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聖女ネモフィラの復讐

作者: 新井福

お読みいただきありがとうございます。

 私ネモフィラは、今日死ねと言われました。

 いえいえ、そのまま言われたのではありません。ただ国王陛下のお願いを叶えたら、私が死んでしまうという意味です。


 私の力は、怪我人の傷をそっくり私に移すこと。つまり私を身代わりにすると同義なのです。


「そなたの力で、ハーヴェイを助けて欲しい」


 村にある教会で細々と暮らしてきた私を呼びつけて、国王陛下はそう言いました。ちなみにハーヴェイとは王太子殿下のことです。

 それにしても、私の力は隠されていた筈なのに誰が言いつけたのでしょう。……いいえ、一人しかいませんでしたね。


「発言をお許し頂けますか?」

「ああ、許そう」


 私の言葉に寛大に頷いた国王陛下に、私は問います。


「私の力を、どこまでご存知でしょうか?」


 国王陛下は、少しだけ目を伏せました。


「全部だ」


 簡潔な言葉に、私は息が止まります。

 唇が震えました。私が、王太子殿下を治療して死ぬこともご存知だと言うことなら。それを承知の上で、私に頼んだということは。

 既に私に、拒否権などないのでございましょう。


 国王陛下は、吹けば飛ぶような存在の村娘如きの命で、宝物のように可愛がった王太子殿下が助かるなら、それでいいと判断したのです。


 一つ息を吐いて、宙を見つめます。真っ白い天井には一片の染みもなく、教会とは段違いです。


 ぼんやり、私を可愛がってくれた院長先生の姿を思いました。

 しわがれた手で、よく私の髪をすいてくれた彼女。私を慈しみ愛してくれた、とてもとても優しい方。去年の冬に、病気で死んでしまった方。

 きっと、私の力を密告したのは、新しい院長でしょう。下卑た笑いを浮かべた、とてもとても嫌な人でした。私の力を密告して、一体金貨を何枚貰ったのでしょうか。

 ――ああ、新しい院長の懐を温めてしまうくらいなら、院長先生の命を繋ぐ為に、この力を使いたかった。

 

