かつて日本と呼ばれていた場所
「道後温泉の数って歯科医院の数より多いらしいよ。」
「たしかに街にもいっぱいあるしね。」
列車の中で目の前の学生がそんな会話をしている。
日常の何気ない会話だ。
列車の窓からはいつもの海が見える。窓の外を眺めていると、列車が汽笛を鳴らす。
書道の半紙に垂れた一滴の墨汁のように日常の風景の中に僕のだけの非日常が滲んでいく。
ここは「愛媛」だ。
第一章 日本が愛媛になった日
いつものアラーム、いつもの布団、いつもの部屋。
いつものように起きて支度をし、玄関のドアを開ける。
外の出ると柑橘の香り、目の前に広がる段々畑。やけに懐かしいホームシックになるような気だるさが渦巻いている。
目が覚めた時、全てが愛媛になっていた。
僕が田舎から上京して来て何度目かの秋、東京が愛媛になった。いや、東京だけでは無い。日本中が愛媛になったのだ。
昨日まではビル群だった。ここは東京のはずだった。
だが、目に映るのは青い空と、丸い丘と、温かな陽差し…広がる田んぼと段々畑、太陽に照らされたオレンジ色が眩しい。
紛れもない愛媛…俺の故郷だ。
ニュースキャスターは言う。
「本日も、全国的に温暖な気候です。」
天気予報、テレビ画面に映るのは愛媛と書かれた日本地図だったものと愛媛の天気だけ。
「なんだよ、これ…」
いつもと変わらない日常の中にボソッと呟いた
いつもにはなかった一言だけが6畳の小さな部屋に残った。
第二章 疑心
今はとにかく情報が欲しい。僕はスマートフォンに繋がれた充電コードを無造作に引きちぎり、インターネットを開いた。しかし、なんと調べたらいいのか。
日本 愛媛になった
日本 どうなった
どれだけ検索しても見当たらないのだ。どこにも見つからない、日本という地名が。
ここは愛媛であって愛媛ではない。しかも地理自体は日本なわけだ。
調べているうちにあるひとつのことがわかった。
日本が愛媛に変わったのではない。最初から愛媛は愛媛だったのだ。
しかし、47の都道府県に分かれていたあの日本という国が僕の記憶には確かにあった。
それははっきりとしている。僕の中で昨日まではここは日本だったのだから。
とりあえず外に出よう。
外に出てみると案の定僕が知っている東京ではない。
田んぼやみかん畑が広がり、まさしく田舎という文字がぴったりな風景が広がっている。
故郷の愛媛にそっくりだった。そっくりと言うだけで僕の知っている愛媛とは違う。知らない家、知らない道…しかしやはりどこか懐かさを感じる。暖かく柔らかで、まるでぬるま湯のようだった。気分が悪い。
しばらく歩いていると駅があった。BR東日本と書かれたそこは故郷ではよくあったコンクリートに青いベンチと少しばかりの屋根があるだけの駅とは言えない程の小さな無人駅だった。
しばらく待っていると遠くから蒸気機関車が白い煙を吐きながら走ってきた。
「坊ちゃん列車?」
それは愛媛の街中を走っていた路面電車そのものであった。
「BRって坊ちゃん列車のことか。」
第三章 窓の景色と記憶の窓
懐かしさすら感じるそれに乗ると中には人がいた。小さなワンマン列車の内装は高校を電車で通っていた僕からすれば何百回とみた田舎の電車そのものだった。中には数人の乗客がおりボックス席に座っている高校生くらいの男子の正面に座った。
「あの、すみません。ここって愛媛ですよね?」
ぽかんとした学生は不審者を見るかのように僕の頭から膝あたりまでを一通りサッとかんさつしたあとゆっくりと頷いた。
他にも色々聞きたかったが、完全にヤバいやつと思われただろう。
「僕ここなんで!」
その男子はそそくさと降りていってしまった。ふとあたりを見渡すと僕以外の乗客は既に誰もいなかった。
しばらく窓の外を見ながら電車に揺られていた。
「地元に帰らんくなって何年やろ?」
まるで高校時代に戻ったようなひと時の暖かさの中で漏れだした独り言に嫌悪感を覚えた。高校どこだっけ。
第四章 終わりと始まりの終点
「まもなく終点松山です。この列車は車庫に入る回送列車となります。引き続きのご乗車にはなれません。」
列車が止まる。ここが終点らしい。
松山といえば愛媛県の県庁所在地だ。
そういえば道中各駅停車だったが、あまり知らない地名ばかりだった。
降りてみるとそこは僕の知らない松山だった。
しかし、何故か知っている?いや知らない。
そんなことを考えていると男性が話しかけてきた。
「こんにちは、永野さん。私は中村と申します。
こんな場所まではるばるお越しいただきありがとうございます。移動しながらご説明致しますね。車を用意してますので、早速ですが行きましょうか!」
すらっとした男だった。唖然とした。
男は僕のことを待っていたというのだ。何となくで来たこの駅で?行くってどこに?
