6杯目 閉ざされた味覚 ①
「ねえ、ミアさん。これってどういう意味ですか?」
カウンター席に座る少女・高坂鈴が声を弾ませながら、興味津々に尋ねる。その声には純朴な好奇心と期待に満ちていた。
ミアは手元の仕事を一旦止め、鈴が持っているフォーチュンティーカップを覗き込む。
艶のある白磁の内側には、粒のような茶葉がティーカップのふちに描かれているベルのようなシンボルに集まっていた。
茶葉たちの形状は簡素で不規則でありながらも、何か意図的なものを感じさせる。
ミアは落ち着いた声で、その意味を説明した。
「これは鐘ですね。鐘は知らせや警告、時には新たな目覚めや始まりを象徴します。この茶葉の形から推測すると良い知らせを告げることが多いですよ」
「ということは、良い結果ってことですか?」
「はい。そうですね」
鈴はさらに興味を掻き立てられたように、ティーカップの中を確認して破顔する。
ミアもまたそれを見て、柔和な笑みを浮かべた。
鈴は学校の帰り道で、思いがけず『rheology』に立ち寄って以来、毎週のように通い詰めていた。
家に帰りたくない鈴にとって、『rheology』でミアと話して過ごすひとときは憩いの時間となっていた。
「紅茶占い、初めて知りました」
鈴はティーカップを大事そうに両手で包み込みながら、カウンター越しにミアへ声をかけた。
「日本だとほとんどの方が知らないと思いますよ。先日、いらっしゃったお客さんが注文されたのですが、それが数ヶ月ぶりでした」
「へぇ、そうなんですね」
「もしかしたら鈴さんにも楽しんでいただけるかと思いまして、お声掛けしたんです」
「はい、楽しかったです!」
鈴は満面の笑みを浮かべ、ティーカップを何度も覗き込んだ。さっきまで不規則に思えた形が、少しずつ意味を持って浮かび上がるような気がした。
「そう言っていただけて、良かったです」
すると店内に、軽やかなドアベルの音が鳴り響き、誰かが入店してきた。
鈴が扉の方に目を向けると、そこに立っていたのは、ひと際目を引く美しい女性だった。
見た目は若く、10代後半、あるいは20代だろう。彼女の髪は輝くようなブロンドで、スラリと伸びる手足は、透き通るような白肌だった。服装はカジュアルな若者の出で立ちで、大ぶりのアクセサリーがいくつもついている。例えるならおもちゃのバービー人形のような見た目だった。
あまり『rheology』の雰囲気に馴染まない空気を纏っている。その姿はどこか異国の地から訪れた旅人のようで、一瞬、外国人かと見紛うほどだった。しかし、近づくにつれて見えてきた人相は、確かに日本人のそれだった。
彼女はゆっくりと店内に踏み入り、そして、視線が鈴を捉えた瞬間、大げさなまでの驚きの声をあげる。
「ウチにお客さんがいるなんて珍しいね」
「……失礼ですね」
ミアが穏やかな口調ながらもきっぱりとたしなめると、彼女はヘラヘラと笑って肩をすくめた。
「アハハ、ごめんごめん」
その軽い口ぶりには、まったく反省の色が見えない。むしろ、彼女の態度は店内の落ち着いた雰囲気を崩すかのような無遠慮さを感じさせた。
彼女はふらりとカウンター席に腰を下ろす。その場所は、鈴が座る席からひとつ間を空けた位置で、カウンターの1番奥の席だった。座るなり、彼女は無造作にバッグを膝の上に置き、肘をついてリラックスする。
「いつものハーブティーでよろしいですか?」
ミアな問いかけに、彼女は弾けるような明るい笑顔で頷き、「よろしく~」と答えた。
ミアは彼女の注文を受け、いつものように丁寧な作業でハーブティーを淹れ始める。優雅な花の香りが、店内に広がっていく。
彼女の立ち振る舞いを見ていると、この店には馴染みがあるらしい。注文の仕方やどこかリラックスした雰囲気が、それを物語っている。おそらく常連だろう。
鈴がカウンターの隅からちらりと彼女に視線を送ると、まるでそれを察知したかのように彼女が顔を向けた。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「ちっさいねえ。ランドセル背負ってるってことは、小学生でしょ?」
