第38話:システム・ログアウト ―― 筑波の空へ、完全なるFIRE。
1. 最後のタスク完了とホワイトな朝
豊臣家という戦国最大の不良債権が完全に清算(改易)され、元和の平和(元和偃武)が日本市場にもたらされてから、さらに数年。
現代の経営ロジックを駆使して「小田家滅亡」という最悪の史実を書き換えた私は、ついに人生のすべての残業(戦い)を終え、完璧なホワイトリタイア生活を謳歌していた。
「ふあぁ……。素晴らしい朝だな、政貞。今日も今日とて、実に見事な右肩上がりの太陽だ」
江戸桜田の小田邸。
燦々と降り注ぐ朝の光を浴びながら、贅沢な総絹の寝間着を着た小田氏治が、豪快にあくびをしながら起きてきた。
かつて戦国最弱大名と呼ばれ、何度も城を奪われては涙を流していた男の面影は、今やどこにもない。
そこにあるのは、莫大な江戸の地代(アセット収入)を背景に、誰の指図も受けずに生きる「日本一幸せな不労所得者」の姿だった。
「おはようございます、殿。本日の『デイリー・スケジュール』ですが……終日、タスクは一切ございません。完全にブランク(空欄)です」
私が淹れたての温かいお茶を差し出すと、氏治は満足そうに目を細めてそれを受け取った。
「素晴らしい! 毎日が休日、毎日が有給休暇! かつて佐竹や上杉の軍勢に怯え、毎日『城のキャッシュフロー(兵糧)』の心配をしていた日々が、まるで嘘のようじゃ。政貞、お前が常陸の頃から言っていた『ふぁいあ』というのは、本当に心地よいものだな」
「ええ。土地という最大のリスク資産を徳川様にアウトソーシングし、足利の血筋という無形資産をプラットフォーム(高家)として固定化した成果です。我が小田家のポートフォリオは、幕府が倒れない限り永久にインカムゲインを生み出し続けます。もう、私たちが汗を流して働く必要はどこにもありません」
前職の現代日本で、死んだ魚のような目をして終電に揺られ、クライアントの無理難題(仕様変更)に胃を痛めていた社畜コンサルタントの私。
戦国時代に菅谷政貞として転生した時はどうなることかと思ったが、自らのロジックを信じ、この「圧倒的な天然」である氏治をコントロールし続けた結果、私たちはついに、歴史上最も不可能な「戦国時代からのエグジット」を成し遂げたのだ。
2. 江戸湾の最高のオフィス(釣り船)
「よし、政貞! スケジュールが空欄なら、やるべきことは一つしかないな! 出陣じゃ!」
氏治の能天気な号令とともに、私たちは家臣たちを江戸の邸宅に残し、二人だけで江戸湾へと小舟を出した。
穏やかな波がパチャパチャと船縁を叩き、心地よい潮風が頬を撫でる。
周囲には、日本橋の商業ネットワークを通じて手に入れた、最高級の釣竿と自作の浮きが並んでいた。
「見てみろ、政貞! わしが新しく開発したこの『インカム型浮き』の沈み具合を! 魚が突つくだけで、まるで銭が算盤に落ちるような良い音がするぞ!」
「殿、それはただの気のせいです。ですが、潮の目を見るに、現在のマーケット(漁場)はハゼの活性が極めて高いですね。ロジカルに分析するなら、底から数センチのラインに仕掛けをステイ(維持)させるのが最も利回りが良いはずです」
「よし、乗った! お前のロジックに従って、ハゼの一大コンサルティングを始めてやるわ!」
氏治が勢いよく釣竿を振ると、美しい弧を描いた糸が、キラキラと輝く海面へと吸い込まれていった。
大坂の陣の炎上、名護屋城での狂気のマーケット、小田原での冷徹なM&A。
数々の命がけのピッチが頭をよぎるが、今の私たちにあるのは、ただ魚のアタリを待つ贅沢な「時間」だけだった。
「……なぁ、政貞」
不意に、氏治が海を見つめたまま、静かな声で私に話しかけてきた。
「ん? 何でしょうか、殿」
「わしはな、お前が時折、遠い目をして誰も知らぬ国の言葉(ビジネス用語)を呟くたびに、少しだけ怖かったのだ。お前はあまりにも頭が良すぎて、いつか、この戦国の世のどこかへ、ふらりと消えてしまうのではないかと、ずっと思っておった」
氏治の言葉に、私は一瞬、息を呑んだ。
この人は天然のバグだと思っていたが、やはり、誰よりも鋭い直感を持っていたのだ。
私がこの世界の人間ではなく、未来からの「ログアウト」を夢見る転生者であることに、薄々気づいていたのかもしれない。
「……ですが、私はここにいますよ、殿。消えたりはしません」
私が微笑むと、氏治は嬉しそうに歯を見せて笑った。
「うむ! 秀吉の爺さんも逝き、家康の爺さんも隠居した。だが、お前はわしの側に残ってくれた。これ以上の幸せがどこにある。わしとお前がいれば、小田家は未来永劫、最弱にして最強のホワイト企業じゃ!」
その瞬間、氏治の釣竿がググッと大きくしなった。
「おおっ! 来たぞ、政貞! 大物じゃ! これは地代収入の何倍もの価値があるぞ!」
「落ち着いてください、殿! リスク管理です! 糸を急に引いてはラインがブレイク(ライン切れ)します! ゆっくりとホールドしてください!」
二人の賑やかな声が、穏やかな江戸湾の空へと溶けていく。
これ以上ない、完璧なリタイア生活の1ページだった。
3. 常陸の風と、筑波の空
日が傾き、小舟を陸へと戻した私たちは、江戸桜田の邸宅の屋根の上に登り、夕日を眺めていた。
新興都市・江戸の街並みの向こう、遥か北の方角には、うっすらと紫色の美しい山影が見えていた。
「……筑波山ですね」
私が呟くと、氏治もまた、懐かしそうにその山影を見つめた。
