3話
魔術実践の授業――普段なら冷房の効いた室内訓練場で行われるが、今日は違うらしい。
教室に戻った私を待っていたのは、アシスタントのアンドロイドからの無機質な声だった。
「本日の授業は屋外訓練場にて実施します。急ぎ移動してください」
その一言に背中を押され、私は教室を飛び出す。目指すは隣区画の屋外訓練場。
魔術学校だというのに、こうして肉体を酷使させられる羽目になるとは思わなかった。確かにエレベーターはあるが、1万人規模の学び舎に対して数が明らかに足りない。待っていれば授業開始に遅れるのは目に見えている。
魔術を訓練場以外で使えるのなら、水の魔術で身体を浮かせて移動するだけで済むのに――そんな小さな不満を胸に、私は階段を駆け上がった。
ようやく屋上へ到着する。そこには訓練場へ直通するためのホバーボードが並べられていた。私は一枚を足元に置き、踏み込む。軽く魔力を流し込むと、ボードはふわりと浮かび上がり、その下に薄い光の道が伸びていく。やがて自動運転が始まり、一定の速度で右手の屋外訓練場へと滑っていった。
屋外訓練場は、学び舎のさらに高い位置に浮かぶ特別区画にあった。名前こそ「屋外」だが、天候や外気に左右されることはない。必要とあれば壁も天井も瞬時に生成され、完全な屋内空間へと切り替わる仕組みになっている。
私はボードに乗ったまま中央付近へ向かい、先生の姿を探す。白衣を翻したその背中が見えた瞬間、ちょうどチャイムが鳴り響いた。
次の瞬間、頭上にあった人工太陽が消え、代わりに透明な壁と天井が周囲を包み込む。数秒前まで肌を温めていた陽光は失われ、代わって均一な光を放つ天井照明が空を覆った。気温も少し下がり、足元には魔術練習用の標的が両側に並び始める。まるで地面から生えるように、小さい音に伴って姿を現したのだ。
どうやら今日は魔術の精度を磨く訓練らしい。しかし、わざわざここまで来る必要があったのだろうか――と疑問がよぎる。標的と向かい合うだけなら、室内訓練場でも十分だ。
それでも先生の指示には従うしかない。生徒たちは二列に分かれ、縦に並んだ。順番が回ってきた私は、人差し指を標的に向ける。集中して魔力を練り上げ、水の弾を連続で撃ち出した。
しかし――いずれも標的には当たらない。いや、厳密には外れてはいなかった。ただ、放たれた水弾は空中で速度を失い、まるで眠気に襲われたかのように浮かんだまま、ゆっくり、ゆっくりと標的の中心へと近づいていくのだ。
水弾は標的に到達し、ただ水滴を散らして濡らしただけだった。命中したにもかかわらず迫力のないその光景に、周囲の生徒たちが小さくざわめく。……もちろん、手を抜いたつもりはない。
もう一度、深く息を吸い、水弾を放つ。今度は先ほどとは比べものにならない速度で飛び、標的の中心を鋭く貫いた。水で濡らした箇所に残っていた自分の魔力を目印に、ただ真っ直ぐ撃ち込んだだけだ。動かない標的ならば、自分の魔力の軌跡をなぞるのは造作もない。
――が、威力の調整を完全に忘れていたのは失策だった。標的は中心から大きく抉れ、破片を散らして無残な姿になっている。先生も一瞬言葉を失い、固まった。
「……よくできました」
お褒めの言葉は確かにいただいた。だがその声色には、わずかに困惑が混じっている。先生は私の後始末とばかりに、壊れた標的をひとまとめにして横へ移した。
授業は少しだけ私のせいで中断されたが、すぐに再開され、一通り全員が標的に魔術を撃ち終えた。最後の生徒が終えると、先生は手にしたリモコンを操作し、訓練場の天井と壁が静かに消えていく。再び人工太陽の光と風が入り込み、景色は一瞬で屋外に戻った。
――何を始めようとしているんだ?
