新しい生活に向けて
エルの機嫌を良くするのは簡単なのではないか。
城に帰る道すがら、ミーシャとエルが会話しているのを眺めて、リリィは思った。
エルは最初の方こそ威圧したりして、貴様には気を許さない、とでも言うかのように、ピリピリしていた。それに対して、ミーシャは、怖がったり謝ったりしていた。リリィは、あまり庇い立てるとまたエルが怒るのでは無いかと思って、ちょっと盾になったりエルの気をそらしたり程度しか出来ず、口頭で注意するのは避けていた。
そして気をそらす一環で、エルの家が貴族である事を説明したのだが、ミーシャはそれを素直に褒めた。すごいですね、と。
社交辞令にしても貧弱な褒め言葉だったが、それがエルの琴線に触れたらしい。
エルが家の自慢、例えば、この辺りの土地を含めて私の家は広大な土地を支配している、などを言うと、ミーシャはまた褒める。嫌みや面倒臭さを感じさせずに、自然体に褒める。貧弱な語彙すらも本気で褒めている感を演出している。それに気を良くして何かを自慢すると、更にミーシャが驚いたり褒めたりする。
貴族であることを自負しても、城の大人は背伸びしてるようにしか見てこないし、リリィは何時も通りで、エルにとって、ストレートに貴族である事に敬意を示されるのはなかなか心地よい体験だった。
こんな簡単に機嫌を取れるなら、セクハラした後のアフターケアに費やした苦労は何だったのか。リリィはエルのチョロさにいささか愕然としていた。
「ミーシャ…恐ろしい子。」
「え?何か言いましたか?」
「ああん。ミーシャが怖いのよ〜。」
このままではサキュバスの名が廃る。リリィは謎の対抗心を燃やしてエルにすり寄った。
「なんだお前は、今更そんな。って、おい!やめろ、屋外でそんなとこ触るな!」
「そう言えば、誰かが見てる前でおっぱじめた事は無かったわね。いい、ミーシャ、これが愛し合うと言うこと、Hよ。」
リリィは目の前で起きている事にピンとしていない様子のミーシャに声をかけた。
「Hって何ですか?愛し合うのは分かりますが、それは…ハグですか?」
首をコテンと傾げる姿に、リリィは新しい扉が自分の中に開くのを感じた。美しく清らかな存在を、穢し汚し、手折りたい。ミーシャは今まさに自分の身に危機が迫っている事に気が付かなかった。
「ああっん///無垢!そして純真!ああ、ゾクゾクする。良いわ、良いわ!お姉さんが優しく教えてあげる!」
リリィはエルから離れると、ワキワキと手を動かしながらミーシャににじり寄って行った。エルは解放されて息をつく暇もなく、新しい被害者が生まれようとしている事に気がついた。
「おい、そいつから離れろ!」
それは風車小屋でリリィに言ったセリフだったが、意味合いは180度違った。言葉だけでは止まらないので、リリィを後ろから羽交い締めにした。
「やあ!離して!」
「ええい、うるさい!おいミーシャ!こいつには気をつけろ!発情したサキュバスはドラゴンよりも凶暴だ!」
発情?知らないワードが飛び交い困惑していたミーシャだが、なんとなくそれらの語群は良い意味でない事は察しがついた。
「あらあら?エル、あなたミーシャの心配してるのかしら?妬いちゃうわあ。」
「うるさい!黙れ!」
「お二人とも、喧嘩はやめて下さい。」
オロオロと戸惑うミーシャが仲裁しても、なかなか騒ぎは収まらなかった。
主にリリィの所為だが、バカ騒ぎをしていたので、城に着くまでに聞こうとしていたこと、口裏合わせなどがロクに終わらないまま、城についてしまった。
エルは頭が痛くなったが、どこかで寄り道している時間もない。暗くなる前には帰らないと、今日中に領主に報告出来ないからだ。
「今帰った。」
「お嬢様、お帰りなさいませ。そちらの…リリィの後ろにいるのは、お客様ですか?」
門番にエルが話しかけたところ、彼は怪訝な顔をした。まだ子供で、弱々しいとは言え天使の魔力を持った人物がいるのだ。警戒されて当然だ。厄介が無いように、ミーシャは翼を畳んでリリィの後ろに隠れていたのだが、魔力だけはどうしようもない。
「領主様には私とリリィから話す。暴れるような輩ではないから大丈夫だ。」
「はい、承りました。では侍従にもそのように伝えておきます。」
第一関門は超えた。後は領主をリリィが上手く説得できるか、ミーシャの命運はそこにかかっていた。
エルはリリィに口喧嘩で勝てた試しがない為、もう任せるしかない、と思った。
服を着替える間も無く、直ぐに謁見する事になった。城内が少し騒がしく、どうやら予定を繰り越しているようだ。どうやらミーシャを連れてきたのは思ってたより重大な事件らしい。リリィは柄にもなく緊張した。




