婚約破棄された私を拾ったのは、モサ男だと思っていた最強の公爵令息でした
「ティナ・ソルマー! そなたとの婚約破棄をここに宣言する!」
カイ王子がそう、高らかに宣言する声が会場に響き渡った。
色とりどりのドレス、煌びやかなパーティー会場、淑やかなワルツの旋律が吸い込まれた静寂。そのどれもが、ティナの孤立を一層際立たせた。
ティナはゆっくりと息を吸おうとしたが、口元からはヒューヒューと、か細い呼吸の音だけがする。思わず膝を折ってしまいそうになるほど震える足になんとか力を入れ、それを悟らせぬように背筋をピンと伸ばして立ち続けた。
(婚約破棄ですって……? ど、どうして……?)
ティナは内心混乱していたが、何とか凛々しい表情を保つ。今まで受けた厳しい王妃教育の賜物だった。
しかし、混乱の次には新たな心配が浮かび上がってくる。そう、家の体裁だ。もし彼が本当に「婚約破棄」と言ったのならば、自分の耳に聞こえた言葉が間違いではないのならば、これは、親に顔向けできない事態になる、ティナはそう思った。
ティナの父と、カイ王子の父──つまり現国王は、学生時代の良き友人であり、そのご縁で子ども同士を結婚させようという話になっていたのだった。王家には父の類稀なる頭脳を貸し、大臣として忠誠を誓う形で貢献しているものの、家が受けている恩恵の方が、圧倒的に大きかった。資金繰りも厳しいような、しがない侯爵家である家には願ってもない幸運で、この婚約によって王国から学費免除、領地経営の援助などの様々な支援を受けたりしていたのだ。なのに、こんな事態になっては、どんな顔を……いや、家の門をくぐるのも憚られる。
「だんまりか? 何とか言ったらどうだ」
何も言葉を発しないティナに向かって、カイ王子が言葉を放つ。なぜかそれは怒りを含み、トゲトゲしく感じるものであった。
「……”婚約破棄”と、仰いましたでしょうか」
ティナは、カラカラになって張り付いている喉からなんとか言葉を絞り、ゆっくりと、確かめるようにそう訊いた。
「ああ、そうだ」
表情を変えずにそう答える王子に、ティナは目眩がした。
終わりだ。どうしよう。なぜ?
色んな感情がティナの中で渦巻く。
(あぁ、でも……)
好きだったのだ。
一番に頭に過ったのは家のことだったが、積み重ねた時間の中で、カイ王子のことも愛していた。
少し、思い込みの激しいところや、早計なところもあるが、それを何とか多角的な面から助言すれば、反発したりしつつも時間をかけてそれを受け入れ、自分の意見も添えて考え直せる人だったし、学業も運動もあまり得意ではないようだったが、それでも頑張り続けられるところは尊敬もしていた。
「ど、どうしてでしょうか?」
ティナは、理由もわからぬ婚約破棄の詳細を問う。今まで気丈に振舞っていた彼女だったが、そこで初めて声に動揺が滲んでしまった。
「どうしてだと? ハッ。この期に及んでシラを切るとは。こちらはそなたの、いや、お前の悪行の数々を全て知っているのだぞ」
「あ、悪行……?」
悪行、と言われ、ティナは考え込む。
どれだ、どれのことを言っているのだろう。悪行と呼ばれるようなことはした覚えがないのだが、強いて言えばそう見えてしまうこともあったのかもしれない。
(この前お茶会に誘ってくれたご令嬢の淹れたお茶が、とても苦かったけれど微笑んで褒めたこと? それとも、宿題を忘れてしまったご令嬢に自分のノートを写させてあげてしまったこと?)
「ハッ。心当たりのある顔だ。良い、今ここで全て言ってやる」
カイ王子はそう言った直後、一人の少女を自分のそばに呼びつけた。スーディだ。カイ王子とティナが通う学園にいた、同級生のスーディ・フィンデルンだった。
「ティナ・ソルマー。お前はこのスーディ嬢に様々な嫌がらせをした。学園の制服を裂いたり、スーディ嬢の物を盗ったり、挙句の果てにはスーディ嬢に汚水を浴びせたりしたらしいな。この頃よく耳に入る、スーディ嬢の悪い風聞も、お前が流していると聞く。なんて悪女だ!」
「そんな……! そんなこと、私はしておりません!! 誰かと見間違えたのでは……」
全く身に覚えのない罪を着せられたティナは必死に否定する。誰に対しても、そんな酷いこと、したことがないのだ。
「悪女、ティナ・ソルマーはこれらの悪行を否定しているが、この女は口が上手いのだ! 私も今まで何度騙され、丸め込まれてきたことか! 皆の者! この女の言葉に耳を傾けるな!!」
「!?」
カイ王子は、会場全体に満遍なく聞こえるように、声を張り上げてそう言う。一方のティナは、言葉を発することも、身体を動かすことも出来ないほどの衝撃で、その場に立ち尽くしてしまった。
(今まで、そんな風に思われていたの……?)
