半端と魔族
小窓から入る光が、床と壁の境目を照らすようになったころ、再びエルが口を開いた。
「で、お前の言ったそれはどういう意味だ?」
「どういう意味、とはなんですか?」
「親と魔力がつながっているなんて、初めてきいたぞ。」
魔族にとって天使は天敵でありながらも遠い存在だ。闘いの歴史と研究はあっても、お互いを理解しようとする努力の一切が存在せず、文化に関する知識など皆無だった。故に、天使に関する詳しい情報を、リリィはもちろんエルも知らなかった。
「あれ?子供は普通、お父さんとお母さんから魔力を受け取って成長するものですよね?」
何の事を言っているのだろう?エルとリリィはお互いの顔を見合わせた。魔族にもサキュバス、ヴァンパイア、アラクネ…他にもいくつも種類があり、時に理解しがたい風習を持つ者もいる。しかしミーシャの言う文化を持つ魔族はいなかった。
「ミーシャの家では不思議な事をするのね。」
天使と魔族の常識は違う。当たり前と言えば当たり前なのだが、3人はそれを理解するほどの社会経験がなかった。魔族も天使も、大人になれば地上世界に出入りするようになって、寿命や身体能力の差異を知るのだ。子供にとっては価値観や風習が大きく異なる種族の存在など、想像すらしなかった。
「いえ、天使はみんなそうやって…あっ!そうか!」
噛み合わない会話をしばらく続ける中で、ミーシャはようやく二人が魔族であると思い至った。
「なあに?どうしたの?」
「えっとですね、多分魔族のお二人には馴染みがないと思うんですけど、天使は成人するまで両親から魔力をもらって成長するものなんです。」
それを聞いて二人も、彼女が天使で、自分とは違う世界の住人だったと本当の意味で理解した。
「ほう、なるほど。天使の殺し方は習った事があったが、その生態までは知らなかった。」
「もう、エルはまたそうやって物騒な事いうんだから。でも確かにそうね。天使の事、何も知らないわね。」
フムフムとうなずく二人を見て、とりあえずは自分の言わんとする事が伝わったと、ミーシャは胸を撫で下ろした。
「しかし、魔力がつながっているとは言え、親が堕天すると子も堕天するのか。不思議なものだ。」
「未成年に限った話だけど、ってお母さんは言ってました。すみません、私もよく分かってなくて…」
天使の子供事情も魔族とそれほど変わらず、子供が総人口に占める割合はかなり少ない。それだけに子供が成人していない親も必然少なく、育児中の天使が堕天するのは極めて珍しい。ミーシャに降りかかった悲劇は、天使ですら深く理解していない、特殊な事例だった。
ミーシャが何者なのか、ある程度の回答をえたエルは、次に重要な質問をする事にした。
「では次の質問だ。お前は何故堕天使の村ではなく、ここに来た。」
流石に天使のスパイとは思ってないが、エルにとって聞いておかなければならない質問だった。領内に堕天使はいない。目的があって来たとしたら不自然だ。
「お父さんが魔界に行ったと聞いていたので、天界から追放された時にこちらに来たんです。それで、堕天使の村を探して…村は見つけることができたんですけど、こっちの翼だけ白いままだったから、出て行けって…
おかしな話ですよね。黒くなったから天界から追い出されたのに、今度は白いから追い払われて。私どうしたら良いか分からなくなって…あまり人がいないところを探してたら、ここにたどり着いたんです。」
ミーシャは自嘲するように笑った。自分が何者でどうしたら良いのか分からず、住居どころか食事すらままならない状態で、このままここで朽ち果てようかと思っていた。それなのに殺気を向けられれば死にたくないと恐怖する。自分の生き汚なさに呆れていた。
「まったくもって失礼な話ね、あなたの翼はそんなに美しいのに!それが分からないなんて、美意識がどうかしてるんじゃ無いかしら。」
