高橋さんと謎のイケメン
クラスの女子に1対1で自己紹介するという、超難関ミッションに強制的に挑まされている現実。オレはそこから逃げ出したい気持ちを懸命にこらえるしかなかった。
「古井戸君は前、同じクラスだったことあるよね? 話したことは無いけど」
「う、うん……」
そんな情けないオレに、〈高橋 胡桃〉は明るく話しかけてくれた。
でもオレは、女子と話しをするなんていう有り得ない状況に、頭が真っ白になっていた。
「…………」
「…………」
〈高橋 胡桃〉も、困っている様で黙り込んでしまった。
しまった。
〈穂坂 駆〉を相手に、あんなにハキハキしゃべっていたのだから、きっと彼女がどんどん話しかけてくれるだろうと、他力本願だった自分を反省する。
気まずい沈黙が続く。ま、まずい。何か、何か言わなくては。えーと、えーと……
「あ」
頭をフル回転させてショート寸前まで追い込んだところ、一つ、気になっていたことを思い出した。
言おうかどうしようかしばらく悩んだけど、勇気を振り絞って、言ってみることにした。
「あ、あのぅ……」
「何?」
「あ、あの、く、胡桃って名前が、い、いいなって、お、思って……」
うわ、恥ずかしい! 言っちゃったー!
「はあ?」
スゴイ驚いた顔で、嫌そうな返事をされてしまって、瞬間、後悔する。
「あ、ごごご、ごめん! キ、キモイよね……」
「いやいや、そんなことないよ! ありがとう」
〈高橋 胡桃〉は、両手をふりながら笑ってそう言ってくれた。
あれ?
この人は、オレなんかに気を使ってくれているぞ? 〈高橋 胡桃〉は良い人なんじゃないか……?
よし、どうして『いい』と思ったのか理由を言って、ちゃんと言い訳をするんだ、オレ!
「あ、あの、その、胡桃っていう漢字が……確か、ちゅ、ちゅ、中国語で、こここ、古代ペルシャから、伝わった、き、木の実とかいう意味だって、あ、あの、前に、何かで読んだことがあって……」
「古代ペルシャ?」
オレは良かれと思って言ったはずなのに、〈高橋 胡桃〉が眉間にしわを寄せて、怪訝そうな顔をして言った。初めての女子との会話に、オレはすっかり、パニクっていた。
「こ、こ、古代ペルシャっていうと、あの、えーと、ダ、ダレイオス1世? とか、た、太陽とライオンの、あ、アレとか、あの、ゾ、ゾロアスター教、とか、ち、地下水路、とか、あの、な、何ていうか、あの時代って、その、いろいろスゴイ、お、面白いから、た、高橋さんの名前を見ると、そ、そういう古代ペルシャな、いいい、イメージだな、って、あの、いつも、お、思ってて……」
し、しまった! 〈高橋 胡桃〉の動きが止まっている! 調子に乗ってしゃべり過ぎてしまった……
これはドン引きされたに違いない……と再び後悔していると、〈高橋 胡桃〉の顔がオレの隣の方を見ていることに気がついた。
何を見ているのかと隣を見ると、オレの前の席の人と目が合った。
初めて顔を見たが、彼は、とても整った顔をしたイケメンだった。目も髪も少し色素がうすくキラキラしていて、そして彼は、何故かとても良い匂いがした。
そのイケメンが、オレをじっと見つめている。
一方、オレはパニクっていた。
何故ならこんな間近で他人と目が合ったのは、生まれて初めてなのだ。全身から変な汗が噴き出した。
何か話さなくちゃ! という、さっきまでの思い込みから、予定外の人にも頑張って話しかけてしまった。
「こ……こ、古代ペルシャ、す、好きなの……?」
イケメンはキッパリ答えた。
「いや、ぜんぜん」
会話は終了した。
他人との会話経験の少ないオレは、この場合どうしたら良いのかさっぱり分からなかったので、そのまま、ああ、イケメンって本当に存在したのかとか、どうしてイケメンだと良い匂いがするのかとか、世の中不公平だなあとか、変な汗を噴き出しながら考えていると、「ちょっと、何で見つめ合っているのよ」と、〈高橋 胡桃〉に笑われてしまった。