今までの努力を全否定するような物言いにティナは絶望する。
そんなティナの目の前で、スーディが何やらカイ王子に耳打ちすると、王子は「かわいそうに」と呟き、ティナを睨むように一瞥して、そばに立つスーディの肩を優しくそっと抱いた。
そのときの一瞬、本当に一瞬だったが、スーディの顔がこちらを嘲るように卑しく歪んだのを、ティナは見逃さなかった。
(なんてこと……。これは全部、スーディの計画の内なんだわ……)
スーディに嵌められたことに気付いた頃には、もう手遅れだった。
これほど大々的に婚約破棄を言い渡され、大ごとになってしまっていれば、その悪行の真偽に関わらず、婚約を戻すことは不可能に違いない。気付けば、周りの群衆はざわめき出し、嫌なものを見るような、痛い視線の雨をティナに浴びせていた。
今この場で起こったことに、段々と頭と心がついてきたティナの視界が歪みだす。いつの間にか、ティナの頬を大粒の涙が、何度も伝っていた。
(あぁ、こんな公衆の面前で泣き顔を晒してしまうなんて、どちらにせよ王妃候補失格だわ)
ティナが自分の両手で、顔を覆って隠そうとしたそのとき、バサリと大きな布のようなものが被せられ、視界が真っ暗になる。しかも、何だかちょっと重い。
(え、何……?)
布の上から、そのままぎゅっと誰かに抱き寄せられるのを感じた。
誰だかわからなかったが、その手つきが優しくて、更に涙が止まらなくなった。しゃくりあげそうになる喉を押し殺し、びくりと震えそうになる肩を、泣き続けていることを隠すように、何とか抑えつける。
「恐れながらカイ殿下、喋っても?」
頭の上から、声が降ってくる。何だか聞いたことのある声だった。ティナは何とか、その声の主を思い出そうとした。
(──そうだ、レント・タンディオン様に似ているのだわ)
レント・タンディオンは、ティナと同じ学園に通う公爵令息だ。タンディオン公爵家は、その財力と政治的権力から、王家にも匹敵するほどの権力を持っており、いくら王族と言えど無碍にはできない。
でも、記憶にあるレントはこんなハキハキと喋るような人ではない。声が似ているということは、血族の誰かだろうか。はたまた、全くの赤の他人か。
そんなことを考えていれば、周りの人がコソコソと話しているのがなんとなく耳に入ってきた。
「誰?」
「かっこいい」
「イケメン」
「ハンサム」
「あんな人いた?」
皆が話している内容はほぼ一緒で、誰もがこの、ティナのそばにいる男性の外見を褒めているようだった。それ以外は、「命知らず」「無礼者」など、彼の突然の行動を非難するような内容だった。
(かっこいい……か、失礼だけれども、それならやっぱりレント様ではなさそうね……)
レント・タンディオンは学園内では「もったいない」で有名だった。
なぜなら、王家に匹敵するほどのタンディオン公爵家の生まれでありながら、学業優秀、文武両道、ときているのに、その見た目は、清潔感のないしわくちゃのシャツに、目が見えないほど伸びた前髪、寝坊がそのままのボサボサの頭、それから、信じられないくらいとても分厚い眼鏡。そんな感じでとにかくモサくて芋っぽかったのだ。
それでも、お金や権力目当てで近寄ろうとする令嬢は何人かいたが、その誰もが「会話が出来ない」と言って諦めているのを何度も見かけてきた。
声を知っていたのは、一度、席順の関係で二人一組で課題をやったことがあったからだった。
「……お前は誰だ。このような場で、私の前に許可もなく姿を見せるなど無礼者!」
カイ王子の怒り声が聞こえてきた直後、ひるむ様子もなく、そばの男は言葉を発した。
「やだなぁ、お忘れですか? 僕ですよ、僕。レント・タンディオン」
彼がそう言った途端、会場内のどよめきが一層大きくなる。
(えっ……?)
