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竜騎士の繰り手  作者: 天見ひつじ
第二章 私生児の竜騎士
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十二話 犠牲

水面にさざ波を起こし、岩を砂礫と成さしめるがごとく。

――風の舞い手の教え



 ヒルダが双子の竜騎士アレジア、プリス姉妹と合流して貿易都市レジニアを出て二日。航海はおおむね順調に進んでいた。

 万が一、赤竜が囮部隊ではなくこちらを狙ってきた場合に備え、三人は三隻の船に分乗していたのだが、目指すシルニアが水平線の先に見える頃にはそれも杞憂だったかと船縁ごしに笑い交わすぐらいの余裕があった。

 エシリア島には港町の周辺以外に接舷できる地形はないが、竜騎士の身体能力があれば崖に飛び付きよじ登るくらいは造作もない。むしろ危険なのは暗礁に乗り上げる可能性のある船だった。平底のガレー船なので多少の無理をして岸壁に寄せることも可能だが、ロムルス海軍の決して高くはない錬度と、補給船も兼ねているという事実を考えれば、船を破損する危険を冒してまで岩壁の二十メートル以内まで近づけることはできなかった。

 ヒルダは船長に命じ、帆を下ろして櫂でその場に船を留めさせた。舷側に立ち、岸壁までの距離と手掛かりになりそうな岩を観察し、崖上までの経路におおよその目処を付ける。

 先陣はヒルダが切ることになっている。アレジアとプリスが軽鎧を付けているのに対して、ヒルダはフード付きのマントの下に鎖帷子を付けただけで身軽なためだ。

「ご武運をお祈りしますぜ!」

「ありがとう」

 船員の一人から鉤付きロープを受け取る。重量感のある鉤は、十分な遠心力をつけてやればかなり遠くまで飛ぶ。崖上が見えないので勘頼りにはなるが、何回か試すと何かが引っかかった気配がした。

 引っ張っても落ちないことを確認し、ひとまずロープは甲板に落とす。さすがに何に引っかかっているかも分からないのに全体重を預ける気にはならないので、どちらにしろ最初の一人は自分の力だけで登り切る必要があるのだ。

 母の愛剣、バスタードソード〈ルイン〉を登攀の邪魔にならないように背負い、助走を付けるために歩数を数えながら反対側の舷側へ向かう。

 軽いステップから一気に加速し、三歩目で思いきり踏み切る。

 体にまとわりつくような潮風をぶわりと切り裂き、激突に近い勢いで岸壁へ取りつく。

 分厚い手袋と、つま先と膝を防護するキルト製の緩衝材が多少は衝撃を和らげてくれる。

 衝撃で崩れた小石がばらばらと落ち、海面に波紋をつくる。

 手袋に関しては登攀の邪魔になるので、これは海に捨てる。

 ほぼ垂直に近い岸壁を見上げ、頭の中で登攀路を再確認すると、手を上に伸ばして岩をつかむ。次いで岩のへこみに爪先を差し入れ、一気に体を持ち上げる。手を伸ばし、足がかりを見つけ、体を持ち上げる。その繰り返し。

 どれだけかかっただろうか。ようやく崖上まで体を引きあげた時には、手の痺れと安堵から思わずへたり込みそうになる。

 辺りを見回してみると、まず目に入ったのはどこまでも続く草原と丘だった。西の方にはシルニアの城壁とそれを囲むロムルス軍の陣営が遠望できた。先に投げ上げてあった鉤付きロープは地面から突き出した手ごろな岩に引っかかっていたので、手で揺らしてもぐらつかないことを確かめた上で改めてロープを縛り付ける。海に浸かっている先端を一度引きあげ、船の方に放ってやる。

 崖下の船に合図を出すと、プリスがこちらに向かって手を振っていたので、軽く振り返してやる。彼女は自分の武器をロープが外れないようにしっかりとくくりつけていく。彼女の得物は、優に伸長を超える長い柄の先端に、体重と鎧を合わせたほどに重い刺付き鉄球を付けたモーニングスターだ。

 再び彼女が手を振って見せるのを確認し、ロープを引く。引き揚げ終わったら、ロープを解き、再び船に投げ入れる。次はアレジアの方へ。彼女の武器は巨大なバリスタだ。本来なら城壁に取り付けて太矢や岩などを発射するために使用するもので、個人が携行するようなものではないのだが、竜騎士ならば一人で運用できる。

