を抜きにすればその判断もあながち間違いではない。

 これは、決してヒルダやプリスの軍功ではない。

 何人、ことによったら何十人という赤竜による損耗を乗り越えて二人はここにいる。

 多くの竜騎士の犠牲が、ここに実を結んだ結果に過ぎない。

 赤竜に殺されたプリスの姉アレジアは、今、確かに戦っているのだ。


「突撃ッ! 内城門を一気に抜けッ!」

 ヒルダの命令一下、部隊は声も出さずに突撃をかける。

 最初の突撃時に声を上げさせたのは、あくまで陽動。

 それ以外の場面では、無駄な喚声は指揮官の命令を阻害するものでしかないからだ。

 前方を阻む敵はいない。

 出撃部隊に兵の大半が割り振られているためだ。

 ようやくクロスボウの装填を終えたのか、外城壁の上から何本かの矢が射掛けられるが、被害は馬が一頭やられるに留まった。

 問題はない。馬を失った兵は、仲間の馬の鞍に手をかけて走ることで、かなり速度を上げても追随できるように訓練されている。その任務上、激戦地や敵地での作戦を遂行することも多い〈竜狩り〉にとって、部隊からの脱落は死を意味するからだ。


 作戦は順調だった。

 いっそ、気味が悪いほどに。

 王城へ向かって馬を疾駆させつつ、メテルス将軍との会話を思い返す。

 王族との繋がりを持つ工作員を中に送り込み、エシリア軍を城壁外へ誘い出すというその計画を聞いたとき、ヒルダは最初、そんなことが可能になるとは思えないという感想を抱いたものだった。

 しかし、ここまでの展開は事前の作戦通りだ。

 ヒルダは、なんとなく嫌な感じをぬぐい切れずにいた。

 なにか、規模の大きい罠へと誘いこまれているような感じを受けたのだ。

 だが、確信が得られない。

 嫌な感じを受けはしたものの、結局は思い過ごしであることも多々あるのだ。


 このシルニアの街は海と川に隣接するという地勢を生かし、市街には至る所に水路が張り巡らされている。

 そのため馬での移動の際には要所に設けられた橋への迂回を強いられることになる。

 軍の移動に適した太い道は数が限られ、またその道には何本もの橋が架けられていた。

 橋は容易に落とせるような仕掛けがしてある。橋を落とし、水路の向こうで盾と矢を持って待ち構えるエシリア軍をまともに攻撃しようと思ったら、かなりの被害を覚悟する必要があるだろう。

 だが、それらは全て兵がいればの話だ。

 出撃部隊と城壁の防衛部隊に兵員のほぼ全てを振り向けたエシリア軍に、市街の防備に回す兵力があるはずもない。

 ヒルダたちは無人の野を行くがごとく、何の攻撃も受けずに王城へたどり着くことに成功した。

 海に生きるエシリア人らしく、ほとんど海に隣接するように立つ城は時代と共に増築され、ロムルスやカルティアに東方の国々の様式まで取り入れて築城されている。また城を囲む水路は一際深く広くなっており、大型船の運行も可能と思われた。よく見れば城壁が切られて、落とし格子で塞がれた部分があり、城内へと船が入れるようになってもいるようだ。

 だが、城壁があり城門があるという基本は変わらない。こちらも内城壁と同じく、敵襲を想定せずに跳ね橋が下ろされたままとなっていた。

 破城槌は外城門を破壊した際に放棄しているので、王城門の破壊はプリスの〈フォスフォラス〉が頼みだ。

 一撃し、耳障りな破砕音が辺りに響き渡ると、城内で動きがあった。

 城壁上から少数の守備兵が顔を出し、プリスに向かってクロスボウを構えるが、矢は〈竜狩り〉の数名が構える大盾によって防がれ、部隊の半数程度が携行する小型のクロスボウとヒルダの投げる刀子によって沈黙させられる。


