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2話

 次の授業は自習だった。

 自習といっても、ただ好き勝手に過ごすだけではない。学校側としては「自主性の育成」とか「個々の探究心を尊重」などといった耳障りのいい建前を掲げているが、要は学生の判断に委ねられている時間だ。大きく分ければ、魔術理論か魔術実践の二つの学び方があり、講義室で理論を掘り下げてもいいし、訓練場で魔術を磨くのもいい。それどころか、自分の学年より上級生の授業を傍聴することもできるし、私のように図書室へこもる者もいる。


 もちろん――堂々とサボることもできる。校則のグレーゾーンを縫うように、街へ繰り出して遊びに行く者だって少なくない。魔術の天賦を先天的に持てる者はそれだけで恵まれ、将来の就職活動に関しても一目置かれる存在となるので、努力せずとも将来は安泰である。ただ、そんな自分の才能に甘えるだけのやつらと違って、私は、今日は静けさを選んだ。


 低学年の教室が並ぶ階層は、相変わらず騒がしい。魔術の詠唱練習を競い合う声、魔力制御に失敗して小爆発を起こしたらしい騒ぎ、そしてそれを叱る教師の声――音の洪水だ。私はその廊下を、できるだけ足早に通り抜ける。スカートの裾が揺れ、靴音が床に軽く跳ね返る。


 幼い時期はやはり魔術を遊びとして使われることが多く、魔力障壁やアンチ魔術の素材で作られた教室であっても建物自体に対するダメージを抑えるだけで、魔術でやけどしたり、傷つけられたりというのは日常茶飯事であるが、まだ精神が幼いこいつらを生徒に持つ教師には同情してしまいます。


 階段の前までたどり着くと、そこから上階へ向かう。段を上るたびに、騒音は少しずつ遠ざかり、足音と自分の呼吸だけが耳に残る。年齢が上がれば、自然と声のトーンも落ち着くのだろう。四階あたりからは、廊下を歩く生徒の足取りさえゆるやかだ。


 五階に上がり、廊下の端へ向かう。突き当たりを曲がった先にあるのが、目的の図書室だ。正面の大きな引き戸には磨りガラスがはめ込まれ、木枠の古びた質感がこの学校の他の場所と比べて異質な存在感を放っている。


 それにしてはこの学校は広すぎる。広いといっても無駄に縦長く、エレベーターがないととてもじゃないが、屋上まで上るとなると五分くらいはかかるじゃないだろうか。エレベーターの数は多いが、便利さを求めてエレベーターはずっと満員で常に圧迫感を強いられることとなる。便利さを求めるあまりにかえって不快感を味わうことになるのはどこか本末転倒で、気づけばエレベーター乗り場から避けるように階段を利用することが増えた。


 扉を開けた瞬間、空気が変わる。外の温度や匂いとは違う、わずかに乾いた紙と木の香りが鼻をくすぐった。

 図書室には、予想通り人影がない。唯一いるのは司書――といっても、貸し出しと返却を管理するだけのアンドロイドだ。艶消しの白い外装に、顔らしき部分は無表情なパネル一枚。その人工的な存在感が、この空間の古めかしさと不思議に調和している。


 現代の書籍はほぼすべてが電子化され、端末からいつでも呼び出せる。だからこそ、この場所を訪れる生徒は少ない。わざわざ足を運んで紙の本を手に取る必要など、合理的に考えれば皆無だろう。だが、ここには電子化されていない書物――古い手書きの研究記録や、消失寸前の写本、魔術史の原典などが眠っている。それらは情報としては古びていても、形ある物としての重みがある。


 そして何より、この内観だ。木製の高い本棚が壁際だけでなく通路の中央にも並び、ところどころに丸机や背の高い肘掛け椅子が配置されている。棚には分厚い背表紙の本がぎっしりと詰め込まれ、背の高いはしごが棚の端に立てかけられている。現代的な効率性から見れば、こんなものは時代遅れもいいところだ。だが、この非効率こそが私には心地よかった。


 天井から吊るされた古いランプは、すでに照明としての役割を果たしていない。ただ装飾として残され、代わりに設置された最新式の間接照明が柔らかく室内を照らしている。窓際のカーテンは厚手の布地で、引けば外の光を遮断できるが、今は半分だけ開けられ、午後の陽光が斜めに差し込んでいた。光は棚の間に細長い筋を描き、そこに舞う埃がきらきらと揺れている。


 まるで古い歴史書の挿絵から抜け出したかのような光景だ、と私は思う。

 木造の梁、磨かれすぎて艶のある床板、そして高い本棚。わざわざ現代の技術でここまで再現する必要があったのかは分からない。だが、その「無駄」こそが、この場所の価値なのだろう。ノスタルジックという言葉はこういう空間のためにある。


 今さら木造建築など、効率や機能性の観点からすれば時代遅れもいいところだ。だが、大地を踏まずに暮らすのが当たり前になったこの時代において、木の匂いと重みを感じられる空間は、むしろ贅沢品だと言える。厚みのある空気を吸い込むと、胸の奥までゆっくりと落ち着いていくような感覚がある。進化するものだけが良いわけではない――そんなことを、この部屋は静かに教えてくれる。


 私はゆっくりと通路を歩きながら、背表紙を指先でなぞっていく。革張りの感触や、紙が年を経てわずかに反った形が、やけに愛おしい。

 魔術理論――などという退屈な分野の棚は素通りだ。数式や魔力の流動モデル、呪文構文の歴史的変遷……そんなものは講義室で飽きるほど聞かされている。いま欲しいのは、もっと血の通った文字だ。魔術を武器として振るった者たちの記録。戦場を駆けた魔術師や、怪物を討った英雄の足跡。それらを綴った実戦的な教本や英雄譚の類だ。


