8杯目 温度と跳躍 ②
すると佐藤さんは梱包作業を中断し、ダージリンのキャニスターが置かれた棚へと向かう。
そしていくつかの茶葉を見比べると、その中の一つから小さなキャニスターを取り出し、中身を見せてくれた。
「これは私のお店で一番人気のあるダージリンの茶葉です。今の時期だとオータムナルと言って、香りと味わいが穏やかで、喉越しがいいんですよ」
佐藤さんは満足げに微笑むと、さらに説明を続けた。
「お茶の淹れ方もとても重要です。お湯の温度や蒸らし時間で、香りや味わいが驚くほど変わります。これもまた紅茶の面白さの一つですね。せっかくですから、今から淹れ方を教えながら、これを試飲してみますか?」
佐藤さんの言葉に、和美は期待に胸を膨らませつつも、眉尻を下げて訊ねた。
「いいんですか? でも、今は作業の途中じゃ……?」
「はーい。じゃあミアが教えますよ!」
莉央が元気よく手を挙げ、茶目っ気たっぷりに笑う。
「えっ、私ですか?」
「佐藤さんは忙しそうだし、せっかくの機会だから飲んで貰ったらいいじゃん」
莉央は軽い調子でそう言いながらミアにウインクした。
予想だにしていなかった提案に、ミアは短く鳴き声を洩らす。そして遠慮気味に佐藤さんの方を一瞥する。
「勝手にそんな事、……いいんですか?」
「ええ、もちろんです。ぜひ使ってください」
そう言うと佐藤さんは、カウンターの上に茶葉と茶器の一式を用意してくれた。
普段から試飲用に用意しているのだろう。
ミアはケージの扉を押して軽やかに外に出ると、勢いよくジャンプしてカウンターに着地した。
それから流し台で前足を洗い、さっそく茶器の前で構えて、解説を始めた。
「紅茶を淹れるときは、まず茶葉の量が大切です。ティースプーン一杯が一人分の目安になります。水は水道水でもいいですが、匂いがつくことがあるので、気になるようであれば浄水器を付けた方がいいと思います。次にお湯の温度ですが、沸騰してから十数秒後のものを使うのがポイントです」
ミアは話すのと同時に、作業を進めていく。
莉央と和美は真剣な表情で耳を傾け、カウンター越しにミアが紅茶を淹れる様子を見守っていた。
「そして、茶葉をティーポットに入れてからお湯を注ぎ、すぐに蓋を被せて2分から3分ほど蒸らします。この時間は茶葉によって変わりますが、今回は2分ほど。そして蒸らすことで紅茶の風味が引き立ちます。ただし、あまり長く蒸らしすぎると渋くなってしまうので注意が必要です」
ガラス製のティーポットの中では、茶葉が優雅に舞っているのがよく見える。
「新鮮で良い茶葉を使い、正しいお湯の温度で淹れると、酸素に絡んだ茶葉が上下運動を起こします」
「ジャンピングってやつだね」
莉央がクイズに飛びつく子どものように割って入ってくる。
「はい。これによって紅茶本来の香りや旨味をたっぷり引き出してくれます」
待っている間にも、ミアは素早い手つきで、次の準備を進める。
余ったお湯をもう一つのティーポットに注ぎ、温める。そしてちょうど良い時間を迎えると、お湯を捨て、茶こしを手に取った。
「時間が経ったら茶こしを使って、温めておいたティーポットへと移し替えます。こうすることで、紅茶の濃さが均一になります。最後にティーカップに注げば完成です」
ミアはティーカップを手に取りながら、紅茶を注ぐ。
慌ただしく宙を舞った紅茶は、ティーカップに収まると、夕焼けのような透き通った琥珀色で澄んでいた。そしてミアは3人分の紅茶を注ぎ終えた。
和美は深く頷きながら、「そんなに細かいところまで気を配るのね。素晴らしいわ」と感嘆の声を上げる。
「紅茶は繊細な飲み物ですから、ちょっとした工夫で味が大きく変わるんです」
和美は目の前に置かれたティーカップを見つめる。手間暇かけられた紅茶は、輝きに満ちていた。
それからゆっくりと手に取り、淹れたての紅茶を口に含ませる。そして嬉しそうに微笑んだ。
「美味しいわ。やっぱり全然違うのね」
「ホントだ、美味しい~」
莉央は思わず声を漏らし、口元を覆うように手を当てた。満足そうに頬を緩ませながら、少し体を揺らして喜びを表現する。
「うん、確かに違う。この丁寧な淹れ方で、茶葉本来の深みが最大限に引き出されている」
一口飲んだ佐藤さんの表情にも微かな笑みが浮かんでいた。そしてミアの方をしんみりと見つめる。
「以前よりも、さらに技術が洗練されたね」
「ありがとうございます」
ミアは誇らしげに耳を傾け、静かに尻尾を揺らしていた。
和美は、ミアが淹れてくれた紅茶をあっという間に飲み終えた。口の中に広がる心地よい余韻に浸りながら、しばし時を忘れるほどだった。
「こんなに美味しい紅茶を家でも楽しめたら素敵ね」
「お口に合ったようで嬉しいです」
佐藤さんは満足そうに笑みを浮かべる。
「それじゃあ、いくつか選んでいただこうかしら」
それから和美は、佐藤さんが薦める茶葉の中からいくつか選び、購入する。
「ありがとうございました、本当に勉強になったわ。これで家でも美味しい紅茶が楽しめるわね」と、和美は満足げに言った。
「ぜひ感想を聞かせてください」と佐藤さんは優しい笑顔で応え、梱包した茶葉を丁寧に紙袋に入れて和美に手渡した。
和美は受け取った紙袋を胸に抱え、ふと視線をミアに向けた。
「また、カフェにもお邪魔しますね」
ミアは嬉しそうに応える。
「はい。お待ちしています。ぜひまたいらしてください」
ミアは嬉しそうに尻尾をふわりと揺らした。
和美は最後に扉の前で丁寧に頭を下げ、晴れやかな表情を浮かべながら店を後にした。