第七話
美咲を追って壁の外へ出る。尾行の人の情報を受けて、彼女たちの降りた駅で僕らも降りる。「こことなると、おそらくあのシェアハウスだな」と須山さんは言った。「ですにゃあ」と猫耳の人も頷く。そして何を言っているのかわからない僕に「四階建てのシェアハウスがある。結構でかい。メンバーの住居や会議室として使われていると俺たちが睨んでいる場所だ」と教えてくれた。「じゃあボスは四階にいるってことですかね」と言うと「そうだろうな」と須山さんは返してきた。
相手が歩いているので、こちらもゆっくりとしなければならない。無言でいると妙に緊張してしまうので「そういえば」と話しかけた。「その猫耳って、もしかして脳波がどうこうってわけじゃなくて、魔法で動かしてるんですか?」まるで自分の手であるかのように自在に動かしている印象があった。「いや、これは魔法を使わないで動かしてるにゃん」と言う。
「それにしてはよく動いてますよね。凄いなあ」と感心していると「魔法ってまるで生まれつき持ってる才能や呪いみたいだにゃん」と遠い目をした。真面目な話をするトーンだが、おかしな語尾はそのままで。「できるかできないかが結構はっきりしてる上に自分では選べないにゃん。だから自分の魔法で苦労している人はつい自分の意思と努力を尊重しちゃうものだにゃん」と僕にウィンクした。「それだとかなり頑張らないといけないですね」と返すと「全くだにゃん」と言った。彼女が自分の魔法とどう戦ってきたのか。気になったがそれを聞く程の時間は無いのだろう。
美咲たちは何もしてこないようで、尾行している人からのメールが絶えずに須山さんに届いてくる。気付いていない、というよりも、まるで僕らをおびき寄せているみたいだ。亜紀さんは狙っているのだろうか。世界を揺るがそうと企む悪の秘密結社とそれを阻止する正義のヒーローの最終決戦。そういうものを演出しようとしているのではないかと思ってしまう。深読みしすぎだろうか。でもあの悪魔になった女性はきっとこの状況に興奮しているはずだ。正義と巨悪の激突。今まさにそのクライマックスシーンに突入しようとしている。この世界には無いと彼女は言っていた。しかしその願望を彼女たちは自分たちの手で現実の中に作ったのだ。
僕と美咲も、魔法使い同士の異能バトルのメインキャストに加えられてしまった。抵抗があるけれども僕らが今まで積み重ねてしまったマイナスを覆すのに丁度いい場面だった。結局魔法に頼ってしまう。嫌だけど、でもやるしかない。このまま彼女を濁らせてしまうのは嫌だから。せめて彼女にだけは使わないように決めて、そしてそのためにいくらかの人を少しばかり歪める覚悟をした。それでも十分ずるいことをこれからする。魔法はずるい。人間関係をどうこうするのに使っていいようなものじゃない。特に僕の魔法はそうだ。もし僕が他人を思い通りに操ることができると知ったら、皆近付かなくなるだろう。小学校の時のあの子のように。もしかしたら自分という人間が他人に支配されて、自分でなくなってしまうかもしれない。友人もその魔法に操られているかもしれない。一人一人が別人だからこそ成り立っているものが信頼できなくなってしまう。自分はあいつに操られているのではないのか。僕は美咲を知らずに操ってしまっているのではないのか。疑心は絶えない。だから終わった後に美咲に拒絶されてしまってもいいと思った。ただ彼女から奪ってしまったものを返さなければいけない。彼女の貴重な時間さえも奪ってしまっている。だからもう返せる分は全て返そう。
四階建ての家。須山さんたちが睨んだ通りだったようだ。大変なことが起きそうだというのに空は青い。人類が自分を見なくなっても構わないとでも言いそうなくらいに世界は無表情に回っている。「俺たちは戦力が集まるまで待機する。囮じゃなきゃいいんだがな」と須山さんが言った。その心配はいらないだろう。須山さんたちには言わないでおいたが、美咲が今回の作戦の要らしい。それにクライマックスの戦闘なら全戦力をぶつけ合う方が美しいだろう。そしてその場に魔王になりたかった人間が参加しないはずがないのだ。「じゃあ行ってきます」と言って僕は一人になる。クライマックスにも派手なバトルにも興味は無い。美咲と二人で一足お先に舞台から降りさせてもらう。
