閑話3 沈琳道視点 愛蘭への謝罪、そして、断罪のはじまり
沈琳道視点 ――最後の賭け
帝の別荘兼、公務施設は、緑港伯領の海沿いにあった。
白い外壁。
海風に対応するために、低くめに抑えられた屋根。
本来、私が“緑伯家の婿”になっていれば、出入りするはずだった施設。
(愛蘭、お前は……ここに、いるのだな)
喉が、ごくりと鳴った。
緊張ではない。
これは――期待だ。
私は、正門の受付に進み、名を告げた。
「私は沈琳道だ。愛蘭殿に――取り次いで欲しい」
受付の役人は、一瞬、怪訝な顔をした。
だが、淡々と確認を取り、奥へ引っ込む。
(よし)
拒絶されなかった。
それだけで、胸が軽くなる。
ほどなくして、案内が来た。
「短時間のみです。
愛蘭殿は、公務の合間にお会いになります」
十分だ。
いや、十分すぎる。
◆ ◆ ◆
部屋に入ると、愛蘭がいた。
以前と変わらぬ姿。
静かで、凛としていて――
だが、私を見る目は、はっきりと“冷たい”。
「……要件は?」
挨拶も、感情もない。
事務的な声。
(……そうだ。まずは謝罪だ)
「愛蘭。
あの時は――本当に、すまなかった」
頭を下げる。
深く。
誠意を込めている“つもり”で。
「君を傷つけるつもりはなかった。
俺は、麗香に騙されていたんだ」
私も麗香に騙された仲間をアピールする。
あの女のせいにすれば、同情を引けて、共感を得られるはずだ。
だが――
愛蘭の表情は、変わらない。
「……謝罪は、受け取りました」
それだけ。
「本日は、それで終わりですか?」
終わり?
そんなはずがない。
(まだだ)
「待ってくれ」
思わず、声が出る。
「君だって、分かっているはずだ。
緑港伯家は、再建が必要だろう」
愛蘭が、わずかに眉をひそめる。
「そのためには、婿が必要だ」
私は、胸を張った。
「元々、俺は君の婚約者だった。
今からでも遅くない」
言葉を、選んだ。
「――俺が、君と結婚して“あげる”」
その瞬間。
愛蘭の目が、はっきりと変わった。
嫌悪。
軽蔑。
そして、失望。
「……お断りします」
きっぱりと。
「あなたと、やり直すつもりはありません」
胸が、ざわつく。
(なぜだ)
「冗談だろう?」
思わず、笑ってしまう。
「今の君に、俺は必要なはずだ。
貴族社会のしがらみも、政治も――」
「必要ありません」
遮られた。
「私にあなたは必要ありません」
その言葉が、理解できなかった。
「……強がるな」
声が、低くなる。
「君は、俺がいないと――」
「それ以上、言わないでください」
愛蘭は、椅子から立ち上がった。
「これで、終わりです」
(終わらせる?)
胸の奥で、何かが崩れた。
(このままでは――)
私は、すべてを失う。
沈家にも、緑港家にも戻れない。
皇族の縁も、未来も。
(それだけは、駄目だ)
「……待て」
無意識に、腕を伸ばしていた。
「離してください」
愛蘭が、嫌悪を露わにする。
「大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように。
「今は、混乱しているだけだ」
近づく。
「夫婦になれば、逆らえなくなる」
口から出た言葉に、
自分でも一瞬、息が詰まった。
「……お前を、手籠めにしてしまえば」
言った瞬間、
愛蘭が、はっきりと怯えた。
「やめて!」
その声で、我に返る――
はずだった。
だが、止まれなかった。
(これしか、道がない)
その時。
「――そこまでだ」
低く、凛とした声。
振り向くと、
入口に、劉原水が立っていた。
静かな怒りを宿した目。
「ちょうど良い」
彼は、淡々と告げる。
「この者を、捕らえよ」
次の瞬間、
背後から腕を取られ、床に押さえつけられた。
「な、何を――!」
「沈琳道」
劉原水の声は、冷たかった。
「皇族への脅迫、暴行未遂」
抵抗しようとしても、動けない。
「違う! これは、話し合いだ!」
「話し合い?」
劉原水は、愛蘭を一瞥する。
「彼女の顔を見ろ」
私は、初めて気づいた。
愛蘭は、震えながらも、私を見る眼差しは恐ろしいほどに冷たかった。
はっきりとこちらを拒絶していた。
「……連れて行け」
その一言で、すべてが終わった。
◆ ◆ ◆
冷たい鉄の感触。
牢の中で、私は膝を抱えた。
(……なぜだ)
何が、間違っていた?
私は、正しい選択をしたはずだ。
生き残るために。
だが――
あの目。
愛蘭の、軽蔑するような目が、
何度も脳裏に浮かぶ。
(……違う)
そう思いたかった。
だが、もう誰も、
私の言葉を聞く者はいない。
沈琳道の最後の賭けは、
こうして、音もなく崩れ落ちた。
そして私は、初めて知った。
一度失った信用は、取り戻せない。ということを。