 妹のプリスがモーニングスターで前衛を務め、姉のアレジアがバリスタで後衛を務めるのが彼女たちの戦い方だ。ヒルダ自身は前衛よりだが、ある程度距離を取って戦うこともでき、中衛的な立ち回りもできるので、全体的なバランスも取れている。

 この辺りの采配は、さすがにロムルスの剣と称されるマリウス将軍だけのことはある。その腹心の部下である財務官プラエヌスからも、彼がただ戦に有能なだけでなく、戦の意味までもを考えて戦をする人間であると聞いている。

 そういう人間だからこそ、ヒルダたち竜騎士が、竜騎士ではない彼の命令に従うのだ。


「今回の任務は、可能な限り少数精鋭による遂行を旨とする。将軍は、エシリア島に竜騎士が送り込めることに味を占めた上層部が安易に大軍を送り込み、無為に戦力を消耗させることを懸念されておられるのでな」

 プラエヌスは作戦を伝達した後、付け加えるように言った。

「確かに、竜を討伐するまでは一度に多くの竜騎士を海に沈められる可能性が常にあります」

「それもあるが、一番怖いのはカルティアの反応だよ。この段階でカルティアとの全面戦争になったら目も当てられん。将軍はエシリア王国には首都シルニアを残し、東半分をロムルスが、西半分をカルティアが取る形で収めることを考えていらっしゃるが、難しいだろうな。少なくとも上層部はエシリア島そのものを取るつもりだ」

「やはり、竜の討伐は絶対条件となりますね」

「遅かれ早かれ、竜騎士を擁する最後の二国であるロムルスとカルティアの激突は避けられなかったとは思うが、絶好の緩衝地帯となっていたエシリア島と赤竜を、なにも自分の手で取り除くことはなかろうに……おっと、すまない。今から竜を討伐しに行く君たちに言うべきことではなかったな。私には、君たちの健闘を祈ることしかできんが……無事に任務を遂げて帰還してくれることを期待しているよ」

「はっ。必ずや赤竜の討伐を成し遂げます」

 そもそも、竜の力の一部を引き出して使っているに過ぎない竜騎士が、力そのものである竜を倒せるものなのかどうか。頭に浮かんだ問いは、それこそ聞いても仕方のないことだっただろう。

 取りとめもなく浮かんでくる考えを頭の隅に押しやる。たった三人の小隊ではあるが、ヒルダが指揮官なのだ。戦の意味を考えるのは、小隊長の仕事ではない。


 バリスタも引きあげ終わり、もう一度ロープを投げ下ろす。面倒だが、ロムルスの竜騎士は愛用の武器でないと自身の力を十分に引き出せない。同じ竜騎士でもカルティアとは違って、自分の武器が壊れたら隣で死んだ戦友の武器を拾って戦う、というわけにはいかないのだ。

 ロープをつかんだプリスが自分の身体をしばり、ヒルダと同じように甲板上で助走をつけて一気に岸壁へ取りつく。上からヒルダが綱を引っ張るので、仮に手を滑らしたとしても落ちることはないだろう。プリスは、ヒルダが手足をかけた場所、登ってきた経路を辿りながら、慎重に登ってくる。

 異変が起きたのは、プリスが崖を半分も登ったころだっただろうか。

 最初に気付いたのは、ヒルダだった。

 後ろから急速に接近してきたそれの正体、そして危険性を明確に認識したわけではない。

 敵襲の心配はしていなかった。つい先ほど、兵の伏せようもないなだらかな丘が続いていることを確認したばかりだったし、この辺りは現在ロムルスの勢力圏内にある。

 しかし、ヒルダは自分の身体に突如走った嫌な感触を信じた。

 ロープを手放し、横っ跳びに逃げながらプリスのモーニングスターをつかむ。

 濃い影がさっと走り、彼女の身体を衝撃波が打つ。

 影の軌跡に一瞬遅れ、舐めるような業火が地面を一直線に薙ぎ払っていく。

 辛くも掃射範囲から逃れたヒルダは、くるりと一回転して置き上がった。

 高熱によって直撃を受けた地面が融解し、焦げ付いた臭いが鼻孔を刺激する。

 ヒルダは敵の正体に気付く。

 そいつはおそらく、メッシニアの海から来たのだ。島を横切るようにして内陸部を抜け、恐るべき速度で地を這うように空を飛びきたり、そして今、彼女の後背を突いたのだ。そんな芸当が可能な存在は、たった一つ。

