十四話 復讐の誓い
吹き去りし風は再び訪れることなく。
――風の舞い手の教え
くすぶりつづける船にアレジアの遺体を残し、ヒルダはエシリア島に上陸した。
隣でプリスがぐすりと鼻をすする。
「お姉さま、私……お姉ちゃんを守れなかった」
「……うん」
「お姉ちゃん、私を助けるために、竜の気を引いて……わ、私、なんにもできなくて……」
「何にも出来なかったのは、私の方……けどね、二人の戦ってるところを見て、一つ気付いたことがあるの」
「……え?」
「竜は手負っていた」
竜が退いたのも、おそらくは手負いだったため。でなければ、三人ともあの場で殺られていたに違いないとヒルダは思う。
「それは、私が攻撃したから……」
「ううん、プリスが攻撃する前、最初に現れたときからあいつは手負いだった。多分、別動隊とやり合った後だったんだと思う。私たちを殺さずに逃げたのは、あいつも限界だったからだと思う」
「じゃ、じゃあ、別動隊も……?」
別動隊は、ロムルス軍が押さえているメッシニアとカタルニアの港から上陸を図っているはずだった。そちらも襲撃を受けたとなると、部隊はよくて半壊か、悪くすると全滅しているかも知れない。
ヒルダたちにしろ、赤竜により三隻の船が沈められ、結局生き延びたのは二人だけだった。
シルニアまで行けば友軍がいるのは不幸中の幸いというものだろう。赤竜の襲撃は斥候によって発見されていたらしく、ほどなくして〈竜狩り〉部隊と思われる五十名ほどの部隊が二人を迎えに来てくれた。
竜の強みは、空を飛翔し地形に左右されず高速で移動すること、その外皮は矢を通さないほど硬質であること、業火の吐息によって広範囲を薙ぎ払えること、この三点に集約される。通常の部隊では有効な打撃を与えられず、固まっているところを狙われると被害が大きくなる。
古代王朝では、竜が敵軍の陣形を崩したところを騎馬部隊もしくは戦車部隊が突破する戦術が猛威を振るっていたというのはよく知られた話だった。今では名前も残っていないその王朝は、竜を駆る偉大な王に率いられ、はるか東方まで遠征したという。最後は〈極東の龍〉と呼ばれる蛇のような姿の竜との戦いに敗れて王は没し、竜は石化したのだとされているが、ここまで来るともはやおとぎ話の世界でどこまでが真実かは闇の中だ。
彼ら〈竜狩り〉部隊は、有名な古代の戦術に倣って戦場を引っかき回す竜騎士に対抗するために編成された部隊である。対竜騎士戦に特化した彼らの戦術が、本物の竜に対してどれだけ通用するものなのかは未知数だが、少なくとも普通の部隊をぶつけるよりは見込みがある。竜の討伐に当たっては、彼らに支援してもらえれば心強い。
部隊の指揮官らしき壮年の騎士が二人の前で馬を止める。
「驚いたな、赤竜に襲われて生き延びるとは。その格好と得物、もしや援軍として送られた竜騎士というのは君らなのか?」
「私の名はヒルダ・レムニカ、こちらは部下のプリス・ロムニカだ。残念ながら補給船三隻は失われ、竜騎士も一人戦死した。……司令官殿に着任の挨拶をしたいのだが」
「うむ。メテルス将軍も君らをお待ちだ。……おい、この方たちに馬を貸して差し上げろ」
馬を借りて野営地内を駆け抜ける。竜発見の報に、兵士たちは殺気立っていた。
司令官の天幕に乗りつけると、伝令兵に矢継ぎ早に指示を出すメテルス将軍の姿があった。
「ん? おお、お前たちが本国から来た竜騎士だな」
「隊を任されております、ヒルダ・レムニカと部下のプリス・ロムニカであります」
プリスは黙って頭を下げる。
「三人という話だったが?」
「一人は、先ほどの戦闘で戦死しました」