 その時、異様な音が辺りを圧した。

 長く続く高音と、断続的な重低音。

 体の芯に響くような高音は、幾重にも重ねられた角笛の音色。

 徐々に大きくなる重低音は、漕手の呼吸を合わせるために漕手長が叩く太鼓だ。

「……ッ!」

 視界の端に入ったのは、城壁の角から姿を現したガレー船の巨体。

 船首に二つの衝角を持つその姿は、エシリアの主力船だ。

 偶然か、それとも感付かれたのか。

 あるいは、待ち伏せなのか。

 工作員が裏切るか、捕まるかしたのなら、あり得る。

 こちらを視界に入れたガレー船は、漕手長の気合を込めた一打に合わせ、百足のように突き出された櫂で力強く水を切って進んでくる。

 二つの衝角は、敵船のどてっ腹に穴を開けて沈めるために喫水線より下に設けられたものと、船首上に据え付けられた敵船に乗り込む際に橋の役割を果たすものがある。

 しかしヒルダは、水面を滑るように進むガレー船にふと違和感を覚えた。

 街中に船があるから。

 違う。

 そうではない。

 そう、なぜ船で来たのか。

 港までそれほど距離はない。

 わざわざ櫂走するよりも、陸地を走った方が早いはずだ。

 にもかかわらず、船で来た。

 違和感はそこに発するものだ。

 敵の意図は、跳ね橋の破壊にあると直感する。

「……お姉さま!」

 プリスが視線でどうするかと問う。

 逡巡する間にも船は迫りくる。

 このままでは跳ね橋を破壊されて水路に突き落とされるだろう。

 退くかと考え、一瞬でそれを否定する。

 跳ね橋を壊されれば同じこと。

 幅のある水路に阻まれ、王城への侵入はままならない。

 ならば答えは一つ。

「破壊を続行!〈竜狩り〉は盾手を残して跳ね橋を離れろ!」

 あと何撃入れれば城門を破壊できるのか。

 それまでは時間を稼がねばならない。

「援護しろ!」

 そう叫んで馬首を返す。

 跳ね橋を戻り、水路脇の石畳を駆けさせる。

 船上でクロスボウを構えていた一人がその姿に気付くと、十数本の矢が一斉にヒルダを向く。

 激しく揺れる馬上から船の様子を確かめる。

 見るべきは弓手ではなく、船長だ。

 マストの下にそいつはいた。

 貴族らしい赤地に金の縁取りがされたチュニックに、被るだけのハーフヘルム。

 兜からはみ出す潮焼けした金髪はくすんだ銀色にも見える。

 海戦に慣れた者は金属を身にまとうことを嫌う。

 掲げられた剣は、潮風にやられたがらがら声と共に振り下ろされる。

 至近距離から一斉に放たれた矢は、馬甲を貫き通した。

 馬は棹立ちになるが、その一瞬前にヒルダは鐙を蹴って跳んでいる。

 それに合わせるかのように〈竜狩り〉部隊の放った矢がガレー船を襲い、船上は一瞬の混乱に包まれた。

 甲板に降り立ったヒルダと船長の間を遮る者はいない。

 滑り止めの砂が巻かれた甲板を蹴り、背中のバスタードソード〈ルイン〉を抜き放つと、そのまま斬りつける。

 船長はとっさに剣で受け止めるが、竜騎士の一撃を受け止められる人間などいようはずもない。

 白熱する〈ルイン〉は船長の肩口から脇腹にかけて、彼の構える剣ごと叩き斬っていた。

「がっ……!」

「クラウディオ様が……くそッ、止めるな!」

 漕手長が咆哮を上げる。

 血をまき散らして倒れる船長の姿に、全員が気付いたわけではない。

 櫂が下ろされる度に船はぐいと前へ押し出され、跳ね橋はすぐ間近まで迫っていた。

「プリス! 退きなさい!」

「……ッ!」

 プリスが跳ね橋を蹴って大きく後ろに飛んだのと、衝角が跳ね橋を切り裂くようにして破壊したのはほぼ同時だった。

「櫂上げ! 右岸に寄せて上陸しろ!」

 太鼓の調子が変わり、それに応じてガレー船は櫂を上げ、右岸に寄せていく。

 跳ね橋を壊されては、短時間で王城へ侵入するのは困難。

 任務は失敗だった。

「あと、あと一撃あれば……」

「この場は退く! 先陣を切りなさい、プリス!」

「隊長殿、あれを!」

 兵士の一人が東の空を指さす。

 ヒルダは、そこに撤退を意味する三本の狼煙が上がっているのを見て取った。

「撤退!? 本隊は……いえ、今は……くっ、我々も北門から脱出する! 我に続け!」

 撤退は偽装であり、狼煙は上げないと作戦会議の場で伝達されていた。そもそも付近に友軍はいないので、本来なら狼煙はほとんど必要ないのだ。つまり、あの狼煙は城壁内にいて戦況を掴みにくいヒルダたちに向けたものだ。

