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婚約破棄を従姉に奪われた愛蘭は、伯爵家を追放され、路頭で死そうになるが、皇都で後宮画家になり、イケメン上司原水と出会い、溺愛される!  作者: 山田 バルス


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第十九話 愛蘭(あいらん)新たなる敵、ラファエル前派

帝の別荘にて ―― 静かな打ち合わせ



 緑港領に設けられた帝の別荘兼、公務施設は、港町の喧騒から少し離れた海沿いにあった。


 白い外壁と、低く抑えられた屋根。

 装飾は控えめで、貴族の館というより、理知的な官庁建築に近い。しかし一歩足を踏み入れれば、ここが「高貴の場所」であることは、空気そのものが雄弁に語っていた。


 潮の香りを含んだ風が、庭の松を静かに揺らしている。


 愛蘭は、二階の客間に通され、しばし身体を休めていた。

 柔らかな長椅子に腰を下ろし、ゆっくりと息を整える。


(……まったく、とんでもない人だわ)


 脳裏に浮かぶのは、金髪の青年外交官の顔。

 迷いのない視線と、あまりにも身勝手な決意。


(この国に滞在する、ですって……)


 溜息をひとつ吐き、愛蘭は立ち上がった。

 打ち合わせの時間だ。


 執務室の扉をノックすると、低い声が応じた。


「どうぞ」


 室内は簡素だった。

 大きな机と書棚、地図が広げられた壁。

 劉原水は机に向かい、書類に目を通していたが、愛蘭の姿を見ると顔を上げた。


「休めたか?」


「はい、少しだけですが」


 向かいの椅子に腰を下ろすと、原水は腕を組んだ。


「さて……まずは、これからのことについて話し合いたい」


 視線が鋭くなる。


「アンソニー・ド・ラ・ロシュ。あの男、どういうつもりだと思う?」


 愛蘭は即答しなかった。

 一度、言葉を選ぶ。


「……正直に言えば、彼自身も、整理がついていないのでしょう」


「ほう、それはどんな風に」


「愛情と責任と、貴族としての立場。その全部を、都合よく両立させたいだけです」


 冷静な声だった。


「彼は本気です。しかし――昔からワガママで、自分に甘い人です」


 原水は、ふっと鼻で笑った。


「ふ、自分に甘いか……」


 指先で机を軽く叩く。


「我がままなのは、こちらとしては、厄介だ。フランの大使館付き外交員として居座られると、形式上は追い返せない」


「ですが、彼がこの地に留まるのは無意味です」


 愛蘭ははっきりと言った。


「わたしが、彼についてフランへ戻ることはありませんから」


 迷いはなかった。


「ここが、わたしの居場所です。

 この国で、やるべき仕事があります」


 原水は笑みを浮かべながら、その言葉を静かに受け止める。


「……それなら安心だ。東国の図画省には、君が必要だ」


 そして、話題を切り替えた。


「では、本題に入ろう」


 原水は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。

 厚手の紙に刷られた、精緻な版画。


「最近、緑港伯領を含め、海外との交易がある都市で、同じ趣向の絵が確認されている」


 愛蘭は受け取り、視線を落とした。


 描かれているのは、一人の女性だった。

 横たわり、まるで眠っているかのように目を閉じている。

 衣は乱れず、血もない。

 だが――生気がない。


 どこか、死を思わせる静けさ。


 愛蘭の眉が、わずかに寄った。


「……これは」


「どう見る?」


 原水が問う。


 愛蘭は、しばらく黙って細部を観察した。

 線の流れ、陰影の付け方、構図。


 そして、静かに首を振った。


「これは、フランのアールではありません」


 きっぱりと断言する。


「え? 西洋画なのでは?」


「最近のフランの絵は、写実主義から離れています。それに対してこの絵は写実的であり、その上、内面に

 訴えかける手法です。この作品は、……観る者に“メッセージ(インパクト)”を残しています」


 指先で紙の端をなぞりながら続けた。


「眠りと死の境界を、意図的に曖昧にしている」


 原水は目を細める。


「では、どこの国のものなのだ?」


 愛蘭は、少し考えてから答えた。


「たぶん……ブリテン帝国ではないかと」


「ブリテン?」


 思わず声が上がる。


 フランと並ぶ、西洋の巨大国家。

 海を制し、商業と工業を武器に勢力を広げる帝国。


「ブリテン帝国のアールといえば、最近は“ラファエル前派”が人気かと」


「ラファエル前派……」


「理想化された美と、死や退廃を同時に描く流派。宗教画や文学からのテーマが多い作風です。

 フランの印象派とは対極にあるアールです。そして、思想性が非常に強いかと」


 愛蘭は、版画を見つめたまま言った。


「それに、この絵は、単なる装飾ではありません」


「……というと?」


「暗示が込められている」


 原水の背筋が、わずかに伸びる。


「眠る女性は、国。

 あるいは――支配される側」


 沈黙が落ちた。


「つまり」


 原水が低く言う。


「ブリテンが、何かを仕掛けようとしている、と?」


 愛蘭は、ゆっくりと頷いた。


「フランだけではありません。

 東国、そして緑港伯領のような交易の要衝を、狙っている国は」


 港の外では、船の汽笛が鳴った。


「芸術を先に流し、巧みな方法で思想を染み込ませる……

 これは、西洋の国がよく使う手です」


 原水は、深く息を吐く。


「フランの影に隠れて、さらに大きな獣が動いている、というわけか」


「たぶん、そうなるかと」


 愛蘭は版画を机に戻した。


「そして――アンソニーの来訪も、無関係とは思えません」


 原水の目が、鋭く光る。


「恋と外交が、絡み合うか……」


 小さく笑い、しかしその笑みは冷たかった。


「面倒なことになってきたな」


 こうして。


 緑港伯領の静かな別荘で、

 誰にも知られぬまま――


 フラン、ブリテン、そして東国を巻き込む

 新たな策謀の歯車が、静かに、しかし確実に回り始めていた。

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