「そうか。だが今はお前たち二人だけでも生きてここまで辿り着いてくれたことを感謝しよう。それでだ。お前たちの任務は竜討伐だろう? 早いとこ竜を排除したいのはこっちも同じだ。というわけで、竜の討伐に向かう前にシルニア陥としに協力してもらいたい」
アレジアの戦死について気にもかけない様子に、内心かちんとくるものがあった。
「お言葉ですが、私たちには寄り道をしている時間は……」
「だからだよ。ま、詳しいことは説明するからとりあえず中に入れ」
そう言って天幕の中へ姿を消してしまう。
プリスと顔を見合わせてから中へ入ると、メテルス自らが杯を三つ並べてワインを注いでくれる。
「本場のエシリアワインってやつだ。まあ、呑め」
戸惑いながらも二人が杯を持ち上げると、メテルスは問いかける。
「戦死した竜騎士、名はなんて言うんだ?」
「アレジア・ロムニカと言いますが……?」
メテルスはその答えにうなずくと、杯を高く掲げる。
「勇敢なるアレジア・ロムニカに!」
簡潔な鎮魂の祈りと共に、杯を干す。
「……我が友、アレジアに!」
「……私の、最愛の姉に!」
ヒルダとプリスもそれぞれ杯を掲げ、一気に飲み干す。
そして、メテルスが私生児の竜騎士だからと軽視するような人物というわけではなく、単に人の生き死にについて感情を表に出さない人物であるに過ぎないと気付く。こういうやり方をする将軍には初めて出会ったが、あっさりとしていながらも力強い流儀は、悪くないと思えた。
「よし、杯を置いたらこれを見ろ」
メテルスはエシリア島の地図を広げた。
島の外周部に八つの港町があり、内陸部には丘陵や森林が広がって、その中に村々が点在している。そして、メテルスが指差す島の中央には、赤竜が住まうエティナ火山がある。シルニアからエティナ火山へは一本の道が引かれているが、その道を遮るように赤い帯が書き加えられていた。
「先だって部下に命じて、シルニアの攻囲と並行して内陸部の調査をさせておいた。これはその結果なんだが、この赤い帯、これは溶岩地帯だ。数キロメートルに渡って溶岩が流れ出し、とてもじゃないが渡れる状況じゃない。近隣の村人に聞いた限りでは、つい三か月前まではこんなことはなかったそうだ」
「三か月前というと、ちょうど開戦した時期と重なりますが……」
「これは俺の勘だが、まあ関係ないってことはないだろうな。他の方向から登ろうとしても結局は断崖絶壁やら溶岩流やらに阻まれちまうから、お前らは是が非でもこの突如出現した溶岩地帯を何とかしないとならんわけだ。で、そこからシルニア陥としの話に繋がるんだがな」
「シルニアに、何か手掛かりが?」
「正直、何とも言えん。だが、この島で赤竜と直接接触できるのは、代々エシリア王ただ一人とされている。闇雲に溶岩へ突っ込むよりは、エシリア王を捕らえて何が起こっているのか聞くか、あるいは溶岩を避けて進む道がないのか聞く方がいいんじゃないか、と俺は思うんだがな」
国内のどこかに黒竜を秘匿するカルティアと異なり、ロムルスの竜はすでにこの世界に存在しない。竜との交信の技術も失われて久しい。エシリア王家に赤竜と何らかの交渉を行う技術があるのなら、確かにそれには大きな意義があるのかも知れなかった。
「遠目に見ただけですが、シルニアの防備は厳重です。陥とす当てはあるのでしょうか」
「一つ、考えている作戦がある。先だって城内に工作員を送り込むことに成功したので、そいつとの連携で敵を引きずり出す。まずそいつと連携してエシリア軍を城外におびき出し、俺が主力を引きつける。その間にお前たち二人と〈竜狩り〉どもで城を急襲し、エシリア王の身柄を押さえるという流れだ」
「そう、上手くいくものでしょうか?」
エシリアは、緒戦において虎の子の船団をカルティアの計略によって多数沈められている。海軍力で劣るロムルスがシルニアの海上封鎖に成功しているのもそのためで、よほど食糧事情が切迫しているのでもなければ、エシリア側が平原での決戦に訴える必然性はない。
