第三話 愛蘭(あいらん)、図画省試験を受ける!
愛蘭、図画省試験を受ける!
王宮の奥、白い回廊を抜けた先に――
図画省はあった。
天井は高く、壁には歴代の絵師たちが残した作品が整然と並んでいる。
山水画、花鳥画、人物画。
いずれも、この国で「正統」とされる様式だった。
その場に足を踏み入れた瞬間、愛蘭は、無意識に背筋を伸ばしていた。
――場違い、かもしれない。
粗末な外套。
市場育ちのような身なり。
そして、異国の血。
視線が、刺さる。
「……あれが、例の娘か」
「フラン帰りの……?」
「女が、図画省試験など……」
囁き声は、はっきりと耳に届いた。
愛蘭は、何も言わず、ただ唇を引き結ぶ。
――慣れている。
緑港でも、フランでも。
「異端」の視線は、いつもそこにあった。
◆ ◆ ◆
試験会場は、広い画室だった。
中央に机が並べられ、各自に画板と紙、墨と絵具が用意されている。
試験官は三名。
年配の男性二人と、鋭い目をした壮年の男が一人。
壮年の男が口を開いた。
「本日の試験は、二つだ」
低く、冷静な声。
「第一試験。
“人物画”を描け。制限時間は二刻」
ざわ、と空気が動く。
人物画は、最も評価が厳しい分野だ。
しかも、女の受験者は、愛蘭ただ一人。
「第二試験は、第一を見てから告げる」
愛蘭は、静かに頷いた。
――描くだけ。
それしか、できない。
◆ ◆ ◆
モデルとして、若い侍女が一人、椅子に座らされた。
緊張した面持ち。
背筋は伸びているが、肩に力が入っている。
愛蘭は、深く息を吸い、鉛筆を手に取った。
――まず、骨格。
フランで教えられたのは、表面ではなく「構造」だった。
人物がの黄金比を思い浮かべる。5対8。
ルーブル美術館で模写した時の人物画なら誰が良いか?
ラファエロか? それともフェルメール。そう考えてから頭を軽く横に振る。
ここは、レオナルド・ダヴィンチのモナリザの構図を参考にしよう。
肩の傾きを計る。
首の角度とのバランスを。
周囲の受験者たちは、すでに墨を摺り、勢いよく線を走らせている。
「……ふん。木炭?」
試験官の一人が、鼻で笑った。
「墨も使えぬのか」
愛蘭は、聞こえないふりをした。
――いいえ。
使える。でも、墨では表現できない世界なので、使わないだけ。
陰影を、線で組み立てる。
光がどこから差しているかを、意識する。
頬の膨らみ。
目の奥の影。
緊張が作る、わずかな口元の歪み。
紙の上に、少しずつ、人が「描かれて」いく。
◆ ◆ ◆
途中、壮年の試験官――張玉寧が、愛蘭の背後に立った。
何も言わない。
ただ、じっと見ている。
愛蘭の背中に、汗がにじんだ。
――見られるのは、苦手。
だが、手は止めなかった。
時間は、あっという間に過ぎた。
「そこまで!」
声が響き、鉛筆を置く。
愛蘭は、そっと息を吐いた。
◆ ◆ ◆
提出された作品が、順に並べられる。
どれも、見事だった。
流麗な筆致。
伝統に則った、完成度の高い人物画。
――正しい。
でも。
最後に、愛蘭の絵が置かれた。
場の空気が、一瞬、止まる。
「……これは」
年配の試験官が、眉をひそめた。
「侍女がそのまま絵に閉じ込められている」
「こ、これが……西洋画なのか?」
「線が、美しい」
絶賛の言葉が、淡々と並ぶ。
「これが――アカデミーの力なのか」
張玉寧が、静かに口を開いた。
「これほどまでに」
一同が、絵を見る。
そこに描かれていたのは、
ただ“似ている”だけの顔ではなかった。
緊張と誇り。
職務への自覚。
若さの中にある、諦念。
「この侍女が、何を思って座っていたか……
それが、伝わってくる」
沈黙。
「これは、異端だ!」
張玉寧は、そう言ってから――
わずかに、口角を上げた。
「だが、これこそが我が国にとって、新しい芸術の幕開けだ!」
◆ ◆ ◆
第二試験は、即興だった。
「同じ人物を、“別の方法”で描け」
愛蘭は、一瞬だけ迷い――
そして、決めた。
水彩絵の具を取り、パレットに色を置く。
肌の色。
衣の陰。
背景は、あえて描かない。
人物だけが、浮かび上がるように目立つように描く。
「……まるで、鏡の中のようだ」
誰かが、呟いた。
完成した絵は、
この国の様式とは、明らかに違っていた。
だが。
そこにいたのは、
確かに“生きている人間”だった。
◆ ◆ ◆
結果は、その場で告げられた。
「愛蘭。
図画省・仮採用とする」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥が、熱くなった。
「正式な絵師となるかどうかは、後宮での働き次第だ」
「……はい」
声が、震えた。
だが、それは、恐怖ではない。
――始まった。
異端と呼ばれた西洋画で。
居場所のない女が。
後宮という、最も閉ざされた世界へ――
足を踏み入れた瞬間だった。




