水玉さんのお話
「おはよう、諸君!」
おっさんは左手を耳の後ろに当てた状態でこちらに向けて、何か聞いているジェスチャーをした。
「んんー? 元気が無いぞー?」
と、おっさんらしいボケをかましていたが、教室では皆、しーんとしていた。
子供心にも、この変なおっさんが、これからのオレ達の学校生活を決定する人物だということは分かっていた。
「はい、初めまして!
私はですね、いつもこういう派手な水玉の柄のネクタイをつけているので、私のことは『水玉さん』と呼んでくれると嬉しいです。
予定としては今日とあと2回、こうしてお付き合いしていただくので、よろしくお願いします」
自称『水玉さん』は、深々とお辞儀をした。
「えー、皆さん知っていると思いますが、学校改革の先鋒校として皆さんの学校5校を選ばせて頂きました!
皆さんの様子を見て、今後全国的に展開していくかを決めていきたいと教育委員会の偉い人が言っていましたので、私としては頑張って欲しいと思っていますが、えーまあ、無理をしないで気楽に、これから1年間、今までとはちょっと違う学校生活を楽しんでもらえたらいいなと、思っています」
そう言いながら、水玉さんは両手を開いてテーブルに置いた。テーブルには、テレビ的なフリップのようなものが何枚か用意されていた。
「ハイ、じゃあ堅苦しい挨拶はそんな感じで、さっさと学校改革で何がどう変わるかを説明したいと思います」
水玉さんは手元のフリップを持ち上げた。
そこには赤地に白抜きの文字で、『クラスのみんなとまいにちはなしましょう』と悪夢のような内容が書かれていた。
1年生向けにひらがなで書かれていて、一瞬理解できないでいると、水玉さんが、その悪夢的な内容を確認してくれた。
「えー、ここに書かれている通り、学校改革の初めは、まず、クラスの全員と毎日会話をすることです。
クラスの全員と毎日1対1で会話をしてもらいます。まず、これが基本になります」
水玉さんのあっさりとした一言で、オレは地獄に突き落とされた様だった。
「ええーっ?」
驚いていたのはオレだけでは無かったようで、全員が絶叫した。
「あらかじめ先生方にお願いして、こういう各クラスの全員の名前の入ったプリントが配られていると思います。
これに、今日はどんな会話をしましたよ、という感じで内容を書き入れてもらいます。
それだけなのですが、さっきも言ったように、これが学校生活の基本になるので、毎日全員が全員と話さないとクラス全員が帰れません。ということにしました」
「えええーっ!」
皆で絶叫再び。
「これには3つの目的があります。
まず、日々の会話って侮れないのですよ。なんでも、どんなちょっとした内容でもいいので毎日会話をすることによって、相手のことが少しずつ分かってくるんです。
その人が、どういう人物で、どういう考え方をするかとか、そういうことをまずクラス全員がお互い理解する、ということが目的の1つ目です。
私が小学生だった頃は、せっかく同じクラスになったのに、クラスのほとんどと1回も話さないで1学年終わるということがほとんどだったので、あれは勿体なかったなと今でも思います。
なので、クラスの皆とお友達になってください。
そして2つ目は、いじめの標的になるのは体が小さいとか、気が弱そうとか『こいつはいじめてもいい奴』と勝手になんとなく見た目で判断されてしまうことがあるようなので、それを防止するためにもまず、始めからお互いをしっかり知って貰おうというのが2つ目の目的です。
これはですね、見た目で決めつけずにしっかりと話したら、実は親友になれる存在だったかも知れないのに、なんて勿体ないことをしていたのかと、気づいて欲しいと思うからです。
人を見た目で勝手に判断してはいけません。
そして、3つ目の目的は、全員が誰とでも話をすることができるようになること。
男子も女子も関係なく、小学校の1年生の時から毎日クラス全員と話すことによって、相手が誰でも関係なく話せるコミュニケーション能力を、そして人間関係を構築する手段を自然に身につけて貰うのが3つ目の、そして最大の目的です。
まだ小学校の1年生なら、恥ずかしいとかそんなに無いと思うので、大丈夫なのではないかと考えています。
そして、毎日会話をすることによって、相手によってアプローチの仕方や対応を考えたり、他人に対して気を使えるようになったり、そういう会話力的なものが養われると考えられます。
そして、1学年終わる頃には、クラス全員がお互いの性格をしっかり把握している状態になるわけで、クラスとしての絆も今までの比ではないでしょう。
それは私にも想像もつかない団結力だと思います。
そして、何のしがらみもない小学校1年の時からお互いをよく知ることになれば、将来的にも女性差別や男性蔑視、その他の差別などというものも無くなると思うのです。
差別というのは後天的なもので、周りの環境や偏った情報による価値観の押し付けによるものだと私は思っています。
なので、小さい頃から沢山の人たちを自分の目で見て、そして全員としっかり話すことで、周りの偏った、間違った意見に振り回されない、しっかりした自分の考えを持つことができるはずです。
そういう子供たちが大人になったら、社会全体の価値観がいろいろ良い方向に変わっていくのではないかと私は信じています。
ついでに、何のしがらみもない小さい頃からお互いを知ることによって、将来的にも小学校の同級生同士の結婚というのが自然と増えるのではないかとか、お互いを良く理解しているから離婚率も低そうだとか、おじさん的にはその辺も期待してしまいますが、まあ、そういう話しは子供たちが嫌がるので止めておきます」
「オエーッ!」
各教室で大ブーイングだ。おっさん、何言ってんだよ。
「まあ、とりあえず大人になって結婚とかすると分かると思うのですが、毎日の会話ってとても大事です。
ちょっと喧嘩をしても、そのまま会話が無いとずっと険悪なままなのだけれど、何でもいいから会話をすると何となく仲直りできたりするので、毎日会話をするのは、とても大事…ん? ああ、はいはい」
横から手が出て、何か水玉さんに指図をした。
「えー、というわけで。そろそろ9時半になりますね。
早速なのですが、これから最初の会話を始めてもらいます。初日だから自己紹介ですね。
今日はこの後11時半までの120分間に、順番に全員と話して貰います。クラスの人数によって持ち時間はまちまちだと思いますが、そこは担任の先生に任せていますので、先生の指示に従ってください。
では11時半に、また会いましょう」
テレビ画面がまた真っ暗になった。
「は…? 」
オレはガク然としていた。
まあ、百歩ゆずって水玉さんの言うことも分からなくもないとしても……水玉さんが言っているのは小学校1年生からの話だよね?
そりゃあオレだって、1年生の頃なら無邪気に何も気にしないで話せたかもしれないけど……あの、オレたち残念なことに、もう6年生なんですけど!
恥ずかしいというか、気まずいというか、どうしたらいいっていうの?
待ってよ、心の準備が全く出来ていないのに、もう始まっちゃうって、マ、マジですか……?