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焦がした卵とパンケーキ

「ただいま」

「おかえり」


 台所から、母親の声がした。


「初日からずいぶん仲の良いお友達が出来たのね」

「え?」

「楽しそうに笑いながら帰って来たじゃない」

「うるさいな」


 なんとなく照れくさかったので、怒ったふりをして階段を駆け上がった。でも、顔はニヤついていた。


「お腹空いたでしょ? お昼にするよ」


 階段の下から母親が呼んでいる。


「分かっているよ」


  怒った感じをキープした返事をする。でも、お腹はペコペコだった。


 お昼はパンケーキ。ベーコンとウィンナーとポテトサラダと添えものの野菜が付いていた。オレの母親はいつも家に居るので、食生活は充実していると思う。


「おかわり欲しかったら言ってね」

「いるいる、どんどん焼いて。超腹減りだから」

「あら、そうなの? 珍しいわね。そうだ、どうだったの学校改革は?」

「うん、クラス全員と毎日話せって」

「へー、そうなの。で、どうだった? 女の子ともちゃんと話せたの?」

「うるさいな」


 マジ、ウザい。


「ふふふ」


 母親がこっちを見ながらニヤニヤしていて、やけに嬉しそうなのが嫌だ。


「あ、いけない、ちょっと焦がしちゃった!」


 ほら、よそ見をしているから。


「もー、気をつけてよ」

「ごめん、ごめん」

「……ん? あれ?」


 オレはその時、ふと思い出した。

 何年か前に朝ごはんの卵を母親が焦がした時、さんざん怒って文句を言って、宿題の日記にまで書いたことを。しかもそれが、クラスの皆の前で読まれてしまったことを。


 雷に打たれたような衝撃が、全身を貫いた。


「あっ、あれか……!」


 オレは頭を抱えた。


「やあね、ちょっと焦がしたくらいで。大丈夫よ、私が食べるから」

「い、いや、オレ食べる……」

「あら、珍しいのね。いつも厳しいのに」


 その通りだ。

 そういえば、〈穂坂 駆〉のいじめが始まったのはある日突然だった。

あの日記の直後なら、納得がいく。


 毎朝、ちゃんとごはんを作ってくれている母親に対して、ちょっと焦がしたくらいで文句を言った上に日記にまで書いて、今まで何とも思っていなかった自分……そんな自分に〈穂坂 駆〉が腹を立てていじめるのは、当然ではないのか。


 よく、いじめられる側にも問題があるって言うけど、オレは今までそれは無いと思っていた。

 が、違った。〈穂坂 駆〉とオレの場合は、がっちりオレ自身に問題があったのではないのか……?


 何か、今まで信じていたものが足元からガラガラと崩れるような、そんな感覚に襲われた。


「どうしたの、手が止まっているよ?」

「……母さん……」

「え、何? おいしくない?」

「うーっ……」


 目から、熱いものが溢れた。


「あらやだ、どうしちゃったの?」


 今まで、学校でどんなにいじめられても、母親の前で泣くことなんて無かったのに。

 オレは、今までいじめられていたこと、日記のこと、〈穂坂 駆〉のことを母親に話した。


「まあ、そうなの」


 母親は新しいティッシュの箱を開けて、オレの前に置いた。


「過ぎた事はどうしようもないけど、問題はその穂坂くんの朝ごはんよね」


 オレのいじめられた話より、いじめていた穂坂の朝ごはんを心配する母親に感謝したい。


「テレビでもやっていたけど、最近は朝ごはんを食べない子供が多いらしくて、地域で食材を持ち寄って食べさせているところとか紹介されていたし、先生も心配してくれているのね」


 先生がそんなところまで考えての質問とは思わなかったので驚いた。大人の目線は違う。

 母親が腕を組んで何か考えていた。

 その後、しばらくオレを見つめてから、こう言った。


「穂坂くんも6年生よね? 自分で作れないかしら」

「え?」

「まあ、家庭の事情とか色々あるとは思うけど、朝ごはんを作るくらいは大丈夫じゃない? 食パンはあるわけだし、卵と何か肉類と牛乳があれば、立派な朝ごはんよ。野菜も付くといいけど」

「えー?」

「そうだ! 未知流、あなたも明日から自分で作りなさい」

「ええっ……?」


 というわけで、何故かオレも、明日から朝ごはんを自分で作ることになってしまった。

明日から、30分くらい早く起きなくちゃ。



★ ★ ★



 そして、夜。


 いつもの眠る時間になってもぜんぜん眠くない。

 今日一日の出来事で興奮しているせいだと思う。もう、何回も朝からの出来事を思い返していた。


 学年の初日に、まったく寂しい思いをしないで終わったなんて初めてだったし、1日にあんなに他人と話しをしたのも初めてだった。改めて驚いている。


 しかも、日比野くんと友達になれたみたいだし……朝、家を出た時のあの絶望的な気持ちとは、真逆な自分がここにいる。幸せ過ぎてこれは夢なんじゃないかと疑ってしまうくらい、フワフワとした気分だ。


 明日もまた、全員と話せるのかな? 何の話をしたらいい? ……いや、それより、先生の指図が無くて、オレなんかと話してくれるのかな?


 でも、全員がちゃんと話さないと、全員が帰れないって言っていたから、ちゃんと話してくれると思うけど……大丈夫かな?


 そんな、どうしようもないことばかり考えて眠れなくなってしまったので、枕元のライトを点けて今日のプリントを広げた。


 プリントを見ながら、一人一人との会話を思い出す。


 あんなに女子と話をしたのも、生まれて初めてだった。


 今までは「女子の人たち」という、何を考えているのか分からない謎な人たちという、一律に同じ様な印象だったけど、一人一人と話すと、皆それぞれ全然違っていた。


 オレなんかにも気を遣ってくれる人とか、オレ以上に恥ずかしがる人とか、面白い人、真面目な人。いろいろだった。


 そして、〈穂坂 駆〉。


 プリントの左端の破れた部分を見つめて、しみじみ思う。


 今日は最悪な日だと思ったあの時の、ただ怖かっただけの穂坂くんと、今、自分の中にある穂坂くんに対する気持ちは全く違うものだ。


 たった一言、話すだけでこんなに変わるものなのかと、他人との会話の経験値の無さに打ちひしがれる。


 明日の朝、ちゃんと朝ごはんを作って、その話をしよう。改めて心に決めた。


 あと、日比野くんに嫌われないように頑張ろうと思うんだけど、何を頑張れば良いのか分からなくて困る。困ってますます眠れない。


 明日は、早く起きなきゃいけないのに……


 なんて、悩んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまった。


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