閑話4 緑麗香(れいか)視点 麗香の断罪生活
緑麗香視点
判決が下ったのは、さらに半月後。
緑伯家、取りつぶし。
爵位剥奪。
財産没収。
関係者は、地方への追放。
沈琳道は、真っ先に逃げた。
わたしを置き去りにして。
屋敷を追い出される日。
わたしは、かつて愛蘭が抱えた小さな荷物袋を思い出していた。
「……どうして」
誰にともなく、呟く。
その答えを、もう教えてくれる者はいない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
――自分が踏みにじった少女は、
帝国の絵師として、強大な力を身に着けて戻ってきた。
そして、緑麗香は、すべてを失った。
それが、わたしの物語の終わりだった。
◆ ◆ ◆
――どうして、私がこんな目にあわなければならないのよ。
冷たい。
朝、目を覚ますたびに、まずそう思う。
豪奢な寝台も、厚い絹の寝具も、もうない。
何もないのだ。
あるのは、軋む木の床と、薄汚れた毛布だけ。
港町の外れ、元下男すら住まないようなボロ長屋。
――どうして、こうなったの?
私は、緑伯家の令嬢だった。
いいえ、伯爵家そのものだったと言っていい。
私こそが輝く伯爵令嬢だった。
皆が頭を下げ、私の機嫌を伺い、
わたしの一言で人の運命が変わった。
それなのに。それなのになぜ?
「……っ、寒い……」
息を吐くと、白くなる。
冬が、こんなに冷たいものだなんて、知らなかった。
◆ ◆ ◆
取りつぶしが決まった日を、何度も夢に見る。
帝の使者、劉原水の冷たい声。
父――緑仲頴の青ざめた顔。
そして、屋敷を去るとき。
振り返った私は、
あの日の愛蘭と、同じだったのだろうか。
小さな荷物袋ひとつ。
引き止める者は、誰一人いなかった。
沈琳道?
あの人は、もっと早くに消えていた。
責める言葉すら、かけられなかった。
せめて、私を連れ出して逃げてくれれば、良かったのに……
「愛を誓い合ったのに……男って、皆そうなのね」
そう呟いても、虚しいだけ。
私が選ばれたのではなかった。
ただ、伯爵家の婿になりたかっただけの男。
だから、伯爵家の婿になれないのならと、さっさと逃げた打算だけの男。
私の男を見る目がなかったのが原因なのか?
愛蘭の幸せを奪えれば、最高に愉快だと思った自分が愚かだったのか……
正解はわからないまま、今も悩む。
◆ ◆ ◆
今の私は、洗濯女の真似事をしている。
冷たい水に手を突っ込み、
荒れた指で布を揉む。
「元お嬢様には、無理だろう」
そう言って、笑う女たち。
……笑わせないで。
私だって、努力している。
必死に、生きている。
なのに、うまくいかない。
仕事は遅いと言われ、
態度が悪いと言われ、
すぐに首を切られる。
「なんでよ……」
泣きながら、何度も思う。
私が、何か悪いことでもしたと言うの?
愛蘭を追い出しただけ?
婚約者を奪っただけ?
――それが、そんなに罪なの? 悪いことなの?
奪われる方が、悪いんじゃない。
そう思わなければ、心が壊れてしまいそうだった。
◆ ◆ ◆
夜になると、決まって、あの女の顔が浮かぶ。
愛蘭。
ハーフで美しすぎる容姿を持ったわたしの従妹。
誰もが彼女の美貌に注目していた。
祖父が健在だった子供の頃、みなが愛蘭を綺麗だとか将来が楽しみだと褒めていた。
美人が幸せになる人生。性格が良い女性がそのまま幸せを掴む人生。
そんなのは、わたしは許せなかった。
美人は不幸になれ! 性格が良い女も偽善者だ、地獄に落ちろ!
愛蘭から婚約者を奪った時、私は愛蘭に勝ったのだと思っていた。
でも、本当に勝ったのは――
どちらだったのだろう。
噂で聞いた。
後宮付きの絵師。
帝に認められた才能。
フラン王国とも正式に繋がりがある、と。
「……嘘」
信じたくなかった。
あの女が、私より上に立つなんて。
私が、見下ろされるなんて。
◆ ◆ ◆
ある日、食べ物に困り、港へ行った。
フランの船が、また入っていた。
あの時と同じ、立派な船。
若いフラン人たちが笑い合っている。
その中に――
見覚えのある金髪があった。
そう、彼はアンソニー。
彼は、こちらに気づかなかった。
気づかれていたとしても、
声をかける勇気なんて、私にはない。
だって、私はもう――
何者でもない。
ただの、落ちぶれた女。
石畳に座り込み、
私は、声を殺して泣いた。
「……なんで、こうなったのよ……」
誰かのせいにしたかった。
父のせい。
沈琳道のせい。
愛蘭のせい。
でも、本当は――
分かっている。
私が、選んできた道の先に、今の私がいる。
◆ ◆ ◆
それでも。
それでも、思ってしまう。
もし、あの時。
ほんの少し、違う言葉を選んでいたら。
もし、愛蘭から婚約者を奪わずにいたら。
愛蘭を追い詰めなかったら。
……こんな結末には、ならなかった?
答えは、もう戻らない。
冷たい床の上で、
毛布にくるまりながら、
私は、今日も小さく息を吐く。
かつて、全てを手に入れたはずの女は、
こうして、何も持たずに生きている。
――これが、私の結末。
ざまあみろ、と
誰かが笑っている気がした。
それが、私自身の声だったとしても。
いや、もう一人のわたしの心の声なのだろう。




