第三十一話 劉原水と愛蘭の婚約式
帝への正式奏上
帝都の朝は、張りつめていた。
白い石畳を踏みしめ、劉原水は正装の衣を整えながら、宮城の奥へと進む。
その半歩後ろを、愛蘭が静かに歩いていた。
薄紅の礼服に、控えめな装身具。
緑港伯領の後宮画家としてではなく、今日は――一人の女性として、帝の前に立つ日だった。
(……緊張しているか?)
そう声をかけたい衝動を、原水は胸の内に留める。
ここは、私情を挟む場ではない。
重厚な扉が開かれ、奥の謁見の間が姿を現す。
玉座には、帝がいた。
「第三皇子・劉原水、参りました」
原水は膝をつき、深く頭を下げる。
「後ろの者は?」
「緑港伯領後宮画家、愛蘭にございます」
愛蘭もまた、凛とした所作で一礼した。
帝は二人を交互に見つめ、やや目を細める。
「……顔つきが変わったな、原水」
「恐れ入ります」
「愛蘭もだ」
その声には、どこか面白がるような響きがあった。
「さて、本題に入ろう。
釣書の件――どうする」
原水は、一瞬も迷わなかった。
「父上」
顔を上げ、まっすぐに言葉を紡ぐ。
「釣書三件、すべて辞退いたします」
室内の空気が、ぴんと張りつめる。
「理由は?」
「わたしが、すでに選んだからです」
「……ほう」
「緑港伯の後継者で、後宮画家の愛蘭を、妻として迎えたいと考えております」
一瞬の沈黙。
だが、それは否定の間ではなかった。
帝は、ゆっくりと息を吐く。
「……釣書を蹴ってまでか」
「はい」
「政治的価値を理解したうえでか?」
「理解したうえで、それでもなお、です」
原水は言い切った。
「愛蘭は、緑港伯領を守り、東国の面目を立てました。
その功績は、縁談の道具にされるものではありません」
帝は、視線を愛蘭へ向ける。
「愛蘭。そなたは、どう思う」
愛蘭は一歩前に出て、深く一礼した。
「恐れながら申し上げます」
声は、静かだが揺るがない。
「わたしは、劉原水殿下をお慕いしております。
政治的な価値ではなく、一人の人として、隣に立ちたいと願っております」
再び、沈黙。
やがて、帝は――小さく笑った。
「……まったく。似た者同士だ」
二人を見比べ、頷く。
「よい。許す」
「父上……!」
「ただし」
帝は人差し指を立てる。
「婚約は正式なものとする。
発表の場を設けよ。曖昧な関係は許さぬ」
「……はっ」
「愛蘭」
「はい」
「緑港伯領での働き、見事であった。
その功、帝国としても正式に認めよう」
愛蘭は、胸が熱くなるのを感じながら、再び深く頭を下げた。
「身に余るお言葉、恐れ入ります」
こうして――
二人の婚約は、帝の許しをもって、確かなものとなった。
◇
婚約発表の場に話は移る。
婚約発表は、数日後。
帝都の貴族たちが集う、大広間で執り行われた。
高い天井から吊るされた水晶灯。
絹の衣が揺れ、低いざわめきが満ちる。
「聞いたか? 第三皇子殿下が……」
「緑港伯領の跡継ぎ令嬢で後宮画家と……?」
「まさか、あの愛蘭か?」
囁きは、次第に期待と好奇に変わっていく。
やがて、太鼓の音。
「――第三皇子殿下、入場」
劉原水が姿を現す。
そして、半歩遅れて――愛蘭。
その姿を見た瞬間、広間が静まり返った。
淡い翠を基調とした婚約衣装。
気品と柔らかさを併せ持つその姿は、誰の目にも明らかだった。
――選ばれたのではない。
共に立つ者だ。
壇上に立った帝が、宣言する。
「ここに告げる。
第三皇子・劉原水と、緑港伯令嬢、愛蘭の婚約を、正式に認める」
ざわめきが、一気に歓声へと変わった。
「……おめでとうございます!」
「これは、良き縁だ!」
原水は、愛蘭の手を取る。
「皆に紹介しよう」
静かな声で、しかし誇らしげに。
「わたしの、婚約者だ」
愛蘭は、一瞬だけ原水を見上げ、微笑む。
「皆さま、本日はありがとうございます」
その笑顔は、後宮画家としての仮面ではない。
一人の女性としての、確かな幸福だった。
拍手が鳴り響く中、原水は心の底から思う。
(……愛蘭を守れた)
政治でも、策略でもない。
ただ、大切な人を。
こうして――
二人は公の場で並び立ち、
恋は、正式な未来へと名を変えたのだった。