 後悔しても、もう遅いですね。

 院長先生が、力を使おうとした私を留めるように握ってくれた右手を、強く強く握りしめ、私はお辞儀をしました。

 側で偉そうな人たちが不快そうに鼻を鳴らす音を立てましたが、これがお貴族様の礼儀なんて知らない村娘の精一杯です。どうぞご容赦ください。


「分かりました。この力、全部王太子殿下の為に使わせていただきます」

「感謝する。……すまない」


 濃い疲労が乗った顔の国王陛下は、私の顔を上げるよう命じられると、一つ尋ねてきました。


「そなたの願いを、なんでも叶えよう。なにか望みはあるか?」


 その言葉に、うーん、と私は考え込みます。教養がない私は考えるのが遅いです。たっぷり、考えて、ようやく思いつきました。


「三つあります。叶えていただけますか?」

「内容にもよるが、そなたはハーヴェイを救えば英雄となる。大抵のことは叶えてみせよう。申してみろ」


 私は、自分の身を奮い立たせるように、コホンと一つ咳払いをしました。


「では、一つ目に、私の住んでいた教会に、毎月食べ物や服を送ってください。子供たちが満足に暮らせる量を、お願いします。」

「現物支給ということか? 金貨とかではなく?」

「お金は、偉い人たちが私腹を肥やす為に使うでしょう。だからそれでは駄目なのです。食べ物などでお願いします。

 ……それにですね、大量の食べ物などを届けるには、人手が必要ですよね? 届けに行った人たちが、幼い子たちの遊び相手になってくれたら、という思惑もあるんです」


 私の言葉に、国王陛下は満足そうに頷きました。


「分かった。食べ物などの他に、子供たちの様子を確認するも付け足しておこう」

「ありがとうございます」


 国王陛下の隣にいつの間にかいた人が、紙に文字を書き留めています。あれが、『げんちをとった』証拠になるものなのでしょう。


「して二つ目はなんだ」

「私の力を、王太子殿下に言わないで欲しいのです。ただ癒しの力がある、とだけお伝え下さい」

「分かった、約束しよう。この場にいる者にも箝口令を敷いておく」


 私はゆっくり頷きました。

 最後の三つ目です。


「それから、教会の裏にある草原に、お墓を立てて欲しいのです」


 草が私のくるぶしまで伸びたそこには、院長が埋められています。お墓を作るお金はなくて、ずっと作ってあげたいと思っていたのです。


「二つ作ってください。寄り添い合うように、作って欲しいのです」

「そなたがハーヴェイを救った暁には、必ず、作らせよう」


 国王陛下は、深くは聞かず、代わりにしっかりと約束してくださいました。


 こうして私の、緩やかなる自殺は始まったのです。


◇◇◇


 次の日。ヴェールを頭からすっぽり被った私は、大きな寝室で眠る王太子殿下と対面しました。

 初めて出会った王太子殿下は、元々は美しい顔をしていたのでしょうが、今は痣のような赤黒いモノで覆われています。時折苦しそうな咳の音も響きます。


「この病気がなにかは、私たちにも分からないのよ」


 王太子殿下にご飯をお運びしたり、体を拭く役割をしていると言うメイドさんが、そう教えてくれました。

 感染する病ではない、という医師の見立てだそうですが、それでも痣に覆われた姿は少し恐ろしく、他のメイドさんは皆逃げ出してしまったようです。

 私もまた、体を震わせました。これが、私の体に移るのかと。


 メイドさんと一言二言話していると、ゆっくりと王太子殿下の瞼が震えました。金色のまつ毛が、ふるりと上がります。

 現れた王太子殿下の赤い双眼は、砂糖で煮詰めたベリーのように真っ赤な艶を放っています。カーテンが閉じられた薄暗い室内で、王太子殿下の瞳だけが発光しているように私は思いました。


「君は……?」


 咳の為か少ししわがれた、しかし優しい声が耳朶を打ちます。

 私はメイドさんの視線を受けながら、お辞儀をしました。


「はじめまして、王太子殿下。貴方の病を癒しにきました」


 王太子殿下の目が見開かれました。


「僕の病を……?」


 あら、と私は思いました。王太子殿下の瞳には、驚きこそあれど、嬉しさという感情は見受けられないのです。


「王太子殿下、どうかなさいましたか?」

「いや。僕の為に、どうもありがとう」


 すぐにニコ、と笑った王太子殿下からは真意が読み取れません。

 考えることは苦手です。私は思考を止め、了解をとってから王太子殿下の手を握りました。


 淡い光が、ポポポと室内を満たします。

 この光景は久しぶりでした。

 昔のことです。生まれてすぐ捨てられたであろう赤子が、教会の前に捨てられている日がありました。降りしきる雨に、籠の中で布に包まれながら打たれていた赤子は、見つけた時には酷く衰弱し熱も出していました。

 院長先生は必死に手を尽くしながらも、その瞳には絶えず諦念の色が乗っていました。忙しなく動いていたのに、ふと動きを止めては赤子に謝罪を繰り返していました。

 私は院長先生の補助や子供たちのお世話をしながら、その姿を歯痒く見守ることしかできませんでした。

 