答えはすぐに明かされた。今日から、実戦形式の魔術訓練を導入するという。三年生になって初めて行われる内容らしく、周囲の空気が一気に緊張を帯びる。
先ほどの成績を参考に、先生は次々と対戦カードを決めていく。どうやら私は――先生と戦うらしい。
ん~……確かに同世代の中では、私は少しばかり抜きん出ている自覚はある。でも、だからといって先生が相手とは……いや、これは実力を試す絶好の機会なのかもしれない。胸の奥で期待と不安が同時にざわついた。
年相応の強さでの戦いがしばらく続き、何人かは目を引く動きを見せていたが、全体としてはまだまだ初々しい。
かといって、私だって実戦経験が豊富なわけじゃない。単に魔術の勉強を始めるのが人より早かったのと、血筋ゆえに魔力の天賦を多く持っている――それだけだ。
ましてや、自分より何倍も長く生きてきた先生を相手にしたら、私が得ている知識など通用しないだろう。それでも、経験ある相手から吸収できるものはきっと多いはずだ。
――おっと、面白いのがいるな。
火属性に風属性か。二属性持ちなんて初めて見た。珍しいうえに、この組み合わせは相性がいい。恵まれていると言っていいだろう。
火魔術を完璧に操れているわけではないが、風魔術で勢いを増すあたり、この年齢では反則級だ。
……うん、あれなら無事に勝てそうだな。
そう思ったところで、先生がこちらを見て微笑んだ。どうやら、次は私の番らしい。
先生と向き合う直前、周囲からわずかなざわめきが広がった。
「本当に先生とやるのか?」という小声や、期待と興奮が混じった視線が一斉にこちらへ集まる。
背中に突き刺さるその視線に、さすがの私も少しだけ緊張を覚えた――だが、やることはもう決まっている。
静寂が一瞬だけ広がり、耳が澄まされるような感覚。
そして――「カァンッ!」と高く澄んだ鐘の音が響いた。
その音を合図に、場の空気がぱしりと切り替わる。
同時に脚へ魔力を送り、全身の動きを軽くする。視界がわずかに広がり、足元の地面を蹴る音すら後ろへ置き去りにする感覚。
人差し指を前に突き出し、間髪入れずに水弾を数発――流れるように撃ち出す。
だが、先生の体は風に揺れる木の葉のように軽やかに動き、すべてをかわした。
飛沫が地面を濡らすだけで、手応えはゼロ。
……まあ、そうだよね。これくらいじゃ。
すぐに次の一手を練る。
先生は攻め込んでくる気配を見せず、こちらを見据えたまま軽く身構えているだけ。
子供だからと手を抜いているのか――それとも、様子を探っているのか。
ならば、こちらから押し込むしかない。
彼の額に汗を浮かばせ、本気を出さざるを得ない状況まで追い詰めてみせる。
足を止めず、すぐに次の行動へ移る。
正面からの打ち合いでは分が悪い――ならば、見えなければいい。
掌を軽く掲げ、周囲の空気中にわずかに漂う水分を集める。
すると、白く薄い霧がじわじわと広がり、訓練場全体を包み込んでいった。
視界がみるみる白くかすみ、相手の輪郭すら見えにくくなる。
その中で、私は立ち止まらずに水弾を無数に放った。
角度も距離もばらばら、的を絞らせないように乱射する。
命中率は度外視――一発でもかすれば、それでいい。
もし水弾の飛沫が先生の肌や衣服に付着すれば、そのわずかな水分からでも私は魔力の痕跡をたどれる。
位置も、動きも、距離感すらも――一方的に知ることができる有利な状況が作れるのだ。
霧の向こうで、何かがひゅっと動いた。
……さて、一滴でも、当たってくれるかな。
――当たった!?わずかながら手ごたえを感じた。
よし……感覚を研ぎ澄ませ、付着した水分に宿した魔力の痕跡をたどる。
霧の向こう、ぴたりと動かない気配。
本気を出さなければ本当に負ける――そんな状況にもかかわらず、まだ様子をうかがっているのか。
まあいい、知ったことではない。
動かないなら、的とそう変わらない。
ただ、霧はもうすぐ晴れてしまう。時間は限られている。
――ならば、今のうちに攻勢を強める。
明らかに地面から浮かび上がるように感じられる魔力の源を中心に、足元へ魔法陣を展開。
そこから無数の細い水弾を顕現させ、間髪入れずに一斉射。
空気を裂くような音とともに、針の雨が標的へと降り注ぐ。
加減は――しなかった。
相手は大人で、しかも先生だ。これくらいはどうにかなるだろうと踏んだ。