「うむ。我が故郷、常陸の筑波山じゃ。……懐かしいのう。あの山の麓で、わしらは何度も上杉に負けて、何度も小田城を追い出されて、そのたびにお前と一緒に泥水をすすりながら逃げ回ったのだ」
氏治の瞳に、黄金色の夕日が反射する。
(……そうだ。私の旅は、あの常陸の小さなプレハブ小屋のような小田城から始まったのだ)
戦国最弱のレッテルを貼られ、いつ滅びてもおかしくなかった弱小企業(小田家)。
もし私がコンサルタントとして介入しなければ、あの筑波山の麓で、多くの家臣たちが命を落とし、氏治も流浪の末に歴史の闇に消えていたはずだった。
だが今、私たちが構築した「徳川家への人材アウトソーシング」によって、常陸以来の忠臣である信太範宗も、菅谷の若い将たちも、全員が江戸幕府の幹部やエンジニアとして、高い給与(知行)と安定した地位を得て、ホワイトに暮らしている。
誰一人として過労死せず、誰一人としてリストラ(改易)されなかった。
これ以上ない、完璧な「事業承継」の形だった。
「政貞、わしは常陸を追われたことを、一度も悔やんでおらんぞ。お前が世界で一番ホワイトな『江戸』という場所に、わしらを連れてきてくれたのだからな」
氏治はそう言って、私の肩をポンと叩いた。
「ありがとうございます、殿。……あなたのその言葉だけで、私のこれまでの全ての残業は、100%報われました」
胸の奥が、じんわりと温かいもので満たされていく。
現代日本でいくら働いても得られなかった「真の達成感」が、この戦国の世の終わりに、確かにここにあった。
4. システム・ログアウト
夜が訪れ、江戸の街に静寂が広がる。
私は自室に戻り、長年私の相棒であった算盤を机の上に置いた。
そして、ゆっくりと目を閉じ、自らの脳内にある「歴史データベース」、そしてこれまで私を支えてきた現代コンサルタントとしての「システム」へと意識を向けた。
すべてのタスクは完了した。
小田家の生存リスクは完全にゼロになり、永続的な不労所得の仕組みも構築した。
豊臣家という不良債権の法的整理も終わり、歴史のバグは完全に修正された。
(菅谷政貞、これよりすべての業務を終了し、システムをログアウトします)
脳内で、静かに、しかし確実なアクセプト(承認)の音が響いたような気がした。
もう、現代の知識を使って未来を予測する必要はない。
これからは、ただの一人の人間として、この時代を、この殿と共に、一分一秒を慈しむように生きていくだけだ。
画面が完全に暗転し、新しく「完全なるFIRE(引退)」のホワイトな世界が目の前に広がっていく。
翌朝。
「おい、政貞! 起きよ! 今日は昨日よりもさらにハゼの潮目が良いぞ! 早くオフィス(釣り船)へ行くぞ!」
元気いっぱいに障子を開け放つ氏治の笑顔が、そこにあった。
「はいはい、ただいま参ります、殿。……焦らなくても、私たちの『有給休暇』は、これから一生、終わらないのですから」
私は算盤をクローゼットの奥へと完全に仕舞い込み、笑顔で新しい釣竿を握りしめた。
筑波の空から吹き抜ける優しい風が、私たちのホワイトな未来を祝福するように、江戸の街を穏やかに通り抜けていった。
第38話(最終回)・ステータス報告
・ステータス:
戦国時代からの「完全なるログアウト(FIRE)」達成。小田家ホワイトリタイア生活への完全移行。
・主要成果:
史実の滅亡ディストピアを100%ハック完了。氏治との永続的ハゼ釣りライフの確立。
・KPI:
生涯残業時間:今後永久に0時間。
小田家の幸福度:測定不能(天元突破)。
政貞の胃痛:完全消滅。
・政貞の最終メモ:
「社畜コンサルタントとして戦国最弱大名に転生し、始まった私のデスマーチ。……論理の通じない戦国大名たちを相手に、ポートフォリオ、損切り、アウトソーシング、リーガル・ハックを駆使し、ついに『完全なるFIRE』のログアウト画面へと着地した。……振り返れば、私の最高のクライアント(殿)の、あの常識破りの『ハゼの奇策』こそが、この過酷な市場を生き抜く最大のイノベーションだったのかもしれない。……さあ、これにて私の戦国コンサルティングは、すべての業務を終了いたします。……皆様、長い間のご愛顧、誠にありがとうございました。……殿、今度こそ、大きなハゼを釣りに行きましょう!」
【読者の皆様へ】
『戦国最弱・小田家、外資コンサルがV字回復させます』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
九度落城する最弱大名を、
「どう勝つか」ではなく、
「どう倒産しないか」
という視点で立て直していく、小田家の事業再生プロジェクト。
少しでも楽しんでいただけていましたら嬉しいです!
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【シリーズ新作・連載中!】
『【悲報】転生先でも定時退社できない。――過労死会計士、劉邦のCFO・蕭何になる』
今度の舞台は中国古代。
過労死した公認会計士が、劉邦陣営のCFO・蕭何に転生。
軍資金ゼロ。
終わらない赤字。
暴走する天才たち。
そんな地獄みたいな天下統一プロジェクトを、“数字”だけで支える中華内政デスマーチです!
第1話はこちらです!
https://ncode.syosetu.com/n2221mf/1/
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それでは、次回もよろしくお願いいたします!
筑紫隼人




