おまけその3 ソフィアの父視点 小さな手のままで
ナントール公爵(ソフィアの父)視点 小さな手のままで
わしは、公爵である。
それは誇りであり、責務であり、
そして――父である前に背負わねばならぬ、重い役目だ。
娘ソフィアが生まれた日のことを、わしは今でも鮮明に覚えている。
小さな手。か細い泣き声。
この子は、必ず守らねばならぬ――そう思った。
だからこそ、婚約の話には人一倍慎重だった。
アンソニー・ド・ラ・ロシュ。
母が王女の血を引く名門。
知性、教養、家柄、どれを取っても申し分ない。
だが――
あの男は、感情を表に出さぬ。
婚約が決まったときも、喜びの色ひとつ見せなかった。
わしは、その無表情が、どうにも気に入らなかった。
それでも、ソフィアは幸せそうだった。
たまに見せる微笑みを「最高のご褒美」などと言って、
あの男の一挙手一投足を宝物のように受け止めていた。
……愚かなほど、一途な娘だ。
だが、それがソフィアなのだ。
◇
アカデミーに、愛蘭という女性が現れたと聞いたとき、
わしは胸騒ぎを覚えた。
悪い予感というものは、なぜ当たる。
アンソニーが、東国へ渡った。
婚約破棄を求める手紙を残して。
あの手紙を読んだとき、
わしは久方ぶりに、激怒という感情を思い出した。
――ふざけるな。
娘の人生を何だと思っている。
即座に抗議の準備を命じたが、
ソフィアは、静かにそれを止めた。
「お父様。わたくしは、待ちます」
その目は、泣いてなどいなかった。
覚悟の目だった。
あの瞬間、わしは理解した。
この娘は、誰に似たのだろうか。
いや――わしだ。
愚かで、頑固で、
一度決めたら引かぬところが、わしにそっくりだ。
だから条件を出した。
三年。
三年待って、戻らぬなら、諦めろ。
それは公爵としての判断であり、
父としての、最後の防波堤だった。
◇
三年後。
アンソニーは英雄として帰国した。
ブリテン帝国の野望を挫き、
外交と戦略で名を上げたと聞く。
……正直に言えば。
少し、見直した。
だが、それとこれとは別だ。
娘を傷つけた事実は、消えぬ。
◇
祝典の夜会で、
ソフィアとアンソニーがバルコニーへ消えたと聞いたとき。
胸騒ぎがした。
嫌な予感ほど、よく当たる。
ほどなくして運ばれてきた報告は――
ソフィアが、気を失った、というものだった。
……血の気が引いた。
だが、医師の言葉で安堵した。
「幸福による一時的な失神です」
幸福、だと?
その夜、アンソニーが正式に結婚を申し入れてきた。
わしは、即答しなかった。
試したのだ。
「娘を裏切った男に、再び娘を預けると思うか?」
アンソニーは、逃げなかった。
頭を下げ、
言い訳も、弁明もせず、こう言った。
「生涯をかけて償います」
その目を見て、わしは悟った。
……ああ、この男は、もう逃げぬ。
◇
結婚式の日。
ソフィアは、美しかった。
それ以上に――幸せそうだった。
腹立たしいほどにな。
式の最中、
わしは気づいてしまった。
娘の腹部の、わずかな変化に。
――なるほど。
だから、あんなにも幸せそうなのか。
式後、アンソニーを呼び止めた。
「聞いておけ」
低い声で言った。
「わしは、お前を完全には許しておらん」
アンソニーは、真っ直ぐに頷いた。
「それで結構です」
……馬鹿な男だ。
だが。
わしは続けた。
「だが――娘が笑っている限り、
わしは、お前を婿として認めよう」
一瞬、アンソニーの目が潤んだ。
それを見て、わしは視線を逸らした。
◇
娘を喜んで手放す父親など、どこにもおらぬ。
ただ――
娘が自分で選んだ幸福を、否定するほど、
わしは傲慢ではない。
もし、この先、ソフィアが涙を流すことがあれば。
その時は。
公爵としてではなく、
一人の父として――
全力で、あの男を叩き潰すだけだ。
それだけの話である。
◇
……まったく。
娘というのは、
親の思惑など、簡単に飛び越えていくものだな。
だが。
幸せならば、それでいい。
それが、
わしの――本音だ。