不意を突かれた鈴は、一瞬だけ戸惑ったが、すぐに小さな声で答えた。
「は、はい。5年生です」
「へぇ、ってことは11歳ってこと? うわー、一回りも違うんだ!」
彼女はわざとらしく大げさな身振りで驚いてみせる。その明るく溌剌とした態度に、鈴は気圧されそうになった。
「一回り……?」
鈴が不思議そうに聞き返すと、彼女は胸を張り、少し誇らしげに名乗った。
「私、大学5年の白城莉央。よろしく~!」
「高坂鈴、です」
鈴はぎこちない様子で、ぺこりと小さく頭を下げた。
莉央はそんな鈴の反応を見て、いたずらっぽく目を細めた。
「ねえ、鈴ちゃんって呼んでいい? 私、ちっちゃい子見ると可愛くてさ~。妹みたいで癒される!」
そう言って身を乗り出してくる莉央に、鈴は困惑しつつも、「は、はあ……」と小さく呟く。
一回り、ということは12歳上。つまり彼女は23歳ということらしい。
「あれ? 大学って4年じゃ?」
「普通はね、私は医学部だから6年」
莉央は自慢げというよりも、どこか楽しげに言った。
医学部? つまりお医者さんということか。
失礼かもしれないが、あまりお医者さんのようには見えなかった。彼女の軽い態度や溌剌とした雰囲気が、そのイメージとは大きくかけ離れていて、どうにも結びつかない。
「凄いですね」
「そんなことないよ〜」
しかし、鈴にはそんなことよりも気になることがあった。
「それよりもさっき、ウチって?」
鈴はぽつりと呟くように尋ねる。
莉央が『rheology』に入ってくるときに、言っていた言葉だ。莉央は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに「ああ」と納得したように頷いた。
「あぁ、このカフェは、私がオーナーなの」
「ええっ」!?」
鈴は思わず、驚いた声を短く口の中であげる。
あまりに想定外の事実に、声を出さずにはいられなかった。
「ほ、本当ですか?」
「ほんとほんと。オーナーって言っても、実際に店を切り盛りしてるのは全部ミアだけどね。私がやるのは、経理とか行政上の手続きとか、そういう裏方の仕事ばっかり」
莉央の口調は、そのことを何とも思っていないかのような、あっけらかんとしたものだ。
鈴はミアの方をチラリと見る。否定する様子もなく黙々とハーブティーを作っている。どうやら本当のことらしい。
よく考えれば猫が1匹で、カフェの経営ができるわけがないのだから、人間の協力者がいるのは当たり前のことではある。
しかしこんなに若くて綺麗な女性。しかも大学生だとは想像もしていなかった。
「オーナーって……そんなふうには見えないです」
鈴はぽつりと本音を漏らした。失礼かなと思いながらも、どうしてもそう言わずにはいられない。
「でしょ? よく言われるよ。それどころか、よく『絶対お客さんだと思った』とか『経営できるようなタイプに見えない』とか言われるんだから!」
莉央はそう言って大げさに笑ってみせた。
彼女のどこか飾らない、自由奔放な雰囲気に、鈴はまだ少し驚きながらも、少しずつ親近感を覚え始めていた。
「鈴ちゃんはよくウチに来るの?」
莉央が身を乗り出して訊ねてくる。
「そうですね。最近はよく来てます」
「紅茶が好きなんだ?」
「はい。そうですね」
「いつも何を飲んでるの?」
「ミアさんのおすすめを毎日聞いて……。今日はニルギリで紅茶占いも」
「美味しかった?」
「ええと、は、はい」
どうして、こんなに話しかけてくるのだろうか。鈴は戸惑いながらも、質問に応える。
オーナーだから、お客さんの声を気にしているのかな?
あまりお店の売り上げとかには興味はなさそうだけど……。
「どういう味が好きなの?」
「ええと……」
鈴は目をキョロキョロとさせながら、答えを探す。そんなことをしても、床や天井には何も書かれていない。
するとタイミングよく、ミアがカウンターの向こうから現れ、莉央の正面にティーカップを置いた。
「お待たせしました」