 これこそ、エシリア島の守護者にして生きた伝説、赤竜ドラクォ・エシリアス。

 一瞬にして焦熱地獄を現出せしめた赤竜は、巨大な羽ばたき音を一つ残して海へ抜けた。

 避けなければ、死んでいた。

 魂を食い千切られるような悪寒は、決して死の恐怖から来るものではない。

 ヒルダの全身を身体の内より溢れる力、そして悪寒を圧する高揚感が包んでいた。

 それは竜騎士の力の代償。

 魂を削り力に変える、契約の力。

 思考は純粋に戦闘へと収束していく。

 プラエヌスの見込み違いを責めても仕方がない。

 重要なのは、今ここに赤竜がいるということだ。

 ならば、ここで仕留める。

 どの道、この島に赤竜の襲撃から逃れられる場所などないのだから。

 背中のバスタードソード〈ルイン〉を右手で抜き放つ。

 剣はヒルダから供給される魔力を受け、白く光り輝いている。

 左手にはプリスのモーニングスター。

 こちらはヒルダが片手で扱うには重過ぎる代物だが、プリスが崖を登りきるまでは手放せない。

 赤竜は、その巨体に似つかわしい雄大さと信じられないほどの機敏さを兼ね備えた動きでその身を翻し、海上に滞空してヒルダとプリス、そして眼下の船を睨みつける。

 船上の人間は一瞬あっけにとられるが、目の前にいる存在が赤竜であると認識し悲鳴を上げる。

「りゅ、竜だっ!」

「うわあああっ!」

「逃げろ! おい漕手ども、漕げ! 漕ぐんだ!」

 竜が暗赤色の巨体を威圧するように見せつけると、船員たちは動転し叫び交わし合う。

 船乗りにとって、空を飛び炎を吐く竜という存在は悪夢そのものだ。

 竜は油断なく海上二十メートルほどの位置に陣取り、こちらを嘲笑うかのごとく対空を続ける。

 紅玉石のごとき瞳はヒルダを見据え、その得物がモーニングスターであることを見て取ると、興味を失ったかの如くプリスへと目を移す。

 今このとき、最も無防備かつ、最も高い打撃力を持つ竜騎士へと。

「プリス!」

 叫んだのはアレジアだ。ヒルダの位置からは見えないが、彼女はまだ船上にいるはずだった。

「プリス! 私が引きつけるから速く上へッ!」

 崖に駆け寄って見下ろすと、混乱の極みにある三隻の甲板上でたった一人、戦う意思を全身にみなぎらせて竜を見据えるアレジアの姿がそこにはあった。

 彼女は、船員の一人が持ちだしたクロスボウを奪い取ると、弦を手で引き絞り、太矢を装填するや否や竜へ向けて引き金を引いた。

 その矢は白い光をまとって飛ぶ。

 しかし、その光はヒルダの剣が発するそれに比べてあまりに弱い。

 ヒルダはモーニングスターの柄を握り締めて歯噛みした。

 とっさの回避ではこちらしかつかみ取れなかった。

 最悪の瞬間に襲撃を受けたことだけは確かだった。

 アレジアのバリスタは、初撃で焼き払われてもう使いものにならない。

 竜が急降下をかけ、放たれた矢を体をひねり、かわす。

 やはり、遅い。

 アレジアのバリスタから放たれた全力の一撃ならば、命中していたはずだ。

 彼女以外にも弓やクロスボウを手にした船員がいて、何人かは矢を命中させさえしたが、それは当たったとさえ呼べないものだった。矢は全て竜の鱗に阻まれ、弾かれる。竜は回避し切きれなかったのではなく、回避するべきはアレジアの矢一本であることを瞬時に見切り、他は無視したのだ。