知らない場所で1人。色んな感情でいっぱいになった精神の器が、次々に入ってくる凝縮されたような疑問や不安のようなもので既に溢れていた。
それでもこの男について行った。行くべきだと思ったから。
この夢が目覚めると信じて。いやこのままでもいいのかもしれない。
車に乗り込むと中村と名乗る男は話し出した。
「愛媛ではミカンの皮などで養殖をしたりしてまして、
知ってますか?」
「ブリとか鯛とかですよね?」
「そうそう。それの新しいのをはじめてたんです…
。けんみんって言うんですけどね。
まあそれはいいとして、日本ではなにかしてたんですか?」
県民の養殖?日本…?今この男は本当に何を言っているんだ?
中村さんは僕の驚く顔を一瞥し、話を続ける。
「やはり日本を知っていますよね。私はあなたを回収しに来たんです。」
「回収?」
「そもそも日本という国は存在しません。
Eternal Harmony Integrates Mankind Entirely.(永遠の調和が、人類すべてを統合する。)をスローガンに掲げた統一国家。
その頭文字を取ってEHIME.なんです。」
「中村さん、あなたは何を言っているんだ?」
第五章 世界統一
「まだ分かりませんか?この世界は世界統一政府、世界には国が1つしか存在しないのです。」
ほんとうに何を言っているのか分からなかった。
「じゃあ日本は?他の国だって、どう説明するんですか?」
「20XX年世界は戦争によって人口の半分が消滅しました。その悲劇を二度と起こさないように全世界が協定を結び、ひとつの国家として融合し、誰も争わない。誰も叫ばない。誰もが幸せに暮らせる国ができました。それがEHIMEです。
しかし、戦いを求める声も少なからずありました。
反政府勢力はある列島を占拠し、独自の国を作りました。それが日本です。」
聞きたいことは沢山あったが、パンパンに詰まった引き出しから物を取るのは難しいことだった。言葉に詰まっていると中村さんは続けた。
「しかし、大きな戦いの後で世界は戦いを好まなかった。このまま新たに戦いが起きてしまうことを恐れた政府はある案を考え出します。」
「けんみん養殖…」
「そう。正しくは【日本圏民・系統的人間愛媛人増殖育成計画】といいます。」
「そんなのできるはずがない。」
「母体を確保し、みかんジュレ循環槽内で発育、刷り込みを行い養殖を開始、元いた日本人にも教育・洗脳を行い、5年でほぼ全ての日本人を愛媛国民に変えることができました。しかし、脳の異常や突然変異などでありもしない日本ですごした記憶を持って生まれてくる子供がごくたまにできるようになったのです。」
「それってまさか…」
「それがあなたです。私の仕事はそんな人間を回収すること。」
「僕は一体これからどうなるんですか?」
「…」
??? ???????
数年後愛媛の中の誰かの日記にて
XXXX年X月X日
私は愛媛にいる。愛媛とは場所では無い。見えもしないし、匂いもしない。ただそこに感じる。概念なのかもしれない。それは私にも他の誰にも分からない。
ただ愛媛に還らなければ。
終わり???
この物語はフィクションであり、実在の人物や団体、場所は一切関係がございません。