閑話1 徳妃視点 新しい芸術との戦い
徳妃、視点 新しい芸術との戦い
あの女が、金色の髪で現れた瞬間。
徳妃――私は、胸の奥が冷たく沈むのを感じていた。
(……来たわね。西の色をまとった異物が)
御前画会の広間は、香と絹と虚飾に満ちている。
だが、私の目には、ただ一つのことしか映っていなかった。
――この国の絵が、塗り替えられようとしている。
扇の奥で、私は小さく息を吐く。
「……馬鹿な子」
誰にも聞こえぬよう、そう呟いた。
◆ ◆ ◆
私は、徳妃。
父は周仲謀。
東国画の巨匠の家に生まれ、山水も花鳥も、すべては“余白”と“気”で描くことを教えられてきた。
父は言った。
「絵とは、世界を削ぎ落とすものだ。
色で殴るものではない」
父の筆は、宮中の装飾を飾り、祭器に命を吹き込み、代々、帝の信を得てきた。
――それなのに。
西から来た、奇妙な絵。
影を重ね、色を塗り重ね、実在を誇張する“西洋画”。
帝はそれを面白がり、
ついには図画省などというものを作り、
西洋画を“新しい国の象徴”として推し始めた。
(愚かなこと)
私は、歯噛みした。
◆ ◆ ◆
「娘娘、ご決断は?」
全魯班が、私の耳元で囁いた。
幼い頃から仕えてきた侍女。
賢く、口が堅く、何より――私の考えを理解する女。
「ええ。時は熟しているわ」
私は、扇を閉じる。
「宋翠香は、帝の目に留まりすぎた」
「……寵愛が、邪魔だと?」
「それだけじゃない」
私は、低く言った。
「彼女は、帝に“西の色”を好ませている」
宋翠香の部屋。
淡い緑の壁。
西洋画師が持ち込んだ、新奇な装飾。
「東の絵は古い、西の絵は新しい――
そんな考えを、帝に刷り込んでいるのよ」
全魯班は、一瞬黙り込み、やがて頷いた。
「……では、“事故”に?」
「いいえ。“病”よ」
◆ ◆ ◆
「フランから入った緑があるわね」
私がそう言うと、全魯班の目が細くなった。
「……パリスグリーン、でございますか」
「そう」
さすがだ。
彼女は調べていた。
「美しい発色。
だが、猛毒」
「西洋画の危険を示すには、これ以上ない色だわ」
私は、静かに微笑む。
「宋翠香の部屋に使う。
少しずつ、体を蝕む程度に」
「……罪は、装飾係に?」
「いえ」
扇の骨を、指でなぞる。
「“西洋画そのもの”に、罪を被せるの」
全魯班が、息を呑んだ。
「宋翠香が倒れれば、
帝は考える。
――西の色は、危険なのではないか、と」
「そして、もし彼女が……」
「死ねば尚良し。
病で衰えれば、それでも良し」
私は、冷たく言い切った。
「一石二鳥よ。
邪魔な側室を消し、
西洋画の流行に、楔を打つ」
◆ ◆ ◆
計画は、完璧だった。
顔料は、装飾係を通じて自然に混ぜさせた。
記録も、曖昧な表記にさせた。
誰も、“色”など疑わない。
――あの女が来るまでは。
◆ ◆ ◆
金色の髪。
異国の顔。
(フラン人……?)
あの瞬間、私は悟った。
(これは、敵だ。東洋画の敵である)
だが、まだ勝っている。
そう思っていた。
――“あの色”の名を、
この国で知る者などいない、と。
だが。
「――パリスグリーン」
その言葉が放たれた瞬間、
胸の奥が、音を立てて崩れた。
(なぜ知っている……何者?)
扇を握る手に、力が入る。
証拠。
記録。
装飾係の証言。
一つ一つ、積み上げられていく。
帝の視線が、私に向けられる。
「徳妃。
なぜ、禁じられた色を?」
私は――答えなかった。
答えれば、
父の名も、
東国画の誇りも、
すべてを汚すことになる。
◆ ◆ ◆
夜。
私は、静かに後宮を去った。
全魯班は、最後まで口を閉ざしていた。
それが、彼女なりの忠義だったのだろう。
(だが……)
歩きながら、私は思う。
(あの女――愛蘭)
西の絵を武器にしながら、
色の“毒”を暴いた女。
(皮肉ね)
私が示そうとした
“西洋画の危険”を、
あの女が、帝の前で証明したのだから。
だが、戦いは終わらない。
東の絵は、
西に塗り潰されるものではない。
私は、胸の奥で、そう誓った。
――色は、思想だ。
そして、思想は、いつか必ず、再び刃となる。
◆ ◆ ◆
後宮の外で、
徳妃は、静かに、次の一手を考えていた。
(この国の“絵”を、守るために)




