魔族と天使
エルは絞り出すような声でたずねた
「仮に、仮に城に連れて行くとして、領主様にどうやって説明する。」
リリィはピンク色の脳細胞を活性化させて、言い訳を考えた。
「そうねぇ。
ああ寛大なる領主様、どうかこのリリィを助けてくださった時のように、この子もお救いください。それにこの子は堕天使。もしかすると、天界について有用な情報を引き出し、我ら魔族が優位に立てるかもしれません。
とかどう?」
魔族は横暴とは言え、数少ない子供を大切にする程度には情がある。翼の片方が白い事を上手いこと長所である説明できれば、案外認められるのではないか、とリリィは思った。
「…分からん。私にはお前が分からない。何故あいつに親身になれる。何故助けてやろうと思える。」
エルはこの質問で、リリィの天使に対する考えが少しでも分かるのではないか、と思ったが、何も掴めなかった。リリィの必死とも取れる態度に、エルは抑えきれなくなった疑念をぶつけた。
「ほら、私って孤児だったじゃない。それを城に引き取ってもらって、良くしてもらったわ。だからこそ、似た境遇のあの子を見捨てられないのよ。私を救って下さったように、この子もどうかってのは、本心よ。」
天使と文化が違うのは当然だ。しかし目の前にいるサキュバスは魔族だ。同じ教育を受け同じ家で育った。エルは認めた事はないが、姉妹と言っても差し支えないかもしれない。
なのに、自分とは違う思想、自分とは違う価値観を持つ。力にこだわらない、同性に執着する。それはまだ、理由付けができる。では天使の翼に執着するのは何故なのか。何故?どうして?
お父さまがリリィを連れて行けと言ったのは、自分には欠けている慈悲や寛容さを買ったからだと思っていた。しかし、本当の目的はその本性を暴く為?人目に付かないところで一思いに…
注目すべき対象がミーシャからリリィに移った今、エルの思考は疑心暗鬼に陥っていた。
「そうじゃない。そうじゃないんだ。弱者に手を差し伸べるのはまだ分かる。もしもそれが同じ魔族ならな。しかしあいつは、堕天使ですら無い、天使の翼を持つものだ!何故憎まない、何故怨まない!お前の親は、天使に殺されたのだろう!なのに、何故…」
お前の方が私より天使を憎んでないとおかしい。
どんな答えを聞きたかったのか、自分でも分からなかった。エルはリリィを鬱陶しく思ったり理解できないと思った事は何度もあるが、恐ろしいと感じたのは、初めてだった。
リリィがシー!とジェスチャーをした事で、いつのまにか大声を出してしまった事に気がついた。慌てて上を見上げる。ミーシャに聞かれたかもしれない。
「…ミーシャに肩入れしてるように見えたかしら。でもそれは天使の翼を持ってからじゃないの。茶化すようで悪いんだけど、あの子が可愛い女の子だから、私もちょっと興奮しちゃったと言うか…
それに天使が好きなわけじゃないの。恐ろしい、近寄りたくない、って思ってるわ。でも、ミーシャは私と同じ子供だし、真っ当な天使でもないじゃない。怨むなんて無理よ。」
リリィは口に出す事で、本当にそう思っている気がして来た。白翼を美しいと褒めたのも、ミーシャの体の一部だから。天使の特徴を好んだからではない、可愛い女の子に惹かれてそう思っただけ。
エルが心配するのも分かる気がする。確かに自分の言動は魔族として怪しいところがあった。リリィは心の中で反省した。
「本当に、それが理由なんだな。」
「もちろん。心配かけて、ごめんなさいね。」
エルはリリィの言葉を信じていいか迷った。天使の力に執着していたようにしか見えなかったが、こいつなら性欲の延長線上で突飛な行動をとってもおかしくない。
悩んだ末に、エルは結論を保留する事にした。
「はぁ、分かった。良いだろう、あいつを城に連れて行く。」
「えっ、良いの?」
「お前が言い出したんだろうが…ちゃんとどう説明するか、考えておけ。」
ミーシャを城に連れて行き、リリィの言動を監視する。家に、魔族にとって不都合な企てをするならば止める。それが主人たる自分の責任だ。エルはそう覚悟を決めた。
「そうね。涙の用意をしておくわ。」
この話はもうお終い、とリリィは先にハシゴに手をかけて登り始めた。しかし、屋根裏部屋の床上に頭を出す直前に、下にいるエルに振り向いた。
「どうかしたのか。」
「パンツ見る?」
リリィはスカートの裾を持ち上げてヒラヒラとさせた。それは、リリィにとっていつもの関係に戻る為の儀式のようなものだ。
目論見通り、シリアスな雰囲気をぶち壊したリリィは満足げな顔で上に行った。エルはあの空気でセクハラをする、その精神力を恐ろしいと思った。
二人は屋根裏部屋に戻り、床に座らずミーシャの前に立った。ミーシャは緊張した面持ちで、二人を見上げた。
リリィはその表情を観察したが、エルが叫んだ内容が聞かれてしまったか、よく分からなかった。よく分からなかったので、その問題は無視することにした。こちらから触れなければ、向こうから触れるてきはしないだろう。リリィがエルをチラリと見ると、エルが口を開いた。
「さて、お前の処遇だが、ゴホン。」
次はエルがアイコンタクトをして、リリィに続きを話すように促した。
リリィは、なるべく優しく見えるように心がけて、微笑みながらミーシャに手を伸ばした。
「おいでミーシャ。私達と一緒に暮らしましょう?」
その言葉の意味をミーシャが理解するまで、少しの間があった。そして、緊張が驚きに、驚きが泣き顔に変わった。それは喜びの涙と言うよりは、安堵の涙だった。
リリィが再び口を開くより先に、ミーシャは、始めて二人の名前を口にした。感謝と、そして服従の意思を込めて。
「エル様、リリィ様。ありがとう、ありがとうございます。」
エルは自分の名前に様と連れられて、嬉しそうな顔をした。リリィにからかわれる以外で名前に様がつく事は珍しいのだ。色々な事を考えていたエルだか、これを受けて単純にミーシャに対して礼儀正しい奴、と始めてプラスの評価を付けた。リリィよりも先に名前を呼んだのもプラス点だ。
それに加えて愉快なのは、横のリリィが様呼びされた時の、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな表情だった。