 どうして。どうしてこんなにも優しい人が、赤子を捨てた親のせいで心を悩まさなければいけないのでしょう。

 そうポツリと言葉を漏らせば、院長先生は私を抱きしめました。


「駄目よ、ネモフィラ。そんなことを考えてしまっては。どうしてお腹を痛めて産んだ子を、捨てたいと思う親がいるでしょう。

 この子を包んでいた布は、つぎはぎだらけだったわ。貧しさが、親子を病ませてしまったのよ。だからこの子の親を恨んではいけないわ」

「……はい、ごめんなさい」


 院長先生に謝罪をしてから、苦しむ赤子の頭を撫でました。そして院長先生が言っていた言葉を思い出しました。この子は、お腹を空かせている様子はないと。

 それはきっと、捨てられる直前になにか食べ物を貰ったからなのでしょう。

 院長先生の言った通りです。悪いのは親ではありませんでした。


 ――この国は、とても豊かだそうです。王都はとてもきらびやかで、誰もが笑って暮らしているのだそうです。

 ですが、王都から離れれば離れる程に、貧しさは増していきます。誰も救ってくれる人たちがいないからです。

 その貧しさが、こんなにも残酷なことを仕出かしたのでしょう。


「……この子を、救えないのでしょうか」

「かなり厳しいわ。大人なら耐えられるようなモノでも、赤子にとっては命取りなの」


 ちいちゃな手に指を近づければ、強い力で握られました。

 愛おしさが込み上げます。

 私は祈りました。どうか、この子が苦しみませんようにと。


 刹那、蝋燭一本だけの光しかなかった部屋に、光が宿りました。ハッと辺りを見渡せば、温かな色の光の粒が舞っています。

 院長先生も困惑しているようでした。


「これは、一体……」


 キョロキョロと首を振りながら辺りを見ていると、ふっと光が瞬いて消えました。

 どういうことだったのでしょう。首を傾げながら赤子に目を落とすと、赤子は僅かに笑っていました。

 手を当てれば、先程までの熱さはなく元気を取り戻したようにキャッキャと声を上げています。

 院長先生と顔を見合わせ、どういうことかと二人で揃って首を傾げました。


 答え合わせは、翌日の朝でした。


「熱ね。暫く体を休めれば治るわ」


 ベッドの申し子となった私にミルク粥を持ってきてくれた院長先生が、私の額に手を当てながらそう言いました。

 真剣な顔つきで、いつもより眉間のシワが多い院長先生は、


「ネモフィラ」


 と私の名を呼びました。


「なんですか、院長先生」


 しわしわで優しい手が、私の手をすくって握ります。


「貴女には、恐らくだけど人を癒す力があるわ。だけど、決してこの力を使っては駄目」

「何故ですか?」


 ブルーグレーの瞳が、ひたと私を見据えます。


「その力の代償は、ネモフィラ自身だからよ。癒やした分、その傷が貴女に移るの」


 十三歳の私は、もっと分からなくなってしまいました。そんな私に、院長先生は話を続けます。


「そうね……例えば指がなくなった人を貴女が癒やしたとしましょう。癒やしたら、その人に指が生える代わりに、貴女が指を失うの」


 私は息を呑みました。

 ようやく気づいたのです。今朝からの体の不調は、赤子の病を私が引き受けたからだと。


「ネモフィラ、決してこの力を使ってはいけないわ。この秘密は、私たち二人だけのものよ。分かったわね?」


 私は顔を青ざめさせながらも、こくりと縦に首を振ったのです。



 そうして私と院長先生の間で交わされた秘密は、院長先生が死んでしまった冬の日に、新しい院長によって暴かれました。

 院長先生の部屋に金目のモノはないかと荒らした時に、私の力について言及された、院長先生の日記を見つけたのだそうです。

 私をどこに売り飛ばそうかと、院長は鼻歌を歌っていました。そして、私は王太子殿下に売られたのです。


 王太子殿下の周りに浮かぶ光の粒を数えながら、思い出に想いを馳せていれば、王太子殿下の顔色が少し良くなりました。

 そこで私は、治療の手を止めます。


「今日はここで限界です。どうでしょうか?」

「あ、ああ。大分良くなった気がするよ」


 私に礼を言ってから、また眠りについた王太子殿下を、私は冷たい目で見下ろしました。

 メイドさんに呼ばれて、部屋の外に出ます。

 扉が閉じる瞬間、私はまた来ますと小さく呼びかけました。

 その言葉に返答はありません。


 王太子殿下の代わりに喉がしわがれた私の声の変化に、全く気づいていないようです。

 彼がもし気づいてくれたなら、私は、そうですね、いわゆる『復讐』というモノを実行するのは止めようと思い直したでしょう。

 ですが気づきませんでしたね。それならば、どうぞ最後まで気づかないでください。

 

