閑話1 ブリテン帝国 外交官マイケル=フラムの策略
ブリテン帝国の狙い
東国・緑港伯領。
港を見下ろす丘の上に建つブリテン帝国大使館は、外観こそ控えめながら、内部には帝国の威光を凝縮したかのような重厚さを備えていた。
執務室の高い天井からは、鈍い光を放つシャンデリアが吊り下げられている。
大きな執務机の前に立つ、銀髪に右目に黒い眼帯の中年貴族――マイケル=フラムは、片手に報告書を持ったまま、窓際に立って港を眺めていた。
「……なるほど。後宮画家、か」
低く呟くその声には、苛立ちと警戒が混じっている。
机の前に控えているのは、秘書兼諜報担当官のガーランド=ウエストハムだった。
几帳面に整えられた赤髪と、感情を表に出さない眼差しは、いかにも帝国の諜報員らしい。
「はい。諜報員の報告によれば、名は愛蘭。フラン人と東国人のハーフで、現在は後宮付きの画家として活動しております」
「ほう……」
マイケルはようやく振り返り、報告書に目を落とした。
「フランの画風を持ち込んでいる、という話だったな?」
「ええ。アール・ヌーヴォー、印象派――東国では異端とも言える手法ですが、真新しい技法に皇族や妃たちの評価は高いようです。特に、曲線美と色彩表現が革新的だと」
マイケルは鼻で笑った。
「文化というのは、武器になりうるな。しかも、彼女はただの絵師ではないのだろう?」
「その通りです」
ガーランドは一拍置き、声を潜めた。
「愛蘭は――東国皇族と、フラン国王の血を引いている可能性が高い……ようです」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
「……それは、困った問題だな」
マイケルの言葉は静かだったが、その奥にある計算は冷酷だった。
「フランが東国に文化と血脈の両方で影響力を持てば、我々ブリテン帝国の活動は確実に制限される。外交、通商、諜報――すべてに影響が出るな」
「すでに東国とフランの距離は縮まりつつあるように見受けられます」
「だからこそ、手を打たねばならんのだ」
マイケルは報告書を机に置き、ゆっくりと背もたれに身を預けた。
「……どのような対策をお考えですか?」
ガーランドの問いに、マイケルは薄く笑った。
「本国から、人を呼んでいる」
「人、ですか?」
「キャサリン嬢だ」
ガーランドの眉が、わずかに動いた。
「ま、まさかあの……悪毒令嬢のキャサリン嬢ですか?」
「そうだ。銀髪の綺麗な容姿、王族の血筋――性格に問題はあるが、今回の人選に適した令嬢だ」
マイケルは指を組み、淡々と続ける。
「彼女は近く東国に到着する。目的は一つ。東国皇族との関係を深めることだ」
「ですが、東国には適齢期の皇子たちは、すでに婚約者が……」
「一人だけいるだろう、婚約者がいない者が」
マイケルの瞳が、鋭く細められた。
「劉原水。婚約者を持たぬ皇子だ」
ガーランドは即座に理解した。
「まさか、キャサリン嬢と、劉原水殿下の婚約を……」
「進めるしかないな」
迷いのない断言だった。
「なるほど、さすがフラム様、素晴らしい考えです」
「そうだろう?」
マイケルは満足げに頷いた。
「我々が東国を事実上の支配下に置けるかどうかは、この婚姻にかかっている。
文化はフランに先をいかれ、血までフランが先行中――などというこの状況は、絶対に許されない」
ふと、マイケルの表情が曇った。
「ただし……一つ、誤算があったな」
「パリスグリーンですか?」
ガーランドの言葉に、マイケルは舌打ちをした。
「本来なら、名称からしてフラン国の関与を疑われるはずだった。だが――」
「東国とフラン国の役人が、水面下で打ち合わせを行い、事件がフランと無関係であることを突き止めた件でしょうか?」
「……劉原水、なかなかやるわ」
マイケルは苦々しく呟いた。
「普通なら、あの名を聞けばフランを疑う。だが彼は、先入観に流されなかった。だからこそ厄介だな」
そして、ふっと笑う。
「まあ、だからこそ、価値がある。劉原水を味方にできれば、我々の野望も達成できるだろう」
「劉原水殿下とキャサリン嬢の結婚ですね」
「そうだ。婚姻が成せば、そこが東国での我々の足がかりになる。愛蘭がどれほど絵を描こうと、文化を広めようともな――」
マイケルの声は、冷たい確信を帯びていた。
「東国との貿易の主導権は、我々が握るべきだ」
窓の外では、港に停泊する船の帆が、夕暮れの風に揺れている。
その静かな光景とは裏腹に、ブリテン帝国の執務室では、東国の未来を左右しかねない計画が、確かに動き出していた。
――こうして、愛蘭と劉原水を巻き込んだ、東国の未来をかけた策謀は始まろうとしていた。




