第8話 異文化交流
『日本語は、わかりませんか?……キャン、ユー、スピーク、イングリッシュ?』
二人はまたも顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべた。
日本語はともかく、英語が駄目ならお手上げだ。
若い頃にバックパッカーを気取り、インドはバラナシに滞在した時の事を思い出す。
最初はガイドブック片手にヒンディー語に挑戦したものの、結局は片言でも英語の方が通じたものだった。
反応を引き出すだけでいい。
何か、ヒンディー語を思い出せ……。
『……キャー、ダーム、ヘェ?』
浮かんだ言葉を並べる。
意味は確か『値段はいくらですか?』だ。
さてどうだ? しかし二人の反応は変わらず、怪訝な表情のままだ。
とても通じているとは思えない。
言葉でのコミュニケーションを諦めた俺は、手で大きくバツを作り、大袈裟に肩をすくめて見せた。
「xxxx、xxxxx?」
言葉が通じない事を察してもらえたのか、男も大袈裟なジェスチャーで川の上流を指差し、次いで焚火を指した。
どこから来たかを問うているのだろうか?
『いいえ、向こうから、来ました』
上流側でも下流側でもなく、元来た獣道を指差す。
そこに女が口を挟むが、意味は分からない。
二人は二言三言と言葉を交わし、自らの鞄を開き始めた。
どうやら、もう俺には興味が無いらしい。
彼らが食事の支度を始めたので、俺も雑嚢を漁り、包みを取り出した。
堅いパンと臭い干し肉……いや、何の贅沢も言えないのだが。
よく分からないので手を付けていなかった、饐えた臭いのする白い塊が目に付く。
現地人なら食べるものだろうか?
発酵食品――チーズのような――だとは思うが、食指が動く臭いではない。
しかしものは試しと、いくつかを手に取り彼らに差し出してみる。
『良かったら、どうぞ』
ニュアンスだけでも、通じないだろうか?
女が顔を寄せ、何事か呟き上機嫌な声を上げる。
俺の手にある白い塊を指差し、それから自分自身を指し示したのだ。
通じたか?! というか、これが何かを、理解しているのか?
強く頷くと、女は俺の手のひらから数センチ程度の塊を摘まみ上げ、男に向かって声を掛けた。
俺は男にも、焚火越しに白い塊を渡す。
食うのか? 果たしてそのまま食うのか?
彼らの所作を真似ようと経過を伺う。
男は女へと小枝を渡し、自らの小枝も拾い塊に刺した。
あぁ、成程火に炙って食べるものなのか……。
彼らに倣うべく、手頃な枝を探す。
機嫌の良い声で話し掛ける女に、笑顔で頷きを返す。
男からパンひと欠片の返礼を受ける。
俺の持っていたパンとは比較にならない上等なものだ。
助かった。友好の度合いは維持されているとみて、良いだろう。
「チーズ」
パンの上に乗せられた、炙られ半ば溶けた白い塊を指して女は言う。
「ちいず」
女の言葉を真似て俺も続ける。
女が頷いたのを見て、俺はこれが『チーズ』に該当する単語だと認識する――俺の知るチーズとは幾分趣が異なるとしても。
『これは?』
俺は焚火に揺らめく炎を指差し、手を上に向けひらひらとさせた。
「炎」
「ほのー?」
女は、口元を隠す事も無くけらけらと健康的な笑い声を上げた。
その後少しではあるが、二人は目にするものを指差しては俺に単語を教える遊びに興じてくれた――野良犬に芸でも仕込む様に。
いや、それは俺が穿ち過ぎだろう。
二人の様子に俺を馬鹿にした様な素振りは無く、無邪気を持ってゲームに興じているだけのようだ。
その報酬なのか、彼らも俺を真似て『コレハ?』と問うては日本語で答えさせた。
時折二人は長文を発し笑いあうが、俺には理解不能だ。
どんな些細な事でも、言語に対する逼迫さは圧倒的に俺の方が高いはずだが、そう申し立てるのは不可能だ。
僅かな単語を教わった所で、文法も分からず何事かを具申するのは至難の業だろう。
俺は、こんなにも、必死なのに。
必死さの甲斐あってか、極僅かながら単なる名詞以上の言葉――上だの下だのといった概念を示す名辞を得られた。
会話をするには、抽象概念を知らねば先に進まない。
ひとしきりのゲームが終わった後、男が改めて問いを発した。
「お前、xxx向こう、xxxxこの道?」
獣道を指差す。
「わたし、ムコウ、ここ、ミチ」
同じく獣道に指を向ける。
続けざま長文を投げ掛けられたが、単語一つとして理解は出来ず、俺の沈黙に彼は落胆を示すのだった。
……彼らになら、今の俺の境遇を、どうにか伝えられないだろうか?
言葉だけでは無理にせよ、何か、手段は?