本当は飛ぶ魔法で四階から侵入したいが、それは犯罪だ。正面から行かなくてはならない。中に入れてもらうために呼び鈴を鳴らす。敵地に入るというのにその手段にほのぼのとしたものがあって、そのギャップでかなり緊張する。「はい」とドアホンから男の声がする。「ええっとすみません、今日から幻想でお世話になることになった斉藤です」と適当な嘘を言っておく。「そうか。わかった」と言われる。これでよかったのだろうか。がちゃりと玄関のドアが少しだけ開いた。「どうぞ」とさっきの声の主に招き入れられる。玄関にはその人に加えて五人の男がいた。各々臨戦態勢といった感じだ。かなり警戒しているのが伝わってくる。
「それで何の用だ」と男が言う。「とりあえず亜紀さん、でいいんでしたっけ。その方に挨拶したいんですが」と言うと、六人の顔が険しくなった。怪しまれている。「今はちょっとできないな」と言われてしまう。残り五人が今すぐにでも魔法を使ってきそうで心臓に悪い。仕方ない。「連絡来ていませんかね?」と言いながら意識を集中させる。魔法を使うイメージを膨らませていく。従来の人間にはできないことをするために脳みその動きが激しくなっていく様子。魔力を従えた脳みそが架空の腕を作っていく様子。そして相手の頭を鷲掴みにする様子。それらを数秒でイメージする。とても大切なお客様を四階へ連れていきたくなる。その意思を男に埋め込みながら「僕、斉藤健太っていうんですけど、今回の作戦に必要ってことで来たんですが」と言葉をぶつけた。
「失礼しました」ドアホンで対応してきたからあったふてぶてしさが消える。五人の男はきょとんとしていた。「こちらです」と男に先導される。靴は脱がなくていいらしい。そういう生活様式だというよりも、いざという時に玄関でいそいそと靴を履いている暇が無いからだろう。廊下は住居とは思えないくらい汚れていた。
四階よりも亜紀さんの所へ連れていく方がよかったかな、と思ったものの男と一緒に四階に上がるとそこにはちゃんと美咲と亜紀さんがいた。二人共驚いているようだった。大きな部屋だ。彼女たちの他に三人の魔法使いと思われる人たちがいた。その中の一人の頭は狼のそれになっていて、亜紀さん以上に魔物らしい存在だった。もしかしたら騒がれていたのはこっちの狼男の方だったのかも。それから人の頭の大きさ程の地球儀のような物体が目立つ。もういいか。集中するのをやめて魔法を途切れさせて男を解放してやる。するとどうして自分がこんなことをしたのか理解できずに混乱しているのか、僕と亜紀さんを交互に見ていた。
亜紀さんに「あなたは下がっていなさい」と言われて、僕に案内させられた男は頭を下げて、そして階段を下っていった。その足音が遠ざかってから「何をしに来たのかしら」と聞いてきたので「美咲と話をしに来ました」と答える。美咲はむっと不機嫌そうな顔をした。「私はやめないよ」と僕の言うことを先読みして突っぱねてくる。僕は首を横に振る。「そんなことを言いに来たわけじゃないよ。やめさせようと思えば簡単にできるからね。魔法を使えば、美咲の意思とは関係無く、計画のことなんてどうでもよくなって僕と一緒に帰りたくなる」こんなことを言ってしまえば、美咲が帰りたいと言い出しても他のメンバーが帰そうとは思わないだろうけれど実際にするつもりは全く無いのでいい。
「それよりも聞きたいことがあるんだ」と言うと美咲は顔をしかめたまま「何?」と言う。不機嫌そうだけど、ちゃんと話を聞いてくれそうで、少しほっとする。「どうして美咲は世界を変えれば幸せになれると思ったの?」と質問する。けれど美咲の答えは待たない。事実美咲は即答できず、難しそうな顔をして眉間にしわを寄せていた。「たぶんね、人類をそこに閉じ込めたとしても、美咲は幸せになれないと思うよ」と言う。地球儀らしき物体は、地球にあるものとは違う形の大陸ばかりだった。きっとあの世界に閉じ込められてしまったのだろう、翼の生えたモンスターがその大陸の上を飛んでいるのが見えた。美咲はこちらを見た。眉間のしわが減って、目には疑問の色。彼女の表情はどう変化していくだろう。これから彼女にとっては目を逸らしていたいような話をする。「幸せになれないで、高校生の頃と同じような日々になると僕は思うよ」