結果、案外その通りだった。
着弾寸前、視界の奥で赤い光が瞬き、熱気がふわりと押し寄せる。
次の瞬間、立ちはだかった火魔術の壁がすべての水弾を蒸発させ、白い蒸気がもくもくと立ち上った。
蒸気の向こうから、熱を帯びた空気が押し寄せてきた。
――来る。
視界を遮る白煙の中、朱色の光が膨らみ、唸りを上げながら飛び出してくる。
拳ほどの大きさの火球だが、放たれた瞬間から肌がひりつく。
私は即座に掌を突き出し、水の膜を泡状に展開。
ぽん、と軽い音を立てて火球を包み込み、そのまま消滅させた。
泡の中で火が弾け、煙をひと筋吐き出してしぼむ。
……火魔術かぁ。
威力そのものはこっちの水弾よりも重い。おまけに、私の魔法は熱に弱い分、蒸発されやすい。
これはちょっと面倒だ。
だからといって引く気はない。
むしろ、今のうちに畳みかけるべきだと直感が告げている。
質量を増せば――その分、火魔術の火力を上げなければ蒸発しきれない。
ならば、先生の魔力の限界を試してみようじゃないか。
片手を高く掲げ、魔力を渦のように集める。
水流が地面から勢いよく巻き上がり、膨れあがっていく。
重みを帯びたそれは、先ほどまでの軽やかな弾丸とはまるで違う――小川が一瞬で洪水に変わるかのような質量感。
実力差があっても、相性的には水魔術のほうが有利と言える。
火を打ち消し、流れを制し、相手の動きを奪うことができるのだから。
……試してみることは全部試す。
霧で視界を奪ったときのように、当たりさえすればこちらが優位に立てる。
渦巻く水塊を両手で押し出すと、まるで巨大な槌のように先生へ襲いかかる。
水面が空気を裂く音と共に、一気に波を叩きつける。
質量を増した水が地を震わせ、周りからどよめきが上がる。
だが――先生は微動だにしなかった。
その足元から炎が渦を巻き、瞬く間に壁となって立ち上がる。
まるで炎の城壁だ。
轟音と共に、波と炎がぶつかり合い、あたりに蒸気が爆ぜる。
通常の火球とは比べものにならない高温。
炎が水を削り、押し返し、蒸気へと変えていく。
鼻腔をつく熱風に思わず目を細めた。
……これも通らないのか。
大きな波を、自分の前にいくつも生成する。
それらは連続して押し寄せ、まるで小さな津波の群れだ。
先生もまた、すべてを消し飛ばす算段なのだろう。
――なら、これを賭けに利用してみるとしよう。
波はあっさりと蒸発し、水蒸気が漂いはじめる。
だがその白い靄は、ほんのわずかに霧のような厚みを帯び、視界を曇らせていた。
私はその波の影に隠れるように、地面を蹴って一気に距離を詰める。
遠距離からの魔術だけが手札だと思ったら大間違いだ。
波を消し去ったことで目的を果たした火の壁――もしもそれを自ら引っ込めようものなら、その一瞬が隙になる。
……どうか、慢心してくれ。
一撃――確かに入った。
その瞬間、場に響いたのは、終わりを告げる短い合図だった。
もっとやり足りない。
だが先生は、満面の笑みを浮かべて私を見た。
「戦況を把握し、それを生かした戦い方……すばらしい」
高い声が誇らしげに響く。
一撃を入れただけだが、褒められるのはやはり気分がいい。
胸の奥に小さな誇らしさが灯る――しかし同時に、かすかな虚しさもあった。
私は耳が長い。その一点だけで、少し学校から孤立している。
輪の外にいるような疎外感が、常に背中に張り付いて離れない。
だから、拍手が聞こえたときは少し驚いた。
リアクションは薄いが、心優しい子たちが何人か手を叩いてくれていたのだ。
人間主体のこの社会において、人と違うというのは――ときに、ただそこに存在するだけで壁を作ってしまう。
先祖にエルフがいただけで、両親はともに人間なんだから――別にいいじゃないかと、自分では思う。
けれど、客観的に私を見る人たちにとっては、また違う話なのだろう。耳の形ひとつで、勝手に「人間ではない」と区切られてしまうのだから。
その後もしばらく実戦は続いた。
珍しい光魔術を使う者もいたが、目を奪われるほどの存在はほとんどいない。淡々と時間は流れていった。
やがて、授業の終わりを告げるチャイムが高く鳴り響く。
私たちは先生に一礼して、次の授業に向けて急いでホバーボードに飛び乗った。
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