ティナはその言葉が信じられなくて、彼の顔を確かめようと、上にかかっている布を剥がそうと引っ張った。が、布の上から抱きしめられているため、中々剥がれない。
「ん? あぁごめん。邪魔だった?」
頭上から、そんな甘くて優しい響きを持った囁き声が降ってくると、彼が布をずらしてくれた。それはジャケットのようだった。
そして、初めて彼とぱちりと目が合う。
今日初めて、いや、出会ったときから数えて今、初めて目が合ったのだ。
彼は、普段の姿からは考えられないような見た目をしていて、長い前髪は真ん中で分けられ、いつもボサボサだった黒髪はきちりとセットされて、艶を見せていた。
豪華な装飾がたくさんついた重いジャケットはティナに被せられていたが、シャツとベストだけでも、それが高級な服であることが一目でわかるほどの代物を、おしゃれかつ綺麗に着こなしており、清潔感に溢れている。
普段は背を丸めていたのか、記憶よりもずっと背が高く、ダボついた服に隠していた、薄くて細い腰とスラリと長い脚が露わになり、彼の美しさをより一層際立たせていた。
おまけに、クールで爽やか、それでいてクラクラするような甘さを奥に秘めているキケンな香りが仄かにするので、ティナの心臓は、ドキドキと脈打っていた。
お互いにしばし見つめ合っていたが、彼がふと、にこりと笑う。
それが甘くて優しくて、なんだか溶かされてしまいそうで。ティナは恥ずかしくなって、またジャケットの下に潜る。するとまた、彼が片腕でぎゅっと先ほどよりも強く抱きしめてきた。
そして、焦ったようなカイ王子の声がまた響く。
「ううう嘘をつくな!! お前はもっとこう……! 違うだろう!!」
「え~~? 疑り深いですねー。まぁしょうがない、か」
レントが面倒くさそうにそう言うと、せっかく綺麗にセットしていた髪をぐちゃぐちゃと解き、ボサボサにしてみせると、懐から分厚い眼鏡を出してかけた。
(あぁ……、もっと見ていたかったのにな)
ティナは、目の前で起きている事態をすっかり忘れて、隠れたジャケットの隙間から、レントの美貌に釘付けになっていた。その美しさが、崩れてしまうのがもったいなかった。
「ね。僕でしょう?」
「ち、ちちち違う!!!」
「まぁ服が違うので信じられないのもわかりますけれども」
どんどん焦ったように声を張り上げるカイ王子と、冷静で淡々としたレントが対照的で、なんだか滑稽だった。そんな風に喋る間に、彼はササッと身なりを戻す。それを見て、ティナの胸はまた高鳴った。
「あぁ、それで本題なんですが、ティナ嬢との婚約は破棄されたということでよろしいですか?」
レントがそう言ったのを聞いて、ティナはヒュッと息を呑む。一気に現実に引き戻された。
そうだ、私は今、崖っぷちに立たされているのだ、そう思うと、勝手に体が震え出した。
「それがどうしたというのだ!」
「よろしいんですよね?」
レントが圧をかけるようにそう念押しすると、それに気圧されたことを感づかれたくないのか、カイ王子は負けじと声を張り上げる。
「そうだ! その悪女との婚約は破棄した!」
「良かった。実はずっとティナ・ソルマー嬢と結婚出来たらと夢見ていたのです」
レントがどこか演じるような顔でそう言い放つのを、ティナは頭上に乗ったジャケットがめくれ落ちるのも気にせずに見上げていた。
(……なんて優しい人。表向きそういうことにして、私の家を助けてくれたのかしら)
でも、レントがティナのソルマー侯爵家を手助けする理由が一つも見つからなかった。どうしてだろう、そんなことを思っていると、レントがティナにジャケットをかぶせ直す。
「では、僕は父上に婚約の手続きを申し込まねばなりませんのでこの辺で」
彼がそう言ったのが聞こえた後、ティナにだけ聞こえるように「視界が悪くてごめんね。僕に合わせて歩いて」と、そう囁くのが聞こえた。
そして、向きを変えておそらく出口に向かって歩き始めた頃、後ろでレントを引き留める声が響いた。
「お待ちくださいレント様。その娘は悪女なのです。そのような者と結婚されたら、レント様が不幸になってしまわれます」
その声はスーディだった。
レントは一拍置くと、彼女に背を向けたままこう言った。
「僕の幸せは僕が決めます。貴女にどうして僕の幸せが測れましょうか」
返す言葉がないのか、それ以降、スーディの声は聞こえてこない。