高校生の時の美咲。周りは皆、彼らが言うところの現実的な夢を追うことにシフトしていく中で彼女だけは魔法使いになりたいと思っていた。どこの大学に行くだとか、どういう仕事をするだとか、そういうことを考えるのが高校生で、魔法なんて言っていて許されるのは中学生まで。そんな集団の中でにこにこと「私魔法使いになりたい」と言ってしまえば、浮いてしまうだろうからそれ以外に目指すものも無かった彼女は黙ることを選んだ。それで積極的に人と交わらないようにした彼女。アニメの話やコスプレ街に行きたいという話ができないと思ったのだろう。自分の夢や想いを明かさずに済む代わりに、得られるのは相手から見れば友人だけどそこまで大事じゃないというポジションばかり。そういう過去を突きつけていく。
言葉にすることは無いが、過去の話をしていると色々なことを思い出す。僕はずっと思っている。僕と美咲が付き合うことになったあらゆる出来事が、彼女が僕に依存するようになってしまったことの原因だと。深い付き合いができずに孤独を感じていた彼女がストレスから解放されるために、夢を打ち明けたのが僕だった。どうして選ばれたのかは知らない。しかし僕はそれ以降彼女に近付こうとしてしまった。魔法は使えず、友人も出来ず。その結果として、ストレスから逃れるためには僕に依存するしかなくなったのだろう。僕が近寄らずにいて、孤独と向き合わなくてはならない状況にずっといたのなら、美咲は魔法使いになれたかもしれないし、そうでなくても何か新しい決心をできたかもしれない。僕はきっと、彼女が自力で見つけるべきだった止まり木になってしまった。夢を追う気力を奪ってしまった。そして今、彼女を野放しにしたらもっと駄目になってしまう。だから彼女に厳しくする。枝をしならせ鞭を打つ。夢をまだ掴んでいない彼女に空を飛んでもらうため。
彼女は高校生の頃に言っていた。魔法使いになりたいなんて思っていると知られたら、ふざけたことを考えていると思われて、きっと自分に敵意が向けられてしまう。いじめの標的になるかもしれない。「そうなるのが怖いって言ってたよね」彼女の本音であろう言葉を確認する。頷かないが、否定もしなかった。ただ説教をされているみたいに俯いて聞いている。「もしこんなのに閉じ込めちゃったら、君は敵視されるだろうね。他人の夢とか生活を奪ってしまうんだから。そうしたらあの頃よりも酷い状況の出来上がりだ。相手にされないどころじゃない。君を敵にした戦争が起こる」
「それから、君はこの前、自分に価値が無いのが怖いって言ってた」ともう一つ突きつける。「でも今の美咲に価値なんて無いよ。誰かがそう思うんじゃなくて、君自身が自分に価値は無いって思うはずだ。だって君が憧れていたのは、世界を変えてしまう魔法使いじゃなくて、人を助けて笑顔にする魔法少女じゃないか」ちょっと前に再確認したばかりなのに自分の夢をもう忘れてしまっている。そんな状態で大勢の人間を巻き込むようなことをしてしまえば、そのことで苦しむ日が絶対に来る。そのことが伝わったのか、顔を上げた美咲の眉はもう複雑そうな表情を作っていなかった。僕の手首にあった手錠が消える。そしてこちらを真っ直ぐ見て「私も聞きたいことができたんだけど」と言った。
「何?」と聞く。彼女は「私はどうしたらあのアニメの子に近付けるのかな」と言った。慣れないことを言うから少しだけ照れが混じっていた。美咲はそれでいい。「他人を歪めないことだよ。魔法って普通の人にはできないことができちゃうから、力加減を間違えると他人の人生を台無しにしちゃうんだ。人より凄い分、人よりしっかりしないと」と言うと美咲は「そっか」と呟いてから「説得されたらどうでもよくなってきちゃった。魔法みたい」と晴れの日みたいに笑った。「いや、魔法なんかじゃない。美咲の意思だよ」魔法はこんなに綺麗ではないのだから。
僕らのことが丸く収まってから「私は感動した。黙っていてよかったと思うくらいに」と亜紀さんが入ってきた。ずっと黙っていたのは、いいシーンになりそうだったのを台無しにしたくなかったからなのかな、と思った。「でも美咲ちゃんは私たちの計画には必要だし、黙って逃がすのはヒーローのやることなんだよ」と亜紀さんは喋る。わざわざそんな前置きをするくらいだ。たぶんこの人は現実の魔王にはなれないだろうなと思った。
「美咲、窓開けて」と指示する。「わかった」と美咲が開ける。その傍に駆け寄りながら飛ぶのをイメージする。風船とか鳥とか。体が浮いた。これでよし。結構簡単みたいだ。取り押さえようと亜紀たちが来る。五人。ごめんなさい、どいてもらいます。できるかどうかわからなかったが、五人共部屋の隅へ走ってくれた。でも五人同時はきつい。すぐに維持できなくなる。でもそれで十分。僕は美咲を抱えて外に落ちた。飛ぶイメージをして、なんとか空中に留まることができた。頭がとても痛い。がんがんと殴られているような、熱が出ている時の頭痛に近かった。さっきのは火事場の馬鹿力だったのだ。脳にとても負担をかけたに違いない。きっと明日には馬鹿になっている。
