表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄を従姉に奪われた愛蘭は、伯爵家を追放され、路頭で死そうになるが、皇都で後宮画家になり、イケメン上司原水と出会い、溺愛される!  作者: 山田 バルス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/32

第八話 劉原水(りゅうげんすい)視点 玉華の母の肖像

愛蘭、後宮に絵を描く ― そして、心を描く



 後宮付きの絵師として愛蘭が任を受けてから、

 彼女の名は、日に日に後宮の奥へと浸透していった。


 噂というものは、実に正直で残酷だ。

 価値あるものは、瞬く間に広まり、

 同時に、妬みと警戒も引き寄せる。


「今日も、三宮を回っているそうです」


 図画省の執務室で、部下がそう報告したとき、

 わたしは思わず、筆を止めていた。


 ――休めているのだろうか。


 そんな心配が、自然と浮かぶこと自体、

 すでに、わたしの中で彼女の存在が特別になりつつある証だったのだろう。


 だが、その時のわたしは、

 それが「恋」などという分かりやすいものだとは、微塵も思っていなかった。


 美しい人間には慣れている。

 好意を向けられることにも、慣れきっている。


 だからこそ、

 人を好きになる感情には、どうにも鈍くなっていた。


◆ ◆ ◆


 愛蘭が描いた、幼き皇女――玉華の母の肖像。


 それを初めて見せられた時、

 わたしは言葉を失った。


 そこにいたのは、

 記録の中の「端正な妃」ではない。


 わたしの記憶の奥底に眠る、

 柔らかく笑い、幼い妹の頭を撫でていた、あの母の姿だった。


(……よくぞ、ここまで)


 胸の奥が、熱を帯びる。


 玉華が、あの絵の前で泣いたと聞いたとき、

 わたしは、胸を締めつけられるような思いがした。


 そして同時に、

 深い感謝と、抑えきれない安堵が込み上げた。


 妹の心を救ってくれたのは、

 薬でも、言葉でもない。


 一枚の絵だった。


 それを描いたのが、愛蘭だった。


 ――それだけで、十分すぎるほどだ。


◆ ◆ ◆


 数日後。

 玉華が、突然、図画省に現れた。


「原水さま!」


 幼い足取りで駆け寄ってくる姿に、

 役人たちが一斉に硬直する。


「……殿下」


 わたしがそう呼びかけると、

 玉華は、むっと頬を膨らませた。


「だめ。ここでは、いつもどおりでいいって言ったでしょう?」


「……そうだったな」


 苦笑しながら、しゃがみ込む。


「今日は、どうした?」


「愛蘭に、会いに来たの」


 即答だった。


 その名を聞いた瞬間、

 胸の奥が、僅かに跳ねる。


「今は、後宮に呼ばれているはずだ」


「むぅ……」


 玉華は不満そうに唇を尖らせ、それから、にやりと笑った。


「でもね、原水さま」


「なんだ?」


「愛蘭は、わたしの大切な人です」


 不意を突かれ、言葉を失う。


「お兄さまでも、譲れません」


「……お兄、さま?」


 一瞬、呼吸が止まった。


 玉華は、わざとらしく首を傾げる。


「だって、そうでしょう? 原水さま」


 ――気づいているのか。

 それとも、ただの子どもの勘か。


 どちらにせよ、

 わたしの心を見透かされたようで、居心地が悪い。


「愛蘭はね」


 玉華は、誇らしげに言った。


「絵で、人を生き返らせるの」


 その言葉に、

 胸の奥が、また静かに揺れた。


◆ ◆ ◆


 その夜、張玉寧と酒を酌み交わしていた。


「例の絵だがな」


 張玉寧は、杯を傾けながら言う。


「東国の技法ではない。

 かといって、今までの西洋画の模倣でもない」


「……ああ」


「最近、西洋で流行っているという話を聞いたことは?」


 彼は、意味ありげに続ける。


「東国と西洋の様式を融合させた、新しい芸術。

 名を――アール・ヌーヴォーと言うそうだ」


 わたしは、はっとした。


「曲線を生かし、自然と人を一体として描く……?」


「そうだ。

 彼女の線には、それに近いものがある」


 盃を置き、張玉寧は静かに笑った。


「無自覚で、新時代を描いているのか、知っていてその絵を描いていたのか?

 どちらにしても才能ある娘だ」


「……だが、それこそが」


 わたしは、思わず言っていた。


「この国の芸術に、今、最も必要なものだ」


 張玉寧は、ちらりとこちらを見る。


「殿下」


「……なんだ」


「それは、芸術への期待か。

 それとも――彼女自身への思いか?」


 言葉に、詰まる。


 答えは、出ない。


 ただ一つ、確かなのは――

 彼女の描く絵を、

 そして、彼女自身を、

 もっと知りたいと思っているという事実だった。


◆ ◆ ◆


 人に好かれることには、慣れている。

 だが、人を想うことには、慣れていない。


 妹の心を救った絵師。

 後宮に新しい風を吹き込む異端。

 そして――

 わたしの心を、静かに揺らし続ける存在。


 それが恋なのか。

 芸術への陶酔なのか。


 今は、まだ、分からない。


 だが――


 あの娘が描く未来を、

 この国で、最後まで見届けたい。


 そう思っている自分を、

 否定する気にはなれなかった。


 劉原水は、

 今日もまた、知らぬふりをして、

 その想いを胸の奥にしまい込む。


 絵が描く真実と同じように、

 心もまた、

 少しずつ、輪郭を持ち始めていたのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