完璧主義者の部屋はなぜ汚いのか
私の恩師の言葉で印象に残っているものがある。それは「いい加減がいい加減」というものだ。
意味を説明すると、程よく手を抜くのが、いい塩梅である、と言ったところだろうか。
当時高校生だった私はその言葉を聞いて、なんともいい加減なことを言う教師がいるものだと、呆れたのを覚えている。
だが今になって確かに「いい加減がいい加減」なのかもしれないと思い始めている。
さて話は変わるが、読者の皆様方は、「完璧主義者」という言葉を聞いて、どんなことをイメージするだろうか?
何でも出来るとか、すごいとか、ポジティブな感想を抱く人がいるかもしれない。確かにいろんな物事をすべて完璧にこなす人がいれば、それは素晴らしいものだと思う。少なくとも、飛行機のエンジニアや、医師などは人の命を扱っている以上、その仕事に対しては完璧主義者でいてもらわなければ困る。
しかし実際の完璧主義者は必ずしも完璧であるとは限らない。むしろ完璧には程遠いことのほうが多い。
どういうことか。
完璧主義者は、一度手を付け始めたものには、確かに満足行く結果が出るまで、その手を休めることはできない。しかし、逆に一つのことが完璧になるまで他の物事に移行することはしないし、完璧にこなせないと分かったら、そもそもそのことに手を付けようとすらしないのである。つまり完璧主義者は両極端なのだ。ゼロか百しか選べないのだ。
例えば十個やらなければいけないタスクがあったとする。普通の人は、十個のタスクをこなすために、それぞれ8割の完成度でも、やらないよりはマシと考え、妥協してその仕事を終わりとする。しかし完璧主義者は、10個のタスクをすべて完璧にこなそうとするので、一個ずつ満足行くまでそれをやり続け、結局後半のタスクは全く手を付けられずに時間切れとなってしまうパターンが多い。10個のタスクの内、8個までは完璧な完成度だが、残りの2個は達成率が0%ということが起きうる。
なお酷いことには、普通の人が周りの人と協力してタスクをやろうとするのに対し、完璧主義者は全て自分でやらなければならないという思い込みあるいは見栄があるので、一人で抱え込んで結局解決できないということも、よく見られる。
完璧主義者なのに、部屋は汚いというケースは、以上のことを以て説明できる。他のことに気が削がれるあまり、部屋を掃除できず、またスキマ時間があっても「30分では大して片付かないな」という思考が働くので、いつまで経っても部屋が片付かなくなるのだ。ちなみに筆者の部屋のことではない。筆者の部屋は足の踏み場がある程度には片付いている。
つまり完璧主義者は何でも完璧にしたがるからこそ、逆に完璧から離れてしまうのだ。
これだけ見ても、完璧主義者というものは可愛そうな生き物に見えてくるが、更にひどい場合がある。
完璧主義というそのオペレーションシステムが、その人物の中で完結しているならば、まだ可愛いものだ。しかしそれが当人のテリトリーを越えて、他人にまで完璧主義をあてはめようとしたら、目も当てられない。
完璧主義を信奉する完璧主義者の中には、自分が完璧でないのにも関わらず、他の人が8割の完成度で是とした「いい加減」な仕事を目にしたとき、「おい、まだ完璧じゃないじゃないか。ちゃんとやれよ。ここはこうするんだよ」と頼んでもないのに、ありがたいご高説を賜わる御仁がいる。そんなことを言われたら、よほど気の長い人でない限り、「なんだお前は。お前は手を付けてすらいないじゃないか。大体、部屋も汚いし」とフルカウンターを打ちたくなるだろう。口で言わないにしても、心中穏やかでいられるはずがない。
だから大抵、人のことにまで口を出したがる「超」完璧主義者は疎んじられ、嫌われている。当然友達も少ない。ちなみに筆者のことではない。筆者は友達が四捨五入したら十人もいる。
そんな「超」完璧主義者に辟易している方に知っておいてほしいことは、当人たちは自身が完璧であるとは微塵も思っていないということだ。彼らのほとんどは無意識に完璧主義の考えによっているのだ。彼らは真面目で、人から与えられた仕事は丁寧にこなそうと努力するし、上述したようにこだわりすぎて失敗することのほうが多いから、概して自分に対し否定的な感情を持っている。「あれもこれも自分はできない。自分はなんて駄目なやつなんだ」と。
自分は駄目なやつだと思っているからこそ、完璧な自分を演じようと見栄を張ってしまうのである。
彼らは周りからよく見られたいがために、常に自分を追い込もうとしているのだ。
そう。完璧主義者というものは哀れなピエロなのである。
当然そのような生き方をしていれば、体も心も悲鳴を上げてしまう。
このストレス社会において、真面目な性格が祟って、精神を病んでしまう人が増えているが、そのような人の多くは完璧主義的な側面を持っているのだろう。
体を壊しては元も子もない。だから私はそのような人たちに対して、恩師の言葉を受け継ぎこう言おう。
人生、いい加減がいい加減。
完璧な人間など世界のどこを探してもいないのだから、その肩に重くのしかかった重圧は取り除いてあげよう。