 急降下する巨体の勢いを乗せた四本の鋭い鉤爪が、一隻の輸送船を容易く引き裂く。

 竜骨を叩き折られ、ほとんど真ん中から千切れかけたその船は、竜が上空へ戻る際に起こした凄まじい羽ばたきの余波と、置き土産と言わんばかりの炎の吐息で止めを刺された。

 マストと甲板が炎に包まれ、火だるまになった船員たちが転げ回り、海に飛び込んでいく。

 アレジアは、竜が一撃を加える瞬間に隣の船へと飛び移っていた。

 次の矢が装填され、上昇から下降へと移る一瞬の停止を狙い澄まして放たれる。

 矢が、竜の頭部を捉えたと思った瞬間に炎に包まれ灰となった。

 明らかに力不足なのだ。

 十分に高度を取った竜が、二度目の急降下に移る。

 アレジアは矢で迎え撃とうとするが、竜は翼で空気を打って減速し、鉤爪の一撃の代わりに業火を浴びせかけた。

 いかに竜騎士と言えども、竜の息吹をまともに受ければ即死する。

 やむなくアレジアは攻撃をあきらめて三隻目の船へと飛び移り、燃え盛る二隻目は竜の鉤爪で引き裂かれた。

 赤竜は、老獪だった。

 手慣れたものであると言わんばかりに、一隻ずつ確実に沈められていく。

「……お姉さまッ! 私の〈フォスフォラス〉をッ!」

 アレジアが竜の注意を引いている間に、プリスが崖を登り切っていた。

 彼女はヒルダが投げ渡したモーニングスターを受け取ると、迷いなく崖へ向かって走り、踏み切った。

 下には、海と船があるだけ。

「ちょっと!」

「うああっ!!」

 〈兇戦士〉プリスが竜騎士の力を解放したら、もう止められない。

 それに、一見激情に駆られての行動と見えても、戦場での彼女の判断は大抵理に適っている。

 二撃目に備え、どのような動きにも即応できるよう身構える。

 赤竜が放った業火が、逃げ場を失ったアレジアを飲み込んだように見えた。

 一瞬遅れて、落下の勢いを乗せたプリスのモーニングスターが赤竜の胴体を捉える。

 赤竜は、白熱するモーニングスター〈フォスフォラス〉の威力を受け止めきれず、炎上する船に叩きつけられる。首と翼を振り回し、苦鳴の咆哮を上げる。

 プリスは、赤竜の胴体にしがみついていた。竜が暴れるので態勢を崩され、二撃目が放てずにいる。彼女の〈フォスフォラス〉はあまりに重いため、足場がしっかりしていないと有効な打撃は与えられない。

 赤竜が振り向き、口腔に灼熱を宿らせるのが見えた。

「……!」

 飛び降りての攻撃、投剣、いずれも間に合わない。

 そしてヒルダが飛び降りたら、再び宙に舞い上がった赤竜を攻撃する術はなくなる。

 一瞬の躊躇。

 だがそれが取り返しのつかない遅延をもたらした。

 プリスは死んだ。

 ほとんどそう確信しかけたその時、竜の右目を至近距離から放たれた矢が貫いた。

 全身を炎に包まれた、アレジアだった。

 先の咆哮とは比べ物にならない、想像を絶するほどの叫びが空を切り裂く。

 無茶苦茶に羽ばたき、背中のプリスを振り落としてしまう。

 プリスの打撃でかなりのダメージを受けたと見え、赤竜はそのままふらふら飛びあがると、ヒルダの方を見ることもなく内陸部の方へ向かって飛んでいってしまった。

 傷ついていてさえその速度は凄まじく、あっという間に小さくなってしまう。

「お、お姉ちゃんっ!」

 竜から目を離せずにいたヒルダの耳を、悲痛な叫び声が打った。

 崖に駆け寄り下を見下ろすと、そこには燃え盛り沈む寸前の甲板上で、焼け焦げたアレジアの身体を抱くプリスの姿があった。

「プリス! その船はもう沈む、早くこっちへ!」

「だ、だって、お姉ちゃんが……」

「アレジアは……アレジアは、もう、助からない」

「お、お姉ちゃんは死んでないッ! だってお姉さまは言ったじゃない! 私たち二人を! 無事に連れ帰るって!」

 甲板を包む炎は、プリスの身体をも焼いていた。

 意を決して、ヒルダもそこへ飛び降りる。

 そして、二人を抱きしめる。

「戦友よ、お前の魂はいずこにかあらん」

 プリスがはっとした表情を見せる。

「お前が望むならば、その魂を燃やし、私はお前の仇を討とう」

「……この命、燃え尽きしとき……わ、私は、お前の下へ……」

 盛んにしゃくりあげるプリスが泣き声で続け、最後の言葉は二人で重ねる。

「契約はここに成った。お前の命は、私が死ぬその瞬間まで、私と共にあるだろう」

 ロムルスの白竜に由来する白い輝きに、アレジア自身の魂が放つ清浄な青い輝きが重なる。

 光は二つに分かたれ、ヒルダとプリスの身体に吸い込まれていった。

「……アレジアは、私たちと共にある。行きましょう、プリス。赤竜を倒すために」

 強い決意を秘めた瞳がヒルダをしっかりと見据え、こくりとうなずいた。

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