 なにか緊急事態が起きたに違いなく、下手をすれば帰還した敵部隊によって囲まれることになりかねない。一刻も早く脱出し、可能ならば友軍の撤退を支援しなければならなかった。

 比較的安全な撤退路として事前に考えていたのは、街の西側、河口付近で船を奪って川に出る方法だった。両海軍が睨み合いを続ける海側は論外として、北と東の各門も襲撃を受けて警備が強化されていると考えられるためだ。

 幸い、王城から河口まではそう遠くはない。上陸してきたガレー船の船員たちは徒歩なので、馬を駆るヒルダたちなら振り切れる。

 プリスを先頭に〈竜狩り〉の兵士たちは整然と撤退を始める。ヒルダが最後尾につき、追いかけてこようとした何人かに向けて刀子を放って倒すと、鎧をまとわず盾も持たない彼らはあえて追跡しようとはしなかった。


 そのまま市街を駆け抜ける。

 兵は出払い、民は固く扉を閉ざし、行く手を遮る者はないかと思われた、その時。

 馬上からプリスの姿が消える。そのすぐ後ろにつけていた三人が馬上で体をのけぞらせ、そのまま落馬した。落ちる瞬間、その顔に矢が突き立っているのがちらりと見える。

 行く手の屋根上に目を走らせるが、弓手の姿はない。

 危険を承知で鐙の上に立ち上がると、遠くに人影が見えた。

 要石を抜かれて崩れ落ちた石橋を背に立つ、女が一人。

 深いスリットの入ったドレスの上に透けるようなショールを羽織り、ブローチで留めたその姿は、自信に満ちた笑みと相まって、女であるヒルダの目にも扇情的に見えた。腰には無骨な黒鞘に収められた長剣と、やや短く湾曲した形状の剣を吊るした剣帯。片手に長弓をぶら下げ、もう片方の手には三本の矢を手挟んでいる。

