閑話5 ブリテン帝国 マイケルの断罪
――帝国が選んだ結末―― マイケル=フラム視点
扉が閉まった音で、すべてを理解した。
――来たな。
ブリテン帝国へ向かう船の船室。
外は夜。
海は静かすぎるほど静かだった。
護送という名の隔離。
送還という名の処理。
私は、最初から分かっていた。
(帝国は、私を裁かない)
裁く必要がないからだ。
失敗した外交官など、記録から消せばいい。
そして――
知りすぎた者は、必ず消される。
◇ ◇ ◇
ノックはなかった。
鍵が回り、男たちが入ってくる。
動きに無駄がない。
軍人でも、正規の諜報員でもない。
(……ランフォート侯爵の犬か)
ブリテン帝国政界。
内部抗争の名は、嫌というほど知っている。
ランフォート=リヴァプール侯爵。
帝国内で私と同じく“裏の仕事”を請け負いながら、常に足を引っ張ってきた男。
(なるほど……ここまでのようだな)
男の一人が、低い声で言った。
「マイケル=フラム殿」
「……何用だ」
あえて、穏やかに返す。
「我々は、ブリテン帝国の“調整役”だ」
「貴殿の件について、最終処理を任された」
やはり、だ。
「命令は?」
「“事故死”もしくは、“心中”」
私は、思わず笑った。
「選択肢をくれるとは、優しいな」
男は、表情を変えない。
「どうしますか?」
――どうするか、だと?
(選択権があるように見せるのが、帝国流か)
◇ ◇ ◇
私は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……キャサリン=レスターナ公爵令嬢は?」
「別室です」
それを聞いて、胸の奥が、わずかに痛んだ。
(やはり、彼女もか)
彼女は、皇族の血を引く。
生かしておけば、いつか“利用価値”が生まれる。
だが――
今回の件では、やりすぎた。
東国への権益を失ったのなら、帝国は許さないだろう。
「無理心中が、いいだろう」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
男たちが、わずかに視線を交わす。
「理由は?」
「簡単だ」
私は、淡々と告げる。
「私一人が死ぬよりは、物語として“美しい”方を選びたい。
東国で愛しあう男女が無理心中すると」
それに。
(仮にわたしが事故死なら彼女は病死で消されるのだろう)
「キャサリン嬢に会えるかな?」
男が、事務的に小さく頷く。
「……その時にな」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が、ひどく痛んだ。
(すまない、キャサリン)
だが、選択肢はない。
「抵抗する気はない。キャサリン嬢にも手荒なことはするな。
“悲劇の心中”だ。余計な傷は不要だろ」
男は、短く頷いた。
「承知した」
◇ ◇ ◇
独りになった船室で、私は深く息を吐いた。
(結局……)
私は、最後まで“帝国の役に立つ”選択をしている。
生きている間も。
死ぬ瞬間さえも。
(滑稽だな)
扉の向こうから、かすかな物音が聞こえる。
キャサリンが、連れて来られるのだろう。
あの誇り高い公爵令嬢。
最後に見る顔は、どんな表情だろうか。
(怒るか)
(泣くか)
(それとも……理解するか)
◇ ◇ ◇
扉が開いた。
キャサリン=レスターナが、二人の男に挟まれて入ってくる。
「……マイケル?」
彼女は、すぐに状況を察したようだった。
無表情な男たち。
「そういうこと、ですのね」
声は、震えていない。
「及ばずながらお供します」
私は、彼女を見つめる。
「帝国は、我々が邪魔になった」
「……予想しておりましたわ」
彼女は、皮肉に微笑む。
その強さに、胸が締めつけられる。
(彼女は、最後まで誇り高い)
「……心中、という形になります」
私が告げると、彼女は一瞬だけ目を閉じた。
そして。
「……それもまた美しい終わり方ですわね」
「ああ」
「帝国にとって?」
「我々にとっても、だ」
沈黙。
やがて、彼女は静かに言った。
「……分かりましたわ。抵抗は、しません」
その言葉が、何より辛かった。
(私は……最後まで、彼女を利用したのだ)
◇ ◇ ◇
男たちが、準備を始める。
毒。
記録用の文書。
“心中”の演出。
私は、キャサリンに視線を向ける。
「……すまない」
「いいえ」
彼女は、はっきりと言った。
「あなた一人に、背負わせるつもりはありませんでしたから」
その言葉に、救われた気がした。
男が、短く告げる。
「時間です」
私は、最後に命じる。
「――終わったら、記録は、確実に処理しろ」
「承知しました」
そして。
(これが……私の、最終任務か)
帝国のために生き、
帝国のために死ぬ。
だが――
(せめて、彼女と一緒だ)
それだけが、
最後に残された、ささやかな救いだった。
「その前に少し時間をくださらない。ほんの少しです」
キャサリン嬢は近づいてきた。そして、甘える声で私の頬を撫でる。
「心中相手と口づけを交わしていないなんて、おかしいですわね」
「それもそうですな。麗しのキャサリン嬢、愛しています」
そう告げた後、私はキャサリン嬢の唇を奪う。
彼女は情熱的で、私も思わず快楽を覚えてしまう。
「実はお慕いしていましたの」
キャサリン嬢の意外な言葉に、私は驚きもしつつ微笑を浮かべた。
「キャサリン嬢、わたしもです」
二人で見つめ合い、小さく笑いながら、毒杯を口に含む。
闇が、静かに降りてくる。
◇ ◇ ◇
翌朝。
二人の死は、「無理心中」として報告された。
帝国は何も失わなかった。
ただ――
忠誠を尽くした男と、誇り高き令嬢が、
歴史の裏側から、消えただけだった。