 失望でチリリと痛む胸を押さえながら、私は部屋を後にしました。


◇◇◇


 私の自殺は、日々ゆっくりと進んでいきます。


 私は危険性がないと判断されたのか、三度目からはメイドさんはいません。お仕事に奔走なさっているようです。


 日に日に体調が良くなっていく王太子殿下は、ベッドで体を起こしながら、私と話をしたいと強請ることが多くなりました。


「ねえ、君の名前はなに?」

「王太子殿下にお教え出来る名前ではございません」

「……そっかあ……」


 暗に拒絶され残念そうに肩を落とす王太子殿下に、私は礼をします。


「次で、治療は終わります。お疲れ様でした」

「うん、今までありがとう」


 平坦な声で感謝を告げる王太子殿下に一抹の怒りを感じながら、私は足早にその場を後にしました。

 熱で意識は朦朧とし、体は重く、もう体はボロボロで痣が浮かんでいて。ヴェールで隠しているから王太子殿下は気づいてないと思いますが、もう私は限界だったのです。


 王城の私に与えられた一室で、布団に潜りながら私は手を組みます。

 私は明日、院長先生の教えを無に返すのです。

 そしてあの少しだけ愚かであろう、だけどきっととびきり優しい心根の青年に、私は明日酷いことするのです。


 涙がポロリと目から溢れ、顔の凹凸をなぞるように滑りシーツに吸い込まれていきます。

 一度溢れたら止め処なく、私は一晩中、小さく体を丸めて泣いてしまいました。

 教会で暮らしていた時より広い部屋に、私の声が吸い込まれていきます。

 ひいいん、と私は頭が痛くなって、涙が出なくなっても泣き続けました。

 


 雪がしんしんと降り積もった冬の日。

 寝込む院長先生はもう無理だと、今晩が峠だと確信した夜がありました。

 彼女の呼吸一つにまで耳を澄ませたあの夜の次に、今日の夜は、とてもとても長いものでした。


 朝。

 重い瞼を上げました。

 光が差し込み、私の肌に浮かんだ痣を照らします。

 無理やり食べ物を胃に収めてから、私はヴェールを被りました。


 そして、王太子殿下の所へと向かいます。

 長い廊下を歩きながら、白い雲がもったりと乗った青い空を窓越しに見ます。

 冬の寒さは、灰になって飛んでいったように何処にもありません。 

 ですがあったのです。いいえ、今も冬の中にいる人たちがいるのです。


「やりきらなければ」


 強い決意を滲ませて、私は慣れた手つきで王太子殿下の部屋の扉を、痣が浮かんだ指で叩きました。


◇◇◇

 

 ヴェールを被りながら、王太子殿下の手を握ります。ヴェールの中に入れた手は、痣など何処にも見えず王太子殿下が快方に向かっているのが分かりました。

 代わりに痣だらけになった手で、王太子殿下の手を握ります。


「では、最後の治療をします」

「うん。よろしく頼むよ」


 もう見慣れた光が舞います。

 

