豊穣を司るなにか
とある豊穣の土地を自国のものにするため侵攻を命じられた少佐。
その土地で出会った「なにか」を研究する研究員たち。
豊穣を司る「なにか」がその土地に根付くまでの束の間のお話。
その娘には姉がいた。
豊かな青い髪をもつ姉は活力にあふれていて、いつも彼女の周りは暖かくてにぎやかだった。
白くて長い髭がある祖父も姉のことを穏やかな笑みを浮かべて見ていたように思う。
娘はにぎやかなところは苦手だったため遠くから姉を見ることが多かったが、娘も姉のことは大好きだった。
娘は豊かな緑の髪をもっていた。
ある日、姉と祖父と娘がいるところに隣の国の軍人がやってきた。
軍人は姉を切り、祖父を切った。
娘は軍人に捕らえられ、施設の中で過ごすこととなった。
「少佐」
振り返ると例のアレを研究している研究員の一人がこちらに走ってくるところだった。
「どうした」
「少し見ていただきたいものがあります」
わざわざ自分に報告するということは、それだけの出来事があったのだろう。
すぐに研究員と一緒に研究所に向かいながら事情を聞く。そのくらいにはこの研究員を評価していた。
「例のアレですが・・・地面に近い部分の一部だけが動いているのですが・・・」
珍しく言いよどむ研究員の姿に意外な気持ちになる。説明は端的でわかりやすく、普段の無駄のない仕事の様子とは打って変わって戸惑いの感情が声に出ていたのだ。
「最近ほとんど動かなくなったと聞いていたが」
「はい。ここ数か月は水を飲むこともなく同じ場所にいるだけだったのですが、今日確認したところ少し向きが変わっていました。そこで見えた地面近くの部位が・・・
唇に見えるんです」
思わず立ち止まる。
研究員も律儀に自分の後ろで立ち止まってくれた。
研究員はいつも階級を気にして常に自分より前に出ないように意識しているが、そもそも自分は階級を気にしない性格で、今回のように話をする上では横を歩いたほうが都合が良いからと前から言っているのだが、性分です、と引かない彼の真面目な性格がこういうところでも・・・いや、そうじゃない。
「唇とは・・・人間のか?」
「はい。向きが違うので全く気が付かなかったのですが、横向きになった人間の口の形とよく似ているように思えます。そこがわずかに動いています。あと、つい先ほど気づいたのですが・・・空気がもれる音もしていまして、それが・・・自分には言葉を話しているように聞こえたんです」
研究員の顔をまじまじと見つめてしまったが、彼の顔は真面目でふざけた様子などは見受けられなかった。
「君はアレが・・・言葉を話していると?」
「はい。ただ自分でも信じられないため少佐にも確認をお願いしたいのです。あれは・・・『外に出たい』と言っているように聞こえます」
その場所ははるか昔から実りの豊かな土地として存在していたが、不思議と統治している存在はいないようだった。
畑を耕し魚を捕り、子供を育てる住民はいるのだが、それをまとめる者はいない。
それで争いが起こることもなく、周辺の住民と物々交換をして生活が成り立っていた。
その土地を自分の国の一部にしようと侵攻することになり、第一陣に自分の隊が任命されたのは全くの予想外だったが多少の居心地の悪さを感じる程度だった。
あの土地に入っても良いのだろうか・・・。
その気持ちを心の底にしまいこんで出陣した。
覚悟を決めてその土地に入ってみると、住民たちは驚いた顔をしたもののこちらの要求に従って集まり、特別抵抗する様子も見られなく、天候も穏やかで拍子抜けした。
一部の兵士が測量を開始し、木を切って当面滞在する地点に簡易的な建物を建て始めたとき、本国から軍の上層部がやってきた。
嫌な予感がした。
まだ一部しか安全確認が終わっていないその土地の奥のほうに向かったと部下から聞き、駆けつけた時には既に終わっていた。
ゆっくり動いて、止まれと言っても近づいてきたから切ったと上層部は話していたが、地面に落ちているナニカは茶色く固いもので動いている様子が想像つかなかった。
近くに同種の個体がまだ切られずにいたため、部下に命じて檻に捕らえておいたが、それも動く様子はなかった。
上層部は古くからこの土地に住み着いていたであろうナニカを切ったのであろうか。
その日の日没は今までより早く、急速に暗くなったため野営の準備が間に合わなかった。
ちょうど実りの季節に侵攻したのだが、その年の冬は例年より早く来たため一部の作物が収穫しきれずに雪の下に埋もれた。
それでも豊かな土地を手に入れた国の上層部は喜び、自分の部隊に引き続きその土地の管理を命じて収穫した作物を持って本国に帰っていった。
部隊の住居と管理する建物、捕らえたナニカを研究する施設を急いで建設し、自分達と住民の冬ごもりの用意をするので手一杯で、ナニカのことを思い出したのはしばらくたった後、研究員が報告に出向いてきた時だった。
「少佐。アレは食事をしないようです」
「生きているのか?」
「おそらくは。位置が変わっているため動いてはいるようですが、水もほとんど減っていないため飲んでいるのかも不明です」
「アレが何なのかわかるか?」
「自分は今まで見たことがありません。同僚もわかるものはいませんでした」
そもそも動いてきたと言っていた上層部の人間はもうここにはいない。本当に動いていたのか、それともそう見えただけだったのか。
切った茶色いナニカも気づいたときにはなくなっていた。部下の誰も知らないらしい。
出来れば現地住民にも見せてアレが何か聞きたかったのだが・・・そうだ、住民だ。
「現地住民には見せたのか?」
「住居の掃除を担当している女に一度見せたのですが、アレが何かわからなかったようです。怖がる様子もなくどうしてあんなものが厳重に管理されているのかわからないという顔をしていました」
それほど珍しいものではないのだろうか。
上層部の見間違いの可能性を考慮しつつも研究を続けるように命じた。
数年前、この土地に来たときのことを思い出しながら話をしたというアレを実際に確認してみたが、正直自分の目では動いているのかもわからず、音も聞き取れなかった。
が、長年アレを研究している彼らが慌てている様子をみると確かなことのようで、このまま置いといても成果が出ないのなら外に出しても良いのではと思えてきた。
自分には権限がないため本国の中佐に連絡を取ったところ、珍しく軍部にいたようで「へぇ~」と面白そうな声を出してあっさり外に出す許可が下りた。
外と言っても研究所の敷地内だが、数年間施設の管理棟の中にいたことを考えればそれでも良いだろう。
素早く動くようには見えないが、念のため門を閉めておくよう指示を出す。
金属の檻に入れられたアレは相変わらず動くようには見えない。研究所の玄関を出たところで檻を傾け、地面の上に置いてみる。
茶色い塊は動くようには見えなかったが、周囲の研究員が真剣に見つめているので、そのまま様子をみていた。
太陽が眩しい。本日も快晴だ。
自分が赴任した頃から日没が1時間ほど早まったらしいが、それでも日中は晴れている日が多く、昔ほどではないが一定数の作物は採れているらしい。
しかし冬の期間が昔よりは長くなったらしく、また大部分の作物を本国に送っているため、冬ごもりをするには厳しい生活が続いている。
もう少し収穫が増えれば良いのだが・・・
そう思っていたとき。
茶色い塊が、動いた。
誰かの息をのむ音が聞こえた。
茶色い塊がゆっくりと開き、太陽に向かうように出てきた部位の向きを変えた。
そこには
人の顔があった。
どれくらい時間がたったのかわからないが、ふと太陽を見たくなった。
長い時間寝ていたようにも思えるし、周囲の音を聞いていたようにも思えるが、久しぶりに自分のやりたいことが見つかった気がする。
ここは冷たくて太陽がどちらにあるのかわからない。
外に出たい。
そう口に出してみた。
話すことも忘れていたようで、自分のやりたいことをまた忘れてしまわないように、何度も口に出した。
外に出たい。
思い出したようにつぶやいていたのだが、ある時自分が運ばれていることに気が付いた。
珍しい。なんだろう。
そう思うこともいつ以来だかわからない。
その感覚が新鮮で、じっとかみしめていると、暖かいところに下ろされた。
地面だ。暖かい・・・。
じっと手を付けていると、暖かさが少しずつ体に染みわたってくるのがよくわかった。
もう動ける。
太陽が、見たい
ぐっと上を見る。方向はわかる。暖かいほう。
暖かいのが地面からのぼってきて、たくさんの力が太陽からおりてくるのがわかる。
すごく気持ちがいい。ぐんぐん力が増えてくる。
もう、目を開けても大丈夫。
私は、目を開けた。
茶色い塊はいつしか緑の髪をもつ少女の姿になっていた。
周囲の研究員が半狂乱になって喜んでいる。
名前をつけないと、いや、名前はあるかもしれないから名前を聞かないと。我々の子供が女の子になったぞ!女の子だからガラス張りの研究室はダメだ。見えないようにしないと。あの服は脱げるのか。着替えを用意しないと。
いや、そうじゃないだろう。君たちの子供ではないしそういう問題ではない。
意味がわからない。研究者とはこういうものなのだろうか。
動揺するこちらをよそに、沈みかけた太陽を残念そうに見た少女はすたすたと歩いて(なんと自分で歩いている!)研究所に入ろうとしている。
彼女の後を追いかけながら口々にお腹はすいていないか、のどは渇いていないか、その服は脱げるのかと研究員たちが話しかけ、お腹はすいてない、のどが渇いた、服は脱げないと返事をしている様子を見るとまるで普通の人間のように見える。
アレが何か真剣に考えているのはどうやら自分だけのようだ。
門を開けるように指示した少佐は研究者たちに続いて研究所の中に入っていった。
どうやらあの淡い色の服は脱げないらしく厳密に言うと服ではないらしい。
後日彼女に聞いたところによると、自分が何なのかもわからないらしく、そもそも何を聞かれているのかわからないらしい。
数年間食事をせず水もほとんど飲まない(研究員がたまに水をかけていたらしい)生き物が人間だとは考えられないが、どうやら姉と祖父も同じような存在だったらしい。
受け入れてもらえるかわからないが、上層部が家族(?)を切ったことを謝罪したところ「もう彼らは還ったから平気」とのこと。
どこに帰ったのか聞いたが、それにも首を傾げていた。
アレが少女になってから良いことがいくつかあった。
まず、日没が遅くなった。そしてその年の秋は豊穣となり、次の冬が来るのも少し遅くなり、春が来るのが早くなった。
この土地の住民に聞くと「そういうものですよ」とのこと。
意味がわからない。
どうやらアレはこの土地に根付いたものらしく、今回研究所の外に出たことで初めて根付いたらしい。
その場所が関係するのかわからないが、天気の良い日は同じ場所で日光浴をする姿をよく見かける。
相変わらず研究員たちは彼女に付きっきりで、誰が一番気に入られているか競争しているらしい。
どうやら旧知の真面目な研究員のあとを彼女がふらふら追いかけている様子が見られたようで、友人として少し誇らしく思う。
彼女が根付いたこの土地は今後も豊穣になるだろう。