「えーとね、胡桃って名前は、胡桃のように堅い意志を持って、栄養も豊富で味もあって、それでいて力強く芽吹く力を持つっていう意味で付けられたんだけど、そういうぜんぜん違う意味があるなんて知らなかったよ」
〈高橋 胡桃〉は、顔を少し赤らめて、オレの隣の方をチラチラ見ながら言った。
オレはそっちを知らなかった。
「そういえば古井戸くんって、いつも本を読んでいたものね。そんなこと初めて聞いたよ」
そして、「あ、これ書かなきゃ」と言って、プリントに『胡桃の意味は中国語では』まで書いて、こっちを向いて「何だっけ?」と聞いた。
「えっ? ああ、え、えーと、古代ペルシャから伝わった木の実? ……だったと思うけど、も、もしかして違っていたらごめんなさい」
急に記憶に自信が無くなった。文章にして残されるのは、プレッシャーだ。
オレも自分のプリントに『胡桃という名前には、意志が堅くておいしくて芽が出るという意味が込められているらしい』と、書いた。
書いている途中でアラームが鳴った。
3分で会話をして、次々入れ替わりクラス全員と自己紹介とか、やる前は絶対不可能で何も話せないと思っていたけど、いざ1対1になると、皆、ちゃんとオレなんかが相手でも会話をしてくれようとするのに、驚いた。
それに、だんだん慣れてくると話すことが無ければ「ペットを何か飼っている?」とか、片方が何か質問すれば済んだので、案外困らないことが分かった。
大体、女子はオレの次のイケメンが気になって、オレとの会話なんていい加減だったから、かえってそれがオレにとってはやり易かったのかも知れない。
前にオレをいじめていた人が〈平 優雅〉以外にも何人かいたけど、先生が居るせいか、会話をしないといけないという縛りのせいか、いじめに繋がるような雰囲気には、今のところなっていない。
そして、ついに。
オレの待ち焦がれていた〈城所 由姫〉の順番がやって来た! あの、学年で1番かわいくて、オレなんかにも優しく話しかけてくれた、あの天使のような彼女だ。こればかりは、水玉さんに感謝している。
あの〈城所 由姫〉と毎日会話をする機会を強要してくれるなんて、なんて良い人なのだろう! これからの6年生の日々を、どれだけいじめられても、これだけを楽しみにして生きていけそうなくらい、喜ばしいことだ。
オレは〈城所 由姫〉の隣に座った。
たくさん人と話しすぎてすっかり麻痺していた緊張感が、また戻って来た。でも大丈夫だ、彼女は気さくに話してくれる人だから。
「えーと、城所由姫です、よろしくね」
「ふ、古井戸未知流です、よ、よろしくお願いします」
「古井戸くんは前に同じクラスになった事あるよね? 何年の時だっけ?」
「え? え、えーと、さ、3年生の時に……」
やったー! 覚えていてくれた! オレは心の中で乱舞した。
「あー、3年生か! 私の王子様がデビューした年だ! あの時から私の幸せが始まったんだよね……」
と、言ったところでオレの隣を見て動きが一瞬止まった。どうやら、隣のイケメンに気づいた様だ。アイドルが好きなんだから、そりゃイケメン好きだよね。
その後も、オレの隣をチラチラ見ながら、その男性アイドルの話を時間いっぱいしてくれた。
やっぱり何を言っているのかまったく分からなかったけど、オレはニコニコしながら話を聞いているだけでよかった、幸せな3分間だった。
「ピピピピピッ」
アラームが鳴った。
〈城所 由姫〉との会話が終わり、さっきまでの緊張感がすっかりどこかにいったオレは、脱力状態で次の席に移動した。
次もまた女子だった。
体が小さくておどおどしていて、前髪が長すぎて目が見えない「オレと同類だ」と思った彼女だ。