第九話 劉原水視点 フラン大使来国 新たなる事件
劉原水視点 新たなる火種
劉原水は、夜明け前の城内を歩いていた。
石畳はまだ冷え、空には薄く霧が残っている。
だが、彼の頭の中は、昨夜から少しも晴れていなかった。
(動き出したな……予想よりも早く)
御前画会の一件は、単なる後宮の不祥事では終わらない。
それは、彼の立場――帝の側近であり、外務と文官の調整を担う者として、嫌というほど理解していた。
図画省に立ち寄る前に、外務省の詰所へ向かう。
そこには、すでに一人の男が待っていた。
曹泰孝。
帝の側近であり、外務を一手に取り仕切る実務官僚だ。
「……お早いですね、原水様」
「嫌な報せほど、朝が早いものだ」
劉原水がそう返すと、曹泰孝は苦笑し、巻物を一つ差し出した。
「フラン王国関連です」
その一言で、劉原水の眉がわずかに動いた。
「昨日、緑港伯領にあるフラン大使館から、正式な“苦情”が入りました」
「苦情?」
「ええ。内容は――
“東国の宮中で、フラン王国由来の禁制顔料が不適切に使用され、外交的誤解を招いている”」
劉原水は、深く息を吐いた。
(やはり、そこを突いてきたか)
「さらに厄介なことに……」
曹泰孝は声を落とす。
「現在、緑港伯領のフラン大使館には、
フラン国王の甥――王族に連なる人物が滞在しています」
「……王族、だと?」
「名目は視察。しかし実態は、半ば監督役でしょう。
フラン側としては、“禁じられた緑”が東国で使われた件を、極めて重く見ています」
劉原水の脳裏に、あの絵が浮かぶ。
柔らかな緑。
光によって、毒を語る色。
(愛蘭……君は、後宮だけでなく、国境まで揺らしたか)
「緑港伯は、どう動いている?」
「沈黙しています。
ですが――大使館が置かれている以上、無関係とは言えません」
緑港伯領。
交易の要衝であり、フランとの窓口でもある地。
もし、あの顔料が緑港を経由して流入していたとすれば――
それは、単なる後宮の事件ではなくなる。
「帝は?」
「まだ、ご存じではありません。ただし――」
曹泰孝は、静かに続けた。
「フラン国の王族が動いている以上、隠し通すことは不可能でしょう」
劉原水は、しばらく黙って考えた。
(これは、危機か……それとも、機会か)
フランは、芸術と文化の国だ。
同時に、毒と美を知り尽くした国でもある。
そして――
あの夜、灯の下で微笑んだ一人の女画家の顔が、脳裏に浮かぶ。
(彼女なら、この局面を“色”で切り抜けるかもしれない)
「曹殿」
「はい」
「フラン大使館との窓口は、私が引き受ける」
曹泰孝が目を細める。
「まさか……愛蘭殿を?」
「ああ。
彼女は後宮絵師ではあるが、それだけではない」
劉原水は、はっきりと言った。
「フランを知り、禁じられた色の意味を知り、
それを“罪”ではなく、“警告”として示せる者だ」
芸術は、時に剣より鋭い。
色は、言葉より雄弁だ。
「緑港伯にも、伝えよ」
「何を?」
「――この件、下手に隠せば、国を揺らす。
だが、正しく示せば、国境を越える“橋”になる、と」
曹泰孝は、静かにうなずいた。
劉原水は、窓の外を見る。
朝の光が、宮城の屋根を照らし始めていた。
(後宮の夜は終わった……次は、外交の昼だ)
そして、その中心に――
一枚の絵と、一つの“緑”がある。
フランという舞台は、
もう、後戻りできないところまで、幕を上げていた。




