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婚約破棄を従姉に奪われた愛蘭は、伯爵家を追放され、路頭で死そうになるが、皇都で後宮画家になり、イケメン上司原水と出会い、溺愛される!  作者: 山田 バルス


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第二十一話 劉原水、帝からの命令書

劉原水視点 ――帝の手紙



 夜の海は、昼とは別の不気味な顔を持つ。

 緑港伯領の別荘、その二階執務室の窓から見える水面は、月光を受けて激しく揺れていた。


 机の上には、一通の手紙がある。


 重厚な紙。

 東国皇帝の印章。


 それを、私はまだ――開いていない。


(……いや、正確には)


 内容は、すでに把握している。

 先ほど、使者から口頭で要旨を伝えられた。


 ――ブリテン帝国より、皇帝の血筋を引く令嬢が婚約を希望している。

 ――国益に適うなら受けよ。

 ――不利益となるなら断れ。

 ――判断は、すべて劉原水に任せる。


 帝らしい、あまりにも重い“自由”。


 私は椅子に深く腰を下ろし、指でこめかみを押さえた。


(判断を、私に委ねる、か……)


 逃げ道はない。

 判断は任せると言ってはいるが、結婚しろということだろう。

 帝のせいにしないため、お前自身が選択したのだろうとするために。

 誰のせいにもできない、決められた選択を迫られたのだ。


 ――その時だった。


 控えめなノック。


「殿下、よろしいでしょうか」


 愛蘭の声。


「……入れ」


 扉が開き、ハーフ顔の愛蘭が入ってくる。

 昼間の応接室での出来事を思い出し、胸の奥が、わずかに軋んだ。


「先ほどの件で、少し整理ができましたので……

 ラファエル前派とブリテンの文化政策について、補足を」


 あくまで仕事の顔。

 だが、その目の奥に、消しきれない揺れがあるのを、私は見逃さなかった。


 ――気づいてしまった。


 彼女が、動揺していたことを。

 キャサリン=レスターナの存在に。


(……見せるべきか?)


 机の上の手紙に、視線が落ちる。


 帝の書簡。

 国家の命運に関わる文書。


 だが同時に――

 彼女の心を、決定的に傷つけるかもしれない“現実”。


「原水様?」


 愛蘭が、不思議そうに首を傾げる。


 私は、しばし沈黙した。


(彼女は、部下だ。

 だが……それだけか?)


 問いが、胸に突き刺さる。


 私は、彼女に頼っている。彼女を必要としている。

 意見を求め、分析を任せ、信じているし、それ以上の感情が……


 それは、単なる能力だけへの信頼か。

 それとも――。


「……愛蘭」


 名を呼ぶと、彼女の背筋が、わずかに伸びた。


「一つ、聞きたい」


「はい」


「もし、ブリテンが“婚姻”を使って東国に入り込もうとしているとしたら……

 君は、どう判断する?」


 愛蘭は、即答しなかった。

 一度、視線を伏せ、考える。


「……文化と違い、婚姻は簡単に後戻りができません」


 静かな声。


「一度結べば、血縁と情が絡みます。

 それは、同盟にもなり、枷にもなります」


「つまり?」


「相手が誠実であれば、強い絆になります。

 ですが――」


 彼女は、はっきりと言った。


「相手が“国家の道具”として送り込まれているなら、

 それは、最も危険な侵入経路です」


 胸が、ずしりと重くなる。


(やはり、そう見るべきなのか?)


 私は、意を決した。


 手紙を取り、封を切る。

 そして――彼女の前に置いた。


「これは、帝からの書簡だ」


 愛蘭の目が、わずかに見開かれる。


「……見ても?」


「ああ。君には、判断材料を共有する権利がある」


 彼女は、丁寧に手紙を読み進めていく。

 一行、一行。


 そして――最後まで読み終えた時。


 彼女の手が、ほんの少し、震えた。


「……判断は、原水様に任せる、と」


「そうだ」


 沈黙。


 潮騒だけが、窓の外から届く。


「……原水様は」


 愛蘭が、顔を上げた。


「どう、なさるおつもりですか?」


 その問いに、私は答えられなかった。


 国益を取るべきか。

 警戒を優先すべきか。


 そして――

 自分の心は、どこにあるのか。


「……正直に言おう」


 私は、ゆっくりと口を開いた。


「私は、迷っている」


 皇族として、あってはならない言葉。

 だが、今は偽れなかった。


「キャサリン嬢は、有能で、覚悟もある。

 外交上、魅力的な選択肢だ」


 愛蘭は、黙って聞いている。


「だが同時に――

 ブリテンの影が、あまりにも濃い」


 そして、言葉が、自然と溢れた。


「それに私は彼女をみてもときめかなかった……」


 一瞬、間を置く。


「愛蘭、君があの場で動揺していたのを、私は見て思った」


 空気が、凍る。


 愛蘭の呼吸が、わずかに乱れた。


「それは……何を思ったのですか?」


「君が動揺しているのを見てなぜか? 嬉しく思ったのだ」


 私は、首を振った。


「私は駄目な上司なのかもしれない。だが、知りたいのだ。

 愛蘭、君の気持ちを」


 愛蘭は、しばらく黙っていた。

 そして、絞り出すように言った。


「……原水様が、誰と婚約されようと」


 声が、かすれる。


「それは、原水様の自由です。

 国のためであれば、なおさらでもわたしは……」


 その言葉の続きを、彼女は言えなかった。


 私は、確信した。


(ああ……そうか)


 私自身も、同じなのだ。


 この手紙を見せるかどうかで迷った理由。

 それは、政治ではない。


 ――彼女を、失いたくなかったのだ。


 窓の外、夜の海が静かに光る。


 帝の手紙は、机の上にある。

 決断は、まだ下されていない。


 だが一つだけ、はっきりした。


 この婚約は――

 ただの外交案件では、もうない。


 私と愛蘭は、

 同じ岐路に立たされているのだ。


 間違った選択をすれば、大切な想いを失う。

 しかし、それは、新たな試練にもなる?


 その狭間で、

 夜は、深く、激しく迷いながら更けていった。

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