 棚の一角に、その手の分厚い本が並んでいるのを見つける。背表紙の金箔文字はところどころ剥がれ、手に取れば重さで手首が少ししなる。紙の端は褪せ、ところどころに指で触れた跡が残っている。きっと何人もの手を渡ってきたのだろう。


 私は近くの丸机に腰を下ろし、本を開いた。紙をめくるたびに、かすかに乾いた音が響く。活字の間に挟まる細かな挿絵は、今の精密な全息映像には到底及ばないはずなのに、不思議と臨場感を伴って胸に迫ってくる。火球が放たれる瞬間や、剣を振り抜く刹那の表情――線の荒さが、むしろ想像力を掻き立てた。


 ページをめくるたびに、乾いた紙の擦れる音が静かな空間に溶けていく。物語に引き込まれていく感覚と、静けさが心を満たしていく。外の喧騒など、もうどこか遠くの出来事のようだ。


 そこには、風魔術に長けた戦士と、火魔術を極めた魔導士の壮絶な戦いが描かれていた。戦士は剣を携え、風を纏って地を蹴り上げる。その身体は軽やかに宙へ舞い、時に滑空し、時に矢のような加速で敵へ迫る。近距離戦でこそ真価を発揮する剣士らしく、魔導士を自らの土俵に引きずり込もうとする戦いぶりだ。


 しかし、相手も愚かではない。魔導士――その名の通り、魔術のみを武器とする者は、その一点を極限まで磨き上げていた。描写される火球は、ただの炎ではない。空気を歪ませ、接近する者の視界すら奪うほどの高温を帯び、地表を一瞬で黒焦げに変える威力を持つ。一発でも直撃すれば、肉も骨も残らぬだろう。しかも火と風――その相性は決して良くない。風が炎を煽り、威力を倍加させることさえある。


 それでも戦士は怯まない。次の挿絵では、彼が風の刃をまとった剣を振るい、迫り来る炎の奔流を真っ二つに切り裂いていた。剣筋に沿って空気が爆ぜ、炎が散り、赤と金の火花が夜空を彩る。距離を詰められた魔導士の表情は、わずかに焦りを帯びていた。


 ――現代において、魔術だけを極める者が大半を占める。

 考えてみれば当然だ。剣や斧のような物理武器で、現代の高性能な銃火器に抗えるはずもない。ましてや魔力銃――魔術と科学が融合した兵器の前では、肉体のみで挑むなど無謀の極みだ。


 史実かどうかはわからないが、剣で戦う描写だけを見れば、これは千年も前の出来事ではないだろうか。まだ魔力銃もなく、魔術の体系すら今ほど洗練されていなかった時代。人は己の腕と体力、そして限られた魔力を頼みに、命を懸けて戦っていたのだろう。


 結局、魔導士は剣士の速度に追いつけないまま敗北を喫した。最後の一撃は、風を裂く轟音と共に描かれている。剣先が炎を払い、そのまま魔導士の防御結界を突き破った瞬間、挿絵の中の魔導士は驚愕と諦念を同時に宿した瞳で地面に膝をついていた。


 剣士が主人公であるゆえ、勝敗など最初から分かっていたものだ。にもかかわらず、ページを追う指先は止まらず、結末を知っているはずなのに、妙に胸を締めつけられる感覚があった。戦いの描写は派手さだけでなく、汗や息遣い、刃と炎の重みまでもが伝わってくるようで、変にリアルに感じられたのだ。


 しかし――剣士が勝ったとはいえ、それは完全な勝利ではなかった。魔導士が放った数々の魔術は、戦場だけでなくその周囲にも甚大な被害をもたらしていた。燃え上がる家々、逃げ惑う人々、助けに向かった仲間すら巻き込み、命を落とした者も少なくない。挿絵の片隅には、黒く焦げた地面と、崩れた街壁が描かれており、それが戦いの代償を物語っていた。


 物語はその被害を淡々と記していたが、行間には確かな哀しみが滲んでいた。勝利の凱歌の裏で、失われたものの大きさを静かに突きつけてくる――そんな書き方だった。


 ――ふーん、これが戦争というものか。

 ページを閉じながら、そんな感想がふと胸に浮かんだ。描かれた戦士の姿には確かに憧れがあった。力強く、誰よりも速く、そして最後には勝利を掴み取る。そんな英雄譚は、幼い頃に読んだ物語の数々と同じように、胸を高鳴らせる。


 けれど、命が失われるという現実には、やはり恐怖を覚える。物語の中の黒煙や炎、泣き叫ぶ声が、なぜか紙の上だけのものに思えず、頭の奥で残響のようにこだまする。勝つ者がいれば、負ける者もいる。そしてそのどちらにも、戦いに関わる全ての者にも、等しく死の影は差し込むのだ。


 英雄は、剣を振るうたびに何を思っていたのだろう――その答えは、ページの中にはなかった。


 短いながらも、自習の時間で一冊を読み切れたことに、静かな満足感があった。もちろん、内容にも。紙の匂いと、指先に残るざらつきが、まだ余韻を伝えている。


 ――さて、訓練場に向かいますか。


 椅子を引く音が、静かな図書室に小さく響いた。物語から現実へ、心を切り替えながら、歩みを進める。

基本的には<層彩のキャンパス ~異世界転移記~>の方をメインで書いていくこととなります。更新頻度はめちゃくちゃ遅く、月に一回あった方が珍しいと思っていただければと思います。そちらの作品を片付く次第いろいろと書いていきますのでよろしくお願いします。


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