閑話4 ブリテン帝国 マイケルとキャサリンの策謀
皇族の血と帝国の毒 ――選ばれた第三皇太子――
ブリテン帝国大使館の奥、特別待遇の客だけが通される応接の間。
分厚い扉が閉じられた瞬間、外界の気配は完全に断ち切られた。
キャサリン=レスターナ公爵令嬢は、ゆっくりと背筋を伸ばした。
二十歳。
その若さに似合わぬ落ち着きは、生まれながらに背負わされた血筋の重さゆえだ。
――母は、東国皇帝の実妹。
しかし、彼女はブリテン帝国の第三王子に恋するあまり、王子に近づく女性への暗殺未遂により、
帝国内では悪毒令嬢として、ほぼ追放された存在になっていた。
「率直に申し上げます、キャサリン嬢」
マイケル=フラムは、いつもの芝居がかった笑みを消し、低い声で切り出した。
「我々ブリテン帝国は、東国への交易で行き詰まっています」
キャサリンは紅茶に口をつけながら、黙って続きを促す。
その仕草一つひとつが、皇族教育を受けた者特有の無駄のなさを帯びていた。
「銀の流出が、看過できない水準に達しています。
絹、茶、磁器――いずれも魅力的ですが、我々には東国に輸出する物が少なく、ひどい貿易赤字なのです」
「つまり」
キャサリンは静かに言葉を継いだ。
「帝国が“搾取される側”になりつつある、と」
「ええ」
マイケルは頷く。
「このままでは、帝国本国から銀を運び続けねばならない。
銀が枯渇してしまいます」
キャサリンは視線を伏せた。
政治とは、血を流さぬ戦争だ。
その意味を、彼女は幼い頃から叩き込まれている。
「……解決策は?」
マイケルは、一拍置いてから答えた。
「需要を、こちらから作るのです」
彼が差し出した帳簿の一頁。
そこに記された文字を見て、キャサリンの指がわずかに止まった。
「阿片……」
その一語が、部屋の空気を張り詰めさせる。
「帝国支配下の南方属国では、阿片の生産が安定しております」
マイケルはキャサリンの様子を一瞬、見てから続ける。
「阿片を輸出すれば、銀を必要としません」
「……しかし、東国での阿片は禁止なのでは?」
キャサリンの声は低い。
「第三皇太子が知れば、決して黙ってはいませんわ」
マイケルは、その名を待っていたかのように微笑んだ。
「だからこそ、です」
「劉原水殿下は、第三皇太子。彼を味方に引き入れれば、
秘密裏に阿片を輸入できます」
キャサリンは、目を細める。
「彼を、利用すると?」
「いいえ」
マイケルは首を振った。
「“仲間にする”のです」
キャサリンは即座に理解した。
皇太子という立場――それは、単なる官吏とは比べ物にならない。
「……確かに殿下の力があれば、検査なしで禁制品を輸入できるわ。そうなれば、
東国との貿易赤字も解消されるかしら」
「その通りです」
マイケルは静かに頷いた。
「皇族を取り込めば、後は簡単に上手くいくでしょう。都中を阿片漬けにすることも可能です」
「上手く行けばですわ――」
キャサリンの声に、微かな緊張が混じる。
「失敗すれば、取り返しのつかないことになるのではないかしら」
「そうなりますな。しかし、我々にはもう失う物はないかと? そして、もう成功するしか道はないのです」
マイケルは視線を鋭くした。
「我々はブリテン帝国には戻れない身なのですから」
キャサリンは、理解した。
そして同時に――自分が、その役目に選ばれた理由も。
「……わたくしが、劉原水殿下に近づく」
「ええ」
マイケルは満足げに笑った。
「皇族の血を引く貴女なら、殿下も警戒を緩める」
「ですが、殿下の傍には――」
キャサリンの瞳が、冷たく光る。
「愛蘭という女がいます」
「障害ですな」
マイケルは即答した。
「後宮絵師であり東国とフラン王族の血を引く女、邪魔ですな」
キャサリンは、ゆっくりと微笑んだ。
その笑みは、気品に満ちていながら、どこか冷酷だった。
「邪魔者は消すのが良いかしら」
「その手の者を送りこみましょう」
マイケルは杯を取り上げた。
「では、ブリテン帝国と我々の利益のために、乾杯」
キャサリンもまた、杯を掲げる。
「わたくしたちの成功に、乾杯かしら」
杯が触れ合う音は、静かだった。
だがその響きは、確実に歴史を歪める。
――この夜。
皇族の血を引く公爵令嬢と、帝国の外交官は決めた。
阿片を、夢として売ることを。
そして一人の皇太子を、逃げ場のない場所へ導くことを。
誰よりも誠実な男を、
最も残酷な選択へと誘う策略を考えて――。




