第17話 友情
市に繰り出していた少年少女の一団に、サピロの姿を見つけた。
彼には先に別れを伝えようと、声を掛ける事にした。
少年達は露店で、油で揚げた菓子を頬張っている所だった。
その日までこの露店を見たことは無かったので、おそらく市が立つ日だけのお楽しみなのだろう。
「サピロ、チョット、いいか」
「アキラ。どこに行ってたんだ?」
俺の姿を認めたサピロは、もぐもぐとしながら近づいてきた。
市は彼らにとっても、珍しい娯楽なのだろう。
いかにも子供らしい無邪気な笑顔だ。
「はなし、ダイジ」
俺は、明後日には隊商と共に街へ向かい、恐らくは二度と戻らない旨をたどたどしい現地語で伝えた。
「……街に行ってどうするんだよ」
サピロは、僅かに顔をしかめた。
この数日すっかりと兄貴風――こんなオッサンを相手に、生意気な奴だとは思っていたが――を吹かしていた彼は、別れを惜しんでくれるらしい。
「街に行ったって、どうせ同じような仕事をするだけだぜ。それなら皆がいるし、ここに居れば良いだろ?」
「カエル、いえ、とおくとおく。わたし、さがす」
「…」
恐らくだがサピロも他の少年達も、この村から出たことは無いのだろう。
他の世界を、知らないのだ。
生涯をこの村で単純労働に従事し、他の世界を知らぬまま、死ぬ。
俺は彼らに世界を与えてやれない事に、胸を痛めた。
だが、それが彼らの人生だ。
他人がどうこうできると考えること自体、おこがましい。
俺は、俺の人生を取り戻さなければ。
「アリガトウ、たくさん」
「勝手にしろよ!」
サピロはそう言い残し、少年達の元へと戻って行った。
俺は追う言葉を持たず、彼の背中を眺めるのみだった。
その日の残りは、串焼き屋の仕事を眺めて過ごした。
翌朝、俺は港の仕事場に向かった。
やはり今日もサピロは既に作業を始めていたが、俺の事は一瞥したのみで声も掛けてはくれなかった。
俺は黙ってサピロの横に立ち、作業を始めた。
その内に一人二人と少年少女も作業に加わり、何時もの一日が始まった。
俺とサピロは、一言の言葉を交わす事も、無かった。
港の大人達も市へ繰り出すのか、今日も作業は早めに切り上げられた。
いつもの報酬が分配された後、俺は少年達を呼び止めた。
……サピロは、足早に立ち去ってしまったが。
手短に――というか、たどたどしく――別れと、数日の世話への謝意を伝える。
有り難くも残念がってくれる少年少女の手に、感謝の印として数枚ずつの硬貨を握らせる。
そして俺は、少年達に背を向けた。
好奇心からとはいえ純粋な好意を向けてくれた相手に金銭で応えるのは、大人の悪い癖だろうかと自問する。
しかし日本で生まれ育った者として見ると、彼らの境遇は余りに過酷に見えてしまうのだ。
過酷な人生の果てに無意味とも言える死を迎える人々がいる事を、俺はインドで学んだ。
あの僅かな硬貨ですら、間違いなく彼らの助けに、または慰めになるだろう。
俺が今困窮している事は確かだが、そんなものは今一時の事に過ぎない。
日本に帰れば、いつもの生活が待っている。
空調の効いたオフィスで何の危険を感じることも無く仕事をして、夜にはそこらの居酒屋で暖かいメシにありつく。
休日には呑気にDVDでも見るかTVゲームでもするかだ。
しかし彼らには、さしたる娯楽も無く野外に出ては命の危険すらあるこの土地で、その一生を暮らしていくより他に道はないのだ。
――これは、恵まれた境遇にある者の傲慢だろうか? 俺には、分からない。
その後俺が、ねぐらとして隠れ住んでいる橋の下――皆、気付いてはいたが特に問題を起こす訳でもないので、目こぼしされていた――に戻った時、後ろに人の気配を感じた。
「……サピロ」
「本当は、戻ってくるんだろう?」
「もうアエナイ。わたし、カエル」
「せっかく面倒見てやったのに!」
俺とて、彼との別離は悲しく思う。
漁港で彼に会ってからの数日、ほぼ全ての時間を共に過ごしたのだ。
32歳ともなると、人付き合いなどほぼ仕事絡みにならざるを得ない。
子分扱いされていたとはいえ、損得の絡まぬ純粋な友情に感動すら覚えていた所だ。
それでも、俺は行かねばならない。
俺は荷の中から銀色の硬貨を取り出し、サピロに握らせた。
先ほどの自問が頭を過ぎるが、この尊い友情に対し俺は他に応える術を持たない。
「いるかよ!こんなモン!」
突き返そうとするサピロの手を、俺は押し返した。
「ダイジ。ヤクにたつ。ダイジ。かくす」
「アキラ……いっちまうのか」
「ダレカ、こまる。ソノトキ、つかえ」
俺は彼の肩に手を置き、真っ直ぐと目を見る。
『人生は、辛く長いものかも知れない。それでも、挫けるな。希望を持って生きろ』
サピロはびくりと身動ぎした。
片言でしか話せない俺が、急に何事か意味の分からない言葉を流暢に話し出したからだろう。
意味など通じなくても良い。
偶然、袖触れ合って他生の縁を得てしまったのだ。
どうか彼らの行末が明るいものでありますように。
「アリガトウ。サピロ」
彼は、立ち去った。
俺は、何故だか分からないが、少しだけ涙を流した。