リリィは鼻息を荒くして言い放った。エルは心の中で、白翼を美しいと表現するお前の方がどうかしている、と思ったが、口に出すと面倒くさい事になると分かりきっていたので黙っていた。
口には出さなかったが、エルは、リリィは変な魔族だ、と強く思った。
強きは正義、弱さは罪とされる魔界において、強い者(主に自分)に卑屈にならず、弱い者を蔑みもしない。
サキュバスなのに、同性(主に自分)に発情する。
それらは、まだ原因を想像する事が出来た。孤児だから親子喧嘩を通して学ぶ上下関係をキチンと理解していない。腹部に刻まれた聖紋のせいで、性欲が変な方向に向いてしまった。
しかしここに来て、天使ないしは天使の特徴である白翼に執着を見せ、あまつさえ美しいと讃えたのだ。
魔族が白い翼に興味を持つときは、憎しみから羽を毟り取る時、拷問する時だけだ。
リリィのこの趣味は、変で片付けて良いのだろうか。
エルが疑念を抱く一方。ミーシャはまさか魔族から翼について褒められるとは思ってなかったのだろう。目をパチクリとして、不思議な生き物でも見ているような眼差しでリリィを見た。
「ありがとうございます。そう言えばさっきも、この翼を褒めて下さいましたね。」
ミーシャは翼の色に振り回されてきたが、初めて単純に美しいと表現されて、なんだかこそばゆい気持ちになり、クスリと微笑んだ。そんなことをつゆ知らず、リリィはボディタッチをする為の雑談を繰り広げた。
「あなた笑ってる時の方が可愛いわよ。それにしても、魔界で金髪を見れるとは思ってなかったわ。もっと近くで見せてちょうだい。」
どうでも良い会話が始まってしまう前に、エルは尋問を再開する事にした。リリィの事も気掛かりだが、まずはミーシャだ。
「はぁ。なるほどな、ここには偶然たどり着いたと。それについては後ほどもっと詳しく聞く。次の質問だ。天界とはどんな場所で、魔界とはどう違う。」
多くの堕天使は天界について聞かれると嫌がるし、そもそも領内に堕天使はいない。魔族にとって天界を知る手がかりは、一部の協力的な堕天使と、天界に派兵されて帰ってきた魔族だ。前者は数が少ないし、後者の情報は戦争に関わる情報だけだ。
天界に住んでいた者の貴重な意見を聞く機会は、滅多にないのだ。
「そうですね…天界は魔界のように魔力が多い場所ではないです。あっ、そうだ、天界の太陽は魔界よりもはっきり見えます。それと…」
一通り聞き終わった所で、リリィが独り言を漏らした。
「そっかあ。天界には天使が沢山いるのね…」
そんな当たり前の事を言うリリィに、ミーシャは思わず笑ってしまった。当たり前の事を言った先に、何の言葉が続くのか。エルは想像せざるを得なかった。
エルはまだ聞きたいことがいくつかあったが、とりあえず打ち止めにした。リリィが天使について何か発言するたびに、心の中でフツフツと疑問が湧く。
普段はリリィからアプローチしているが、エルにもリリィに浅からぬ情がある。だからこそ、答えを出す必要があると思った。
「…さて。リリィ、一緒に来い。お前はそこで待ってろ。」
エルは立ち上がって、ハシゴを伝って下に降りて行った。リリィは何か言う間もなくエルが行ってしまったので、ミーシャにちょっと待ってて、と声をかけ、ハシゴに向かって行った。
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「リリィ、お前は天使をどう…いや、あの天使モドキの処遇をどうする。」
「天使モドキって、あの子はミーシャって名前なんだから。そうねえ、ここに置いて行く訳にも行かないし…考えてなかったわね、どうしましょう?」
それは慈悲ゆえか?
「私だったらここで始末するな。」
「断固反対!断固反対!」
天使だぞ?
「ならお前が決めろ。」
「そうねえ…ご飯と住む場所をなんとかするには…そうだ!お城に連れてくのはどうかしら。?」
なぜ怨まない