そして、とうとう会場の扉を出ようという頃、彼はくるりと振り返ってこう吐き捨てたのだ。
「あぁ、すみません。ティナ嬢の魅力もわからないような方には難しいお話でしたね。失敬!」
(えっ)
ティナが彼の言葉に呆気に取られていると、ふいにジャケットの重みが消える。その拍子に視界が晴れ、スーディが唇を噛み締めてこちらを睨んでいるのが見えた。そして、何を考える暇もなく、ぐいと体を引き寄せられ、会場内から見えないところまで誘導される。
一瞬の出来事だったけれど、なんだか胸のすくような思いがした。いくら嵌められた相手とは言え、人の不幸を見て少しでも気分が晴れるだなんて、なんて最低な人間だろう、とも同時に思った。
そうしてティナが反省をしていると、レントの「逃げるよ!」という声が横から聞こえてくる。慌てて彼の方を見ると、見たこともないようなワクワク感の溢れる笑顔をしていた。
そんなレントに驚いて、ティナがぼけっと突っ立っていると、レントはひょいとティナを横抱きに持ち上げる。
「えっ!? え、あの、わ、私重いので……!」
お姫様抱っこなどされたことのないティナは、羞恥で顔に湯気が昇りそうだった。おまけに、手をどこに置けばいいのかもわからない。
「心配しないで! 手は俺の首に回して!」
困っているティナを見てか、レントがそう言ってくれたのでおずおずとレントの首に両手を回す。さっきよりも顔が近づいてしまって、さらに顔に熱が集中して、心臓がドコドコと鳴っていた。
「ど、どうして私を助けてくれたんですか……? 私が悪女だって、あなたは思わなかったんですか」
何とか間を持たせようとしたティナが遠慮がちにそう訊くと、レントは「え」とだけ言って黙りこくってしまった。そのまましばらくは、レントが走り続ける息遣いが聞こえるだけになる。
(ど、どうしよう。何かまずいことを聞いてしまったのかも)
ティナが内心青ざめていると、やっとレントが声を出す。
「なんで? いくら考えても、あなたが悪女だなんて思えないけど」
「…………さっき、スーディ嬢が悔しそうな顔をしているとき、少しばかり気分が良くなってしまったんです。人の不幸を見て気分が晴れるなんて、最低の人間です。悪女と言われても、否定できないもの」
ティナが正直にそう打ち明けると、レントは何でもないという風に否定した。
「え、全然悪女じゃないよ。王子の隣にいたあの女の方がよっぽど悪女だね。ティナ嬢にもそんな感情があるなんて愛おしいなぁ~! 自分の憂さ晴らしで言っただけなんだけど、あなたの憂さ晴らしもできてたなんて!」
それを聞いて、ティナは呆気にとられる。なぜ彼は喜んでいるのだろうか。
レントの考えていることが全くわからなかった。
やがて、城を出ると、タンディオン公爵家の紋章が入った馬車にエスコートされ、流されるままに乗り込んでしまった。そして、レントがティナの向かいに腰掛ける。
(ど、どうしよう……。今後、表向き婚約を結んだことになったとして、私、将来どうしたらいいのかしら……)
自身の膝を見つめるように俯いてしまったティナを見て、レントがそっと口を開く。
「ティナ嬢、顔を上げて」
優しくそう言われて、ティナはゆっくりと顔を上げる。レントの、熱がこもったように小さく揺れる瞳を、吸い込まれるように見つめた。
「こんな形で連れ去ってごめんね。…………俺のことは、嫌い?」
迷うように、レントがそう訊いた。ティナは、予想外の質問に、ブンブンと、勢いよく首を横に振る。嫌いなわけがない。こんな素敵な人、嫌いなわけがない。
思えば彼は、一緒に課題をやったときから、元々良い人だったのだと思う。
最初は、ぼそぼそと喋るし、質問にもちゃんと答えてくれず、別の話をし始める上に急に冷たく切り捨ててくるのでびっくりした。しかし、辛抱強く話を聞き、わけのわからない行動にも付き合い、笑顔を絶やさずに接していたら、最後の方は今までごめんね、と言ってティナの分をも網羅する完璧なレポートをまとめて持ってきてくれたのだ。
「……ありがとう。ごめん、今のは嫌いって言いにくいよね……」
レントは少し俯きがちにそう言うと、力なく笑った。
「これからのことは、あなたが自由に決めていい。俺は本当に、本気でティナ嬢と結婚したいと思ってるけど、ティナ嬢にその気がないなら無理強いはしないよ。大丈夫、この婚約を断っても、あなたが将来不自由しないような処理をしておくから安心して」