「まあ、出てこなければこのまま攻囲を続けるだけだ。だがおそらく奴らは出てくる。エシリアは王国の名こそついちゃいるが、実際には諸都市の同盟に近いからな。ロムルスとカルティアに王都以外の全ての都市を占領されているという現状は、盟主としてそう長く放置はできまいよ。それと、工作員からもたらされた情報では、奴らもまた赤竜を討伐したがってるらしくてな。そのためにも、まずは俺たちを打ち払わないことには主力が竜の討伐に向かえない。そんなわけで、奴らにしても短期決戦を望む理由はあるわけだ。こちらとしては、上手くシルニアを陥とせればよし、陥としきれなければ一旦退いて奴らが自分で竜を討伐しに向かうのに乗っかってもよしの二段構えで行く」
メテルスがさらりと話した内容は、ヒルダを驚愕させた。
「エシリアの人間が竜を自分で討伐したがっているのですか?」
「竜の血を得て竜騎士団を作るそうだ。俺は無駄だと思うがなぁ」
同感だった。竜騎士の運用ノウハウがなければ、数でも質でも勝るロムルスやカルティアの竜騎士団に挟まれ、すり潰されるのが落ちだ。そうなった後に、エシリアへの侵攻を阻む竜はもういない。
「そもそも、普通の騎士をいくら集めたところで竜には太刀打ちできないでしょう」
「そこだな。この話、どうもカルティアが絡んでいる気がしてならん。まあ、俺の勘に過ぎんが」
仮に、カルティアの竜騎士がエシリア王家に協力すると称して赤竜の所へ案内させ、得られた竜の血を横取りしたとなれば、カルティアは新たに多くの竜騎士を得ると共に、エシリア島への竜騎士の派遣を阻む最大の障害を取り除けることになる。一度そうなってしまえば、時を置かずしてエシリア王国はカルティアの支配下となり、それを足掛かりにロムルスの領土も脅かされることになるだろう。
エシリア王家の人間は、その程度のことも思いつかない馬鹿の集まりなのか。緒戦で島の半分をかすめ取られた上にまだカルティアの人間を信用するならば、エシリア人は揃いも揃っておめでたいとしか言いようがない。
「とにかく、私とプリスで〈竜狩り〉を率いて、防備の薄くなった王城を突けばいいのですね?」
「ま、そういうことだ。数日中には動きがあるだろう。作戦の詳細は追って伝達するから、それまでは体を休めててくれりゃいい」
メテルスはそう言うと、伝令兵が呼びに来るのに応えて、話は終わりだと言わんばかりに天幕から出ていってしまう。祈祷のことと言い、なんとも型破りであっさりとした御仁だった。兵たちには慕われているのだろう。
いつまでもそこにいても仕方がないので、二人も天幕を出る。
プリスはと言えば、アレジアの死からずっと塞ぎこんだままだ。
ヒルダは二人を連れ帰ると約束したが、その約束はあっけなく破られてしまった。
それを思うと、プリスには何と声をかけていいか分からなかった。
メテルスに命じられたという兵士が二人の寝る場所や食事の配給について説明してくれるが、それも終わると二人の間には沈黙が立ち込めた。
「プリス、その……」
言葉は続かず、宙に消えていく。
「……お姉さま」
しばらく経ち、プリスがぽつりとつぶやいた。
「なに、プリス?」
「……私、絶対に、お姉ちゃんの仇を討つ。手伝って、くれますよね」
彼女の眼に宿る火を見て、脳裏に『彼女』の声が浮かぶ。
『裏切り者ども! 私は絶対にお前たちを許さない! 地の果てまでも追い、必ず貴様らを根絶やしに……』
忘れようもない。
それは、復讐者の眼だった。
「うん……勝とう。絶対に」
ようやく絞り出した言葉は、ひどく空虚に響き、風に吹き散らされていった。