 滞りなく、私に移っていきます。小さく、私は咳き込みました。


「……聖女様?」


 名前を教えない私を『聖女様』と呼ぶ彼は、違和感に気づいたのか私の肩を揺らします。


 私は顔を上げました。そのまま、拳を握りしめます。

 お腹に力を入れ、思いっきり王太子殿下の頬を殴りました。

 もう力なんて残っていなかったせいか、思った様な力は出ません。殴った拍子にヴェールが外れ見えた王太子殿下は、頬を押さえながらこちらを見ていました。

 震わせた指で、私を指差します。


「その、痣は……」

「病が、なんの代償もなく治ると思うなんて、本っ当に頭に花が咲いたような坊っちゃんだなぁ!?」

「……っ」


 私の口調に、彼はビクリと肩を揺らしました。

 この荒れた口調は、私が孤児で路地裏で暮らしていた頃のものです。院長先生に救ってもらう前の、汚い私のモノです。


「まあ、そんな坊っちゃんだから、いつまで経っても国は貧しいんだろうけどな」


 私は王太子殿下のシャツの襟首を掴みました。至近距離で、赤い瞳を見つめます。


「いいか、よく聞け。私の名はネモフィラだ! あんたたちが気にもかけなかった貧しい地域で、それでも美しい心を損なわなかった人が付けてくれた名前だ!」


 空に浸した美しい青色のネモフィラを見て、私の手を引きながら院長先生が付けてくれたのです。名前を貰った私の嬉しさは、どれだけ言葉を学んでも表すことができない程。


「そんな優しい人が、あんたたちのせいで死んだんだ! 薬が買える程に富んでいれば、温かいご飯が食べれたならば治るような、そんな病気に殺されたんだ!!」


 その年の冬は寒くて、食料の備蓄が不十分でした。

 だから病に倒れた院長先生は、ご飯をちゃんと食べてくださいという私の言葉に首を縦に振ってはくれず、自分の食べる分を子供たちにあげました。

 そうして、院長先生の体には骨が浮き出て、死んでしまいました。


 貴方たちが、少しでもどうにかしてくれたら。

 薬を、平民でも使える程に普及させてくれたら。

 貴方たちが捨てた食べ物を、私たちに分けてくれたら。


「どうして死ななければならなかった! あんたたちが殺したんだ! あの人だけじゃない、沢山の人間が、あんたたちのせいで殺された!」


 熱いものが込み上げて、私の瞳から堪えきれなかった涙が一粒ポタリと溢れました。

 心が痛くて苦しくて、頭が沸騰しそうに熱いです。


「あ、はは。あんたがあんなにも苦しんでいたから、どんなに苦しい病なのかと思ったら……。怒鳴る位は出来るじゃないかよ。院長先生は最後、言葉を話す事すら出来ず、死んでいったのに!!」

 

 瞬きをすることすら苦しいように、息をすることすら疎うように、静かに息を引き取った院長先生。

 大好きだった。皆でもっと、一緒に暮らしたかった。


「……聖女様」

「牢にブチ込んで処刑でもすんのか? してみろよ。どうせもう、死ぬような命なんだ」


 痛ましそうに眉を寄せ、王太子殿下は首を横に振りました。

 大きな声を出したせいか、頭がクラクラします。

 私はパタリとベッドの上に倒れ込みました。院長先生と一緒に寝たベッドとは違って、柔らかくて滑らかなベッドに体が沈みます。

 私は、もう目を覚ますことはないのでしょう。

 

 ――次。私にもしも、次があるなら。


「誰も、病むことのない、幸せな、世界に……」


 そこでもう一度、また貴女に会えたら。私嬉しくて、きっと涙が止まらなくなってしまいます。

 院長先生。また私の頬を撫で、髪をすいて、目尻にキスをしてくれますか?


 意識が泥濘に沈んでいきます。ふわふわと、落ちていきました――


◇◇◇


 誰かに頭を撫でられています。

 貴女がしてくれた、優しい撫で方。瞳を閉じながら、私の目からポロポロ出てきました。


「院長、先生……」

「ごめんね、僕は院長先生じゃなくてハーヴェイだよ」

「……!」


 目を開けました。ガバリと体を起こします。

 顔を横に向ければ、王太子殿下が私の隣にいます。


「なんで……?」


「僕はね」


 私の声を遮るように、王太子殿下が言葉を紡ぎ出しました。


「全てにおいて、優秀なんだ。優秀すぎるくらい」

「はあ……?」

「だけど、なんでも出来るせいか野心はなかった。立太子されたものの、本当は、野心家な弟に譲ってもいいと思っていた程に」


 黙って聞いていれば、王太子殿下が私の肌をなぞりました。くすぐったくて身動ぎすれば、逃げることを拒むように腰を抱かれます。


「弟に"呪い"をかけられて死にそうな時も、それならそれで良かったんだ」

「呪い」

 