優しく、安心させるようにそう言うレントに、ティナの瞳からは、ひとりでに涙が零れ出す。
「ごっ!? ご、ごめん!!」
レントは焦ったようにそう言うと、懐からハンカチを取り出して、ティナの涙を拭おうとして、やめた。そして、ティナの手に向かってハンカチを差し出す。
「……良ければこれ、使って」
そうして差し出されたハンカチを受け取る。こんなにかっこいいのに、さっきは迷いもなくお姫様抱っこをしてきたくせに、今は自分に触れるのを躊躇っているのが少しおかしくて、ティナは思わずフフ、と笑う。
「レント様になら、触れられてもいいのに」
「……は?」
レントは半分怒っているかのように目を見開いてそう言うと、次の瞬間には頭を抱えてフーーーと大きなため息を吐いた。
「ティナ嬢。ダメ。ダメだ、そういうのはダメだ。俺、勘違いするから」
頭を抱えて俯いた状態のまま、呪文のように、ひとりごとのようにそう言うレントにティナは疑問を投げかける。
「……レント様は、どうして私なんかと結婚したいなどとお考えなのですか?」
すると、レントが驚いたように顔をゆっくりと上げ、ハッキリとこう言った。
「ティナ嬢が好きだからに決まってる」
「ど、どうして私が好きなんですか……?」
先ほど、悪女だ、と糾弾されてからというもの、本当に自分は悪女なのではないか、と、そんな思いが拭えないティナは、レントの言葉が上手く信じられなかった。メイド任せではなく、自らお茶を淹れてみたいと言い、その上失敗した令嬢を、上の立場から叱るべきだったのかもしれないし、宿題を忘れた令嬢に、課題をやり忘れたことは素直に教師に報告するよう助言するべきだったのかもしれない。
「俺は、権力と顔に寄ってくる女どもが大嫌いで、わざと冴えない感じの男になって過ごしてたんだけどさ。ティナ嬢だけだったんだよ。そんな俺に呆れもせずにちゃんと向き合おうとしてくれたでしょ。だから好きになった。アドバイスだって、言い方にも気を配った上で論理的に指摘してくれるし、周りの人もしっかり見てる。学業だって怠らないし、その努力を誇示するわけでもない。あなたほど素晴らしい人なんてこの世界のどこにもいない」
レントはそこで言葉を切って、ティナの瞳を見つめた。
「……でも、王子の婚約者だったから諦めた。……そんなところにこんな幸運、俺としては絶対に逃すわけにいかなくて。ちょっと強引なやり方した……ごめん」
レントはそう言うと、合わせていた瞳を逸らした。
しかし、ティナの顔は驚きと喜びに満ちていた。今投げかけられた言葉たちを忘れぬように、必死に、頭の中で反芻する。
レントの思いはしっかりと届いたのだ。その、ティナの心を穿った言葉たちは、初めてかけられたものばかりだった。
「じゃ、じゃあ、本当に私が好きで……?」
「そうだよ! ずっとそう言ってるでしょ? 俺、あなたのことが大好きなんだよ」
レントは、弾かれたようにティナの顔をまっすぐ見ると、今にも泣きだしそうな表情をして、優しく、でもハッキリと、そう言った。
「う、嬉しい……」
ティナの瞳からは涙が溢れ出す。なんだか、今日は泣いてばっかりだ。いつもだったら、情けない、と自分を諫めるところだが、今日くらいは。
こんな、人生で一番嬉しいことがあった瞬間に泣いちゃいけないなんて、そんなわけがない。だから、今日初めて、溢れる涙を抑えることなく、その感情を我慢をすることなく、涙がぽろぽろと零れ落ちるのをそのままに、レントに向かって笑いかける。
「私、レント様と結婚したいです」
こんなに自分のことを見てくれている人は初めてだった。今までやってきた全ての努力が報われたように感じた。
だから、彼と、心から。結婚したいと思った。
「…………ありがとう」
嬉しさと、驚きがごちゃ混ぜになったような表情で、レントは眉を下げて微笑んだ。
「隣に座ってもいい?」
「はい! もちろん」
そして、二人はきつく抱きしめ合う。
クールで、爽やかで、甘い魅惑の香りが鼻をくすぐる。ティナはゆっくりと目を閉じた。安心するこの温もりに身を任せ、彼の胸板に顔をうずめる。
私は今、この世界で一番の幸せ者なのだと、そう確信していた。
完
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