「逃がすものか」とわざわざ叫ぶ亜紀さんの声。振り向くと悪魔の羽を広げて窓から飛び立とうとしていた。やっぱりそっちは飛ぶためにあるのか。しかし亜紀さんはすぐに転がるように室内に戻った。さっきまで彼女のいたところを青色の光のようなものが通過した。アニメで見るようなビーム。攻撃用の魔法だ。それを撃った人間を見つける。須山さんの傍にいる小学生くらいの少女だった。それがメイスを思わせる形の魔法の杖を構えていた。整った顔に見覚えがある。「あ、あれ」名前、何だっけ。「須山さん?」と美咲。「そうじゃなくて、その隣にいる、何だっけ。最近テレビに出てるらしいよ。天才魔法少女だって」と喋っていると頭が痛いのとで集中できなくなって高度が落ちてくる。「うわ、危ない」と言われながら、どうにか安定させる。あまり喋らない方がいいみたいだ。天才魔法少女の顔からはあどけなさが消えていて、殺気だけで鳥くらいは落とせそうだった。
なんとかとんでもない舞台から逃げ出すことができたようだ。僕らが出てきたのを皮切りに須山さんと天才魔法少女のいる五人組が飛んで、開いた窓から部屋に入っていった。玄関の方には猫耳の人がいる。たぶん鍵を開けちゃうんだろうな、と思いながら見ていると案の定ドアを開いて入っていった。玄関口でも小競り合いが始まる。突入せずに外に留まっている遠藤さんの姿も見えた。あの人の魔法は戦闘用じゃなくてサポート用なのだろう。
戦いの行く末を見守っていても仕方ない。それよりもせっかく二人で飛んでいるのだからもっと高い所に行ってみたかった。ゆっくりと上に行く。周囲に人がいなくなる。飛んでいて気持ちがいいのは、皆が飛んでいるわけじゃないからだ。いつか空でも人が溢れるようになったら、こんなに気分よく飛んでいられないだろう。「やっぱり空を飛べるっていいな」と呟く。「私の時も飛べるやつだったよね。何かこだわりとかあるの?」と美咲が聞いてくる。ビルよりも高い所に行けて、上を見れば青い空だけだ。視界にあるのは自由の象徴のみ。頭痛も軽くなったような気がする。「僕の魔法は、人操ってお金にしたり嫌われたりってばっかだったからね」と美咲に話す。美咲と二人で生活するために使っているお金も僕の魔法で稼いだものだ。人の意思を操ることで、よくないことをしているんだろうな、という程度には幼くても理解することができた。それがとんでもないことだと知ったのは、直接大嫌いと言われた時で、それから須山さんに助けてもらう形でその仕事をやめることができた。そしてレアな魔法だからいくらでも儲けることができると僕に仕事をさせていた親から、得た報酬を全てもらうことになった。そのお金と引き換えに親と子のいざこざを無かったことにするということで。そんな暗い過去の話をするには、たぶん今がいい機会だろうから話してしまう。「でも空を飛んでいるだけなら気持ちいいだけだから。そういうのにずっと憧れてたんだ。だから空が僕の夢みたいなものだね」と言うと、美咲は「そっか」と言ってマシュマロのように柔らかい笑みを見せた。その頬を見ると、安心させられる。彼女に頼ってもいいと思えるような。彼女もちょっとは自分の目指していた空に近付けたみたいだ。
「だから美咲はこれから皆が気持ちよく空を飛べる世界を守らないとね」と言う。美咲だったらこんな台詞を言おうとすると照れてしまうのだろうな、と思いながら言ったら、全然恥ずかしくなかった。「うん、そうだね」と同意する美咲の視線がさまよう。自分が言ったわけじゃないのに照れている。これでは憧れのアニメのような魔法使いにはまだまだ遠いだろう。でもやっとのことで、何年も二人で積んでしまった余計な荷物を捨てることができた。それを噛み締めるためにもっと飛んで、空を見続けていたかったのだが、魔力がいつまで続くかわからないし、美咲を抱えるために使っている腕や腹がそろそろ限界だ。あの人の念力の魔法を借りておけばよかったと思いながら地上に近付いていった。空は相変わらず青いけれど、もうそこには僕の夢は無い。異様に輝いて見えたそれは、ただの遠くにある綺麗な色になっていた。