 私はハッと気づきました。王太子殿下がかかった病を、メイドさんは「この病気がなにかは、私たちも分からないのよ」と言っていました。

 病ではなく呪いだとしたら、辻褄が合います。


「けどね。君に言われて思い直したよ。弟は野心はあっても、能力がそれに伴ってない。国を任せることは出来ない」

「それで、今弟さんは、」

「幽閉されたよ。君に移った呪いを解くことを躊躇ったら首を切ろうと思っていたけど、すぐに応じてくれたからね。王子を処刑、というのは流石に外聞が悪いんだ。ごめんね」


 ニコ、と笑いながら親指で首を切る動作をする王太子殿下に、私は顔を青くさせることしかできません。

 もしや私、とんでもなく恐ろしい人に喧嘩を売ってしまったのでは……?


「そ、そうですか。では私は何故今ここに?」

「求婚する為だよ」


 きゅうこん? 球根?


「……っ、求婚!? 誰にですか!」

「君にだよ」

「私にですか!?」


 叩かれて喜ぶ趣味でもあったのだろうか、と先程とは違う意味で顔が歪んでしまう。


「あはは、お戯れはおやめください」

「僕は真剣そのものだよ」

「王太子殿下が真剣だったとしても、ただの村娘が王太子殿下の婚約者になど、なれる筈ありません」


 私は言い募りますが、王太子殿下の笑みはついとも揺らぎません。


「大丈夫。君は今、僕を癒やしてくれた聖女様だ。父上も、もし僕がまた怪我をした時に、君がいれば助かるからと許可してくれたよ。まあ、そんなことはさせないんだけどね」


 怒涛の展開についていけません。

 頭をクラクラさせながら、私は必死に抗議します。


「そ、それに私には、王太子殿下と結婚する利点がありません」

「僕の婚約者、ひいては王妃になれば、僕の頬をいつでも打ち据えることが出来るよ」


 王太子殿下は、笑みをやめ真剣な瞳で私を見下ろしました。

 息が止まります。


「君の大切な人たちを、守れなくてすまない」

「……っ、今更言われたって!」

「うん。でも――」


 王太子殿下の手が、私の頬を撫でました。


「僕の全てを使って手を尽くす。誓うよ、もうなにからも逃げないと。だから君には、僕が道を外れないように見届けて欲しいんだ」


 不意を突かれて、また涙がせり上がりました。


「なんて、君にとったらなんの保証もない、信じるに値しない言葉だろうけどね」


 私は気づけば、王太子殿下の言葉を否定していました。


「いいえ、信じます」


『私に付いてきてくれる? 約束するわ、貴女にもうそんな顔はさせないと』

 路地裏でうずくまった私に、手を伸ばしてくれた院長先生。

 私はその時、この人が本当に私を助けてくれるかなんて分かりませんでした。

 ただ、ただ。汚くて臭くて助ける価値も見いだせないような私に、手を伸ばしてくれた。それが途方もなく嬉しかったのです。


「……私のことは、ネモフィラと呼んでください」


 冬の灰は積もって、弱い人から飲み込んでいくのです。だから、望みました。春の風が吹くことを。


「――あのねネモフィラ。君が痣だらけになっても、僕のように閉じこもるのではなく、強く強く声を荒げる姿を見て美しいと思ったんだ」


 だから、と目尻にキスを落とされました。

 私の顔が、真っ赤に染まります。


「これからよろしくね」


 笑う王太子殿下に釣られるように、私の頬にも笑みが浮かびました。

 

 春の風は、既に吹いているのかもしれません。

 だって、私の髪を優しくて柔らかいモノが、すくように通り抜けていったのですから。


ここまでお付き合いいただきありがとうございます

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只今「誰か、私の居場所を教えてください」を毎朝8時半に連載中です。是非よろしくお願いします。

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