 どうやら、矢はあの女が一人で放ったものらしい。

 恐ろしいまでの技量。

 このまま進めば被害は取り返しのつかないものになると判断し、命令を下す。

「下馬戦闘! 盾を押し出して進め!」

 全員が馬を降り、五名の盾持ちが最前列に並び、残りの兵はその後ろにつく。

 とっさに馬の横腹にしがみついて矢を避けていたプリスとヒルダの二人だけが盾の前に出る。

 女は長弓を構え、流れるような所作で三連射。

 二本はプリスの〈フォスフォラス〉に叩き落とされ、ヒルダ自身も〈ルイン〉で一本を斬り払う。

 それを見届けると、女は長弓を捨てた。

 ふわりと広がるドレスの陰に鞘を隠し、湾曲した形状を持つ剣の柄頭に手を添えて微笑む。

 その立ち姿からは力量が全く計り知れない。

 ただ、女の本分が弓ではなく剣にあることだけは確かだった。

 そして、後ろからは敵が迫っているだろうことも、また。

 睨み合っている時間はなかった。

 ヒルダはその不利を自覚し、一歩足を踏み出す。

 彼女の間合い分だけ距離を開けてプリスが後ろに続く気配を感じる。

 ゆっくりと距離を詰める二人の竜騎士を、女は悠然と待ち受けていた。

 近づくにつれて、ショールを留めるブローチの意匠がはっきりとしてくる。

 遠目には黒地に金象嵌の騎士と見えたが、それだけではなかった。

 奇妙なことに、その手足からは細い糸が真っ直ぐ上に伸びている。

 どことなくおどけているようにも見えるその姿は、操り人形を思わせた。

 どこかで見た覚えがある意匠だが、思い出せない。


「おお、美しきご婦人との舞踏は我が喜び。不肖、このレオンティナがお相手を務めさせていただきましょう」

 剣士はそう言うと、優雅に一礼して見せる。

 嫣然と笑う姿と男性めいた口調は、しかしこの人物に限っては違和感を感じさせなかった。

「……どうあっても通す気はありませんか?」

「赤竜を討伐せんとする強く美しい竜騎士がお二人。舞踏にお招きせねば失礼に当たりましょう?」

 この女、ヒルダとプリスが竜騎士であることを知っている。

 やはり工作員は捕まっていたかと歯噛みする。

 しかしいくら手練れであろうと、ただの人間が二人の竜騎士にたった一人で挑むなど、愚の骨頂。

「竜騎士とやり合って、勝てると? 大した自信ね」

「勝てはしないでしょうな。負ける気もいたしませんが」

「貴方、竜騎士……ではない? いったい……?」

「ただ一振りの剣、に過ぎませぬよ」

 眼前に立つ、レオンティナと名乗る女から、並の竜騎士と相対する以上の圧迫感を感じる。

 プリスも同じことを感じているのか、〈フォスフォラス〉を構えたまま機を伺っている。

 後方からは、争闘の気配が伝わってきていた。

 ガレー船の船員たちが、盾やクロスボウを揃えて追撃してきたのだろう。

 しかし、二人はレオンティナから目を離せずにいた。

 一瞬でも注意をそらせば斬られるだろうという確信があった。

 〈ルイン〉と〈フォスフォラス〉の放つ白い光が、その強さを増していく。

 十分に時間をかけて力を練れば、竜騎士の力は何倍にも増幅される。

 ただ向き合っているだけではどんどん不利になっていくはずだが、そんなことは気にもかけない様子でレオンティナはただ静かに構えている。

 竜騎士の燃えるように激しい剣気と女剣士の闇夜のように静かな剣気が張り詰める。

 女剣士がふいと消える。

 脇下を狙って滑るように抜き放たれた剣を、ヒルダは辛うじて弾いていた。

 ほぼ無意識での防御行動は、竜騎士の反応速度あっての賜物だ。

 レオンティナはそのまま背後に抜け、それから驚愕と恐怖が去来した。

 目で捉えられないほど動きが早かったわけではない。

 現に、間近に迫った剣をこうして弾き返せた。

 地面を蹴って、位置を入れ替えるようにして相対する。

 プリスは逆に一歩引き、ヒルダと挟撃できる位置を取った。

 レオンティナは二人に挟まれてなお余裕の笑みを崩さず、半身に立って構えている。

 ヒルダを襲って抜き打たれた片刃の剣は右手に握られ、ヒルダの〈ルイン〉と打ち合ってその刃を欠けさせていた。そして左手には、いつの間にか抜かれた黒刃の長剣が逆手で握られている。

 夜間の行動を任務とする一部の部隊は篝火や月明かりの反射を嫌い、鞘と刀身を黒く塗るという話を聞いたことがあった。しかしレオンティナの剣はそれとは明らかに異なる。複雑に重なる黒い刃紋は、レイヴン鋼の証。希少なレイヴン鋼がこうもふんだんに使われた剣を目にしたのは初めてだった。

「その剣……貴様のような者がどこで手に入れた!」

 レイヴン鋼は希少である上に、精錬の技法は失われてしまっている。これだけの剣となれば、ロムルスにも一振りあるかないかだろう。さぞ名のある名家のものであったに違いなく、竜騎士でもない一介の剣士が佩くようなものではないのだ。

 しかしヒルダの問いを耳にした瞬間、レオンティナの顔から感情が抜け落ち、空気がすっと冷えた。

「我が友の死からどれだけの月日が流れ去っただろうか? 我が魂たるこの剣が所有されたのは後にも先にも一度きり。我、仕えども所有されず。我が友と交わした神聖な誓いだ」

「……戯言を」

 まるで自分が剣であるかのような物言い。

 そもそもレイヴン鋼の剣は新しいものでも三百年以上前に鍛造された物が残っているに過ぎない。目の前に立つレオンティナは精々二十代後半。とても事実を語っているとは思えなかった。

「戯言かどうか、いずれお前はその身をもって知るだろう」

 その口調は冷ややかで、最初の余裕は消え去っていた。

「身の程を知るのは、お前だッ!」

 プリスの横薙ぎの一撃がレオンティナを襲った。

 腰の辺りを狙って放たれた一撃を、レオンティナは身を沈めてかわす。

 これにより完全に位置が入れ替わることになる。

 援護のために斬りかかるも、あっさりと後ろへ跳んでかわしたレオンティナは、ふわりとドレスの裾を膨らませて踵を返した。

 その向こうには、こちらに背を向けてエシリア兵の追撃を防ぐ〈竜狩り〉部隊の姿がある。

 レオンティナは二人を無視して〈竜狩り〉の後背を狙い、迷いなく駆け出す。

 行かせれば、被害は壊滅的なものになる。

 追わざるを得なかった。

 だが、単純な脚力だけならば竜騎士であるこちらが勝る。

 距離は見る間に縮まり、あと一呼吸で追いつくと思われたその瞬間。

 黒い刃が眼前に迫っていた。

 地を這う蛇のような斬撃を、とっさに籠手で受ける。

 剣尖が微妙な動きを見せ、盾としても機能するよう頑丈に拵えられた籠手の接合部を切り裂く。

 手首に激痛が走り、感嘆の気持ちが湧き上がる。

 なんて、技量。

 弱い部分を突く精妙な剣捌きはもちろんだが、驚いたのは攻撃の瞬間が全く見極められないことだ。

 常人を遥かに上回る動体視力を持つ竜騎士は、通常の人間との戦いで不意を打たれることなどまずないと言っていい。

 しかし、このレオンティナはそれを狙ってやってのけているのだ。

 先ほどのものと合わせ、二回の斬撃を受けたことでその理由も推測できるような気がした。

 ヒルダは〈ルイン〉を捨てる。

 レオンティナは機を逃さず、舞うように剣を振るい続けた。

 黒刃が態勢を崩し、曲刀がしなうようにして首筋や眼を狙ってくる。

 かと思えば曲刀がフェイントに使われ、黒刃が正確に防御の隙間を突き、斬りつける。

 力の流れに淀みが全く感じられず、動きは全て次の動きへの布石となる。

 黒刃の方は逆手で握る剣としては極端に長いが、レイヴン鋼の軽さと、重さに逆らわないレオンティナの技量がそれをそういうものであるかのように見せている。

 光を吸い込むような黒刃は常に手や腕の陰に隠され、これだけ斬りつけられてなお間合いが掴めない。

「お姉さまッ!」

 かけられた声に反応して、大きく後ろへ跳ぶ。

 追撃をかけられれば間違いなく殺されていたが、レオンティナの動きは代わりに飛び込んだプリスによって封じられていた。

 もはや白い光の塊と見紛うまでに輝きの強さを増した〈フォスフォラス〉が地面を砕く。

 石畳は粉々に砕け散り、土塊が弾け飛ぶ。

 直撃こそしなかったものの、大きく後ろに退いたレオンティナとの間に距離が開く。

 その隙にプリスは〈ルイン〉に飛びつくと、ヒルダに投げて渡した。

 受け取り、構え直す。

 素晴らしい使い手だが、やはり竜騎士ではない。

 レオンティナは最初の一撃以外、武器に武器で合わせようとはしていなかった。

 一撃でも与えられれば勝ちだが、不用意な一撃を放てば逆にこちらが致命的な攻撃を受ける。

 これは、そういう戦いだった。

 手強いが、手の内が見えれば戦いようも見えてくる。

 〈竜狩り〉部隊の何人かもこちらに気付き、援護のクロスボウがいつでも放てる態勢を取っていた。

 じりじりと距離を詰める二人を見て、レオンティナは不意に構えを解くと、能面のようだった顔に笑みを浮かべ、両の剣を鞘に戻した。

 そして、気付く。

 いつの間にか、橋を壊された水路の先が敵兵によって固められていることに。

「時間です。名残は尽きませんが、運が良ければまた会う機会もあるでしょう」

 その声がどこから発されたものかは分からなかった。

 後方に注意を向けた一瞬の間に、レオンティナの姿は掻き消えていた。

 逃げ場はない。

 ぎっしりと並べられた盾の隙間からは、数え切れないほどのクロスボウがこちらを狙っていた。

とりあえず一区切り。

続きは年明けにまとめて更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最新作(空戦ファンタジー)はこちらから
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