友人の資格
僕は弥生と別れた後、重い足取りで学校へと向かった。
二日間も学校を休んでしまって、きっと僕のクラスメイト達は僕に何が起きたのかを躍起になって質問攻めにしてくることだろう。ああ、五月蠅いったらありゃしない。そんなことを思いながら僕は教室の引き戸をがらりと開けた。
しかし、そんなことは全然全くなかった。というかあり得るはずがなかった。僕はいつも通り一番後ろの席に腰を掛けて、速やかに読みかけの小説を鞄から取り出して読み始めた。
今更説明するようなことではないかもしれないが、僕はこの学級において浮いてしまっている。別段虐げられているとか、苛めを受けているとか、そういったわけではない。ただ単に僕がここまでの一年間こうして毎日毎日、判を押したように『話しかけてくるな』という雰囲気を醸し出していたが故の結果なのだ。
だけども僕は、友達同士で互いに楽しそうに会話するクラスメイト達を見て『友達なんてくだらない』とか『こいつらは僕のレベルに見合っていないから友達にならないだけだ』などとは思っていない。そんなものはただの負け惜しみだ。
はっきり言って僕は友達が欲しい。
「おい。南足。テメーなに休んでんだ。」柄の悪そうな男は、わざわざ席の前まで来て僕に声をかけた。
「おはよう、細川君。別にどうってことはないよ。ただ単にちょっと体調が優れなくてね。」僕は小説から目線を彼に移して、そう答えた。
勝手ながら、彼もそうなんじゃないかと僕は思う。絶対に本人には言えないけれど。
彼の名前は細川 重孝。僕のクラスメイトの一人だ。
「そうかよ。ナヨナヨしてっからそうなんだよ。」細川は吐き捨てるように言うと、何かを僕に投げつけて去っていった。拾い上げてみるとそれはのど飴だった。
そして、彼は多分いいやつだ。ただ、少し不器用なところがある、僕はそんな風に分析していた。
彼は今どき珍しい旧時代的な不良男児だ。現代の不良の姿と言えば、制服の下にパーカーを着てみたり、髪を奇抜な色に染めてみたり、軟骨にピアス穴を開けてみたりと、そんな所だろう。
それに対して細川君は、ポマードできっちり整えられたオールバックに、鳶職が履くような太すぎる学生ズボン、上半身はショート丈のテーラードジャケットを思わせるような丈が短い学ランを着ている。鞄は学校指定の物ではなく、意図的に平たく潰された本革製のものを持ってきていた。
たまに胸ポケットからクシを取り出して髪型を整える仕草などは最早、趣深さすら覚える。
細川君とは二年になってから同じクラスになったが、一年の時からその噂は聞き及んでいた。なんでも、因縁をつけてきた三年の先輩を片っ端からボコボコにしたらしい。それ以来、学校中の不良から超危険人物と見なされている。二週間ほど謹慎になった時もあった気がする。そんな彼は不良漫画よろしく同学年のヘッド的存在になったかと言えば、そうではなかった。
先程のような誰に対しても刺々しい、バッドコミュニケーションが災いして、次第に孤立していってしまったのだ。
「あ。細川君。さっきはありがとう。」僕は移動教室のついでに彼にのど飴のお礼を言った。
「おぁっ!?……おう。」細川は一瞬身体をびくりと硬直させた後、顔を斜め下に向けながら照れくさそうに答えた。
********************
「ということがあったんだけれど、僕は細川君と友達になれると思う?」と僕は姉に向かって言った。
麻希は「はあ。」と大きく、そして酒臭いため息をついてから「あんたねぇ。そんなもん友達になりたいに決まってるでしょぉ?」と答えた。
それでは質問に答えたことになっていない。と僕は思ったが、姉は『僕がその気になれば友達になれる』ということを言いたいのだろう。
「ていうかその子の不器用な感じ、可愛いなあ……キュンキュンしちゃう。」麻希は半開きの目で呟いた。
「姉ちゃんはさ、どうやって友達つくったんだ?」僕は勇気を出して訊ねた。
「あんた馬鹿ァ?」姉はしかめっ面で返した。
いや、その言い方は良くない。言葉遣い云々ではなく、もう既に先駆者がいらっしゃるからだ。
僕の姉はどうやら酒を飲むと少しばかり口が悪くなるようだ。二十歳になってから、たまに友人と飲みに行ったりする機会もあるようで、酒を飲んで帰ってくると大体こんな状態だ。今日も新歓コンパとかいう大学のサークルの歓迎会みたいなものに参加して来たらしかった。
「友達なんてね、自然に出来るもんなの。」缶ビールを乱暴にテーブルに置きながら姉は僕の目を見た。
「それじゃあ、未だに一人の友達も出来ていない僕はなんなんだ?」と指摘した。
「それは単にあんたが心を開こうとしてないからでしょー。」麻希は僕を睨みつけた。
正直に言って痛いところを突かれたと僕は思った。
「いい?みっちゃん。お姉ちゃんが一番いい方法を教えてあげる。みっちゃんはね、心を閉ざしに閉ざして、扉のほんの僅かな隙間を通ってこれる人とだけお友達になろうとしてるの。それって凄く非効率的だと思わない?」
「はい……。」僕は下を向きながら肯定した。耳が痛かった。
「だからね、最初は扉を全開にしちゃうの。そしたら、いくらみっちゃんが気難しい性格だったとしても、何人かはその扉を超えてくるはずじゃない?」麻希は優しい顔で言った。
「そうかもしれない。」と僕は再び肯定した。
「そしたら、その人たちとは友達になれる。でも気に入らなかったらポイしちゃえばいいの。友達っていうのはお互いに友達と思ってなければ友達じゃないんだからさっ。何も悪いことじゃないんだよ。」と麻希は説明した。
姉らしからぬ乱暴な言葉に僕は少し驚いたが、それと同時に目から鱗が落ちた気分だった。僕はずっと友達の定義について迷い続けていた。それは、一体どこからが友達なのかということだ。
しかし、たった今姉が言った言葉で、僕はその解を得た気がする。双方向的に友人だと認識していれば『友達』と言えるということが、僕の中でも納得のいく形で定義付けることが出来た。
いや待て。じゃあどうやってそれを確かめる。まさか相手に『俺たちって、友達だよな?』とでも訊ねるわけではあるまいな。
「じゃあお互いに友達と思っているかをどうやって確かめたらいいんだよ。」僕は思い浮かんだことをそのまま姉に伝えた。
「みっちゃんに友達にしたい人が出来たとしたら、その人の嫌がることをしたいと思う?」姉は新しい缶ビールを開けながら言った。
「そんなことはもちろんしたくない。むしろ、しないように気をつけて……あっ。」僕は言い淀んだ。
「でしょ?友達関係が続いていても気になるところが積もり積もると、それは破綻して友達ではいられなくなるの。そうならないように、お互いに相手が嫌だと思うことをしないように気をつけ合って、それでいて一緒にいて楽しさを共有出来る人が友達であり続けるんだと思うよ。だから常に確かめ合っているってことだとあたしは思うけどなあ。」麻希はそう言うとグイッとひとくちビールを飲んだ。
正直に言ってこの言葉は僕に響いていた。この女は酒を飲ませるとこんなに含蓄のある言葉を吐くのか。
「姉ちゃん、ありがとう。少しわかった気がするよ。」僕はそう言って席を立とうとしたが、麻希に手首を掴まれてしまった。
「待ちなさい。今度はあたしの話を聞く番でしょー?」じとっとした目で麻希は